続・青春VAN日記54
ケント社の巻 その21(1983年夏)
<石津謙介アイルランド漫遊記3・ダブリン>
一行は、ダブリン市内のグレッシャムホテルに宿泊した。
本来の私ならば、一生縁が無いであろう一流ホテルである。
部屋には上質のバスローブにリネンとコスメチック。
猫足のバスタブには金色に光り輝く真鍮製シャワー、山盛りに泡立てたシャボンの中から顔をのぞかせ、足を伸ばしてゆったりとくつろぐ。
氷バケットの良く冷えたアペタイザーをグラスに注ぐ。
バスローブ姿の温まった身体に発泡ワインがしみわたる。
(これが、いつも洗面器をかかえて神宮湯に通う私の姿だろうか?
・・・はたまた “男はつらいよ”の夢のイントロ妄想シーンか?)
ディナーは上着・ネクタイ着用のドレスアップスタイルだった。
まるで、洋画の1シーンのようなシャンデリアの輝く上流世界に、石津会長と同席し、溶け込んでいる自分の姿が信じられなかった。
はたして私の前世はアングロサクソンの貴族であったのだろうか?
(それは間違いです。たぶん部屋住みの貧乏御家人の三男坊です)
これは夢ではなかった。
翌朝、シモンズベッドのさわやかな目覚めを迎えると、素晴らしいアイリッシュ・ブレックファーストが待っていた。
美味しいパンとベーコンエッグ、ソーセージ、マッシュドポテト。
ティーポットサービスのモーニングティー、(紅茶がすごく美味い!)
よく冷えたフレッシュオレンジジュース、フレッシュミルク、
(牛乳の味が日本と違う!濃くて美味い!)
フルーツの盛りあわせ。
うーん、大満足!(東京での納豆朝食とは別世界だ)
本日の予定は夕刻のタラモアデュー工場訪問ということなのでそれまで昼間は自由行動である。
同室の鳴島社長とダブリン市内に散策に出かけた。
<トラディショナルタウン・ダブリン>
歩いてみると改めて歴史を感じさせる街並みが素晴らしい。オコーネルストリート、オコーネルブリッジ・・・。
そして、“トリニティ・カレッジ”が素晴らしかった。
バーナードショウ・オスカーワイルド・ガリバーのスイフト等、世界の文豪を生んだ1591年創立の名門大学である。
そして、マイフェア映画のヒギンズ教授のライブラリーを百倍にしたような図書館・ロングルームには、あたり一面革表紙の古書と古代ゲ―ル語で書かれた初期キリスト教のダロウの写本も存在した。
広大な校内は石造りの重厚な校舎群と緑の芝生で構成され、キャンパスにはツイードジャケットにウールネクタイ姿の教授達!
セーターにショートパンツ姿、パーカをはおった学生達・・・!
素晴らしい! これはまるでTAKE IVYのルーツだ!
米国アイビーリーグ校の原型とも言うべき大学だ!
(※ちなみに、オックスフォード・ケンブリッジ創始は13世紀。ケンブリッジ出身のジョン・ハーバードがハーバード大学を創立したのは1636年、ブルックスブラザース創始は1818年である)
トラディショナル万歳!
ナッソーストリートの紋章屋・楯屋を訪ねた。アイルランド名家の系図、そして紋章がズラリと並ぶ。
数あるファミリーネームの中にケネディ家の紋章ならびにストーリーも発見出来た。“THE COAT OF ARMS”(紋章学の本)を購入した。
また近所には真鍮屋さんもあった。クラシックなドアノブ・蛇口・置物・用途不明品の数々。(これはヒントだ!日本に帰ったら私もブラスシリーズを作るぞ!)
街角で飲んだシュエップス・ソーダが美味かった。
トラディショナル万歳!
繁華街のデパート、ショッピングセンターを勉強した。
季節は丁度8月末。
ブラウントーマス百貨店のウィンドウは“BACK TO SCHOOL”。
そしてさすがにここはアイルランド、近所には渋いドネガルツイード屋さんが点在した。
店内には、ホームスパン、ダイヤゴナル、へリンボン調が主に並び、英国柄のガンクラブチェック、グレナガ―ドチェックもあった。
形は3Bの脇ダーツ入りが多く、さすがにブリティッシュスタイル。
上着類はだいたい100~200ポンド、帽子類は10~20ポンドだった。
この伝統のツイード味わいはなんともいえず良い。
Kent社使用のスコットランドのハリスやディクソンズよりも、もっと素朴な風合いