ZKPAGE1 ZKPAGE2 ZKPAGE3 ZKPAGE4 ZKPAGE5 ZKPAGE6 ZKPAGE7
ZKPAGE8
ZKPAGE9
ZKPAGE10
ZKPAGE11
ZKPAGE12
ZKPAGE13
ZKPAGE14
ZKPAGE15
ZKPAGE16
ZKPAGE17
ZKPAGE18
ZKPAGE19
ZKPAGE20
ZKPAGE21
ZKPAGE22
ZKPAGE23
ZKPAGE24
ZKPAGE25
ZKPAGE26
ZKPAGE27
ZKPAGE28
ZKPAGE29
ZKPAGE30
ZKPAGE31
ZKPAGE32
ZKPAGE33
ZKPAGE34
ZKPAGE35
ZKPAGE36
ZKPAGE37
ZKPAGE38
ZKPAGE39
ZKPAGE40
ZKPAGE41
ZKPAGE42
ZKPAGE43
ZKPAGE44
ZKPAGE45
ZKPAGE46
ZKPAGE47
ZKPAGE48
ZKPAGE49
ZKPAGE50
ZKPAGE51
ZKPAGE52
ZKPAGE53
ZKPAGE54
ZKPAGE55
ZKPAGE56
ZKPAGE57
ZKPAGE58
ZKPAGE59
ZKPAGE60
ZKPAGE61
ZKPAGE62
ZKPAGE63
ZKPAGE64
ZKPAGE65
ZKPAGE66
ZKPAGE67
ZKPAGE68
ZKPAGE69
ZKPAGE70
ZKPAGE71
ZKPAGE72
ZKPAGE73
ZKPAGE74
ZKPAGE75
ZKPAGE76
ZKPAGE77
ZKPAGE78
ZKPAGE79
ZKPAGE80
ZKPAGE81
ZKPAGE82
ZKPAGE83
ZKPAGE84
ZKPAGE85
ZKPAGE86
ZKPAGE87
ZKPAGE88
ZKPAGE89
ZKPAGE90
ZKPAGE91
ZKPAGE92
ZKPAGE93
ZKPAGE94
ZKPAGE95
ZKPAGE96
ZKPAGE97
ZKPAGE98
ZKPAGE99
ZKPAGE100
ZKPAGE101
ZKPAGE102
ZKPAGE103
ZKPAGE104
ZKPAGE105
ZKPAGE106
ZKPAGE107
ZKPAGE108
ZKPAGE109
ZKPAGE110
ZKPAGE111
ZKPAGE112
ZKPAGE113
ZKPAGE114
ZKPAGE115


続・青春VAN日記54

ケント社の巻 その211983年夏)

<石津謙介アイルランド漫遊記3・ダブリン>


一行は、ダブリン市内のグレッシャムホテルに宿泊した。


本来の私ならば、一生縁が無いであろう一流ホテルである。

部屋には上質のバスローブにリネンとコスメチック。
猫足のバスタブには金色に光り輝く真鍮製シャワー、山盛りに泡立てたシャボンの中から顔をのぞかせ、足を伸ばしてゆったりとくつろぐ。

氷バケットの良く冷えたアペタイザーをグラスに注ぐ。
バスローブ姿の温まった身体に発泡ワインがしみわたる。
(これが、いつも洗面器をかかえて神宮湯に通う私の姿だろうか?
・・・はたまた “男はつらいよ”の夢のイントロ妄想シーンか?)

ディナーは上着・ネクタイ着用のドレスアップスタイルだった。

まるで、洋画の1シーンのようなシャンデリアの輝く上流世界に、石津会長と同席し、溶け込んでいる自分の姿が信じられなかった。

はたして私の前世はアングロサクソンの貴族であったのだろうか?
(それは間違いです。たぶん部屋住みの貧乏御家人の三男坊です)


これは夢ではなかった。
翌朝、シモンズベッドのさわやかな目覚めを迎えると、素晴らしいアイリッシュ・ブレックファーストが待っていた。

美味しいパンとベーコンエッグ、ソーセージ、マッシュドポテト。
ティーポットサービスのモーニングティー、(紅茶がすごく美味い!)
よく冷えたフレッシュオレンジジュース、フレッシュミルク、
(牛乳の味が日本と違う!濃くて美味い!)
フルーツの盛りあわせ。


うーん、大満足!(東京での納豆朝食とは別世界だ)

本日の予定は夕刻のタラモアデュー工場訪問ということなのでそれまで昼間は自由行動である。

同室の鳴島社長とダブリン市内に散策に出かけた。


<トラディショナルタウン・ダブリン>

歩いてみると改めて歴史を感じさせる街並みが素晴らしい。オコーネルストリート、オコーネルブリッジ・・・。



そして、“トリニティ・カレッジ”が素晴らしかった。


バーナードショウ・オスカーワイルド・ガリバーのスイフト等、世界の文豪を生んだ1591年創立の名門大学である。

そして、マイフェア映画のヒギンズ教授のライブラリーを百倍にしたような図書館・ロングルームには、あたり一面革表紙の古書と古代ゲ―ル語で書かれた初期キリスト教のダロウの写本も存在した。

広大な校内は石造りの重厚な校舎群と緑の芝生で構成され、キャンパスにはツイードジャケットにウールネクタイ姿の教授達!

セーターにショートパンツ姿、パーカをはおった学生達・・・!

素晴らしい! これはまるでTAKE IVYのルーツだ!
米国アイビーリーグ校の原型とも言うべき大学だ!
(※ちなみに、オックスフォード・ケンブリッジ創始は13世紀。ケンブリッジ出身のジョン・ハーバードがハーバード大学を創立したのは1636年、ブルックスブラザース創始は1818年である)



トラディショナル万歳!

ナッソーストリートの紋章屋・楯屋を訪ねた。アイルランド名家の系図、そして紋章がズラリと並ぶ。

数あるファミリーネームの中にケネディ家の紋章ならびにストーリーも発見出来た。THE COAT OF ARMS”(紋章学の本)を購入した。



また近所には真鍮屋さんもあった。クラシックなドアノブ・蛇口・置物・用途不明品の数々。(これはヒントだ!日本に帰ったら私もブラスシリーズを作るぞ!)

街角で飲んだシュエップス・ソーダが美味かった。

トラディショナル万歳!


繁華街のデパート、ショッピングセンターを勉強した。



季節は丁度8月末。

ブラウントーマス百貨店のウィンドウは“BACK TO SCHOOL”。

そしてさすがにここはアイルランド、近所には渋いドネガルツイード屋さんが点在した。

店内には、ホームスパン、ダイヤゴナル、へリンボン調が主に並び、英国柄のガンクラブチェック、グレナガ―ドチェックもあった。

形は3Bの脇ダーツ入りが多く、さすがにブリティッシュスタイル。

上着類はだいたい100200ポンド、帽子類は1020ポンドだった。
この伝統のツイード味わいはなんともいえず良い。

Kent社使用のスコットランドのハリスやディクソンズよりも、もっと素朴な風合いであった。

そして、驚くべきことを発見した。
ダブリンの伝統紳士服店の表示は、なんと!“MEN’S SHOP”ではなくMAN’S SHOPだった!

(なぜだろう?昔もっと真面目に英語を勉強しておけばよかった!
 こんな時、藤代先生がいてくれたらなあ・・・!)
     
       『あい どんと のー!!!!!!


会長曰く
「これは“誰にでも”ではなく“貴方だけに”という意味が強いのではないか? Kent-Shopもそうしたら・・・?」

トラディショナル万歳!

さて夕方、アイリッシュ・ウィスキーのタラモアデュー社を訪問した。
VAN副校長の高木社長は㈱SHOP&SHOPS、スコッチバンクの社長でもある。
(※石津謙介・大川照雄・高木一憲の創業3者名をもとにして
Kentブランド名は考えられたのである。)

「・・私は、創業仲間であったKen、Takagi、TeruのイニシャルからKentのブランド名を創った。ケンタッキー、ケンテル名も同様である。」・・・石津謙介。



石津会長と高木社長御両名はあたたかく出迎えられた。


さて会長曰く、
「日本では、スコッチもアイリッシュも、ウイスキーと呼ぶが、スコットランドでは、“WHISKY”アイルランドでは、“WHISKEY”と書く。どちらも語源はアイルランド語の“UISCBEATHA”である。きょうはウイスキーの故郷を、充分に味わってみようではないか。」

それにしても、大規模な蒸留工場であった。圧感の巨大施設であった。その規模は、かつて見た余市を上回っていた。

そして見学の後は、社内のパブで、モルト、グレイン、ブレンドとしこたま飲ませていただくのであった。(ウフフ)

トラディショナル万歳!

(・・日本では、もっぱらトリスを愛飲していた私だったので、高級ウイスキーとなると、つい飲み過ぎてしまい、すっかり出来上がってしまうのでありました。)


ダブリンの飲み方は、アメリカ風オンザロックではなく、
常温のウイスキーをチェイサー(水)と交互に楽しむスタイルでありました。名物のギネスもとてもぬるかった。
(何でも冷やして飲むのは、アメリカ人と日本人だけらしい。)


そして“スローンタ”を何度も繰り返しながら、ダブリンの夜は更けていくのでした。


・・・ウイ~、We好き~!


・・・会長も高木社長も大泉課長殿も真っ赤でありました・・・。      






・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・つづく









“VAN SITE”ZOKU-SEISHUN VAN NIKKI 54
Copyright(C) IDEAKONA. All Rights Reserved.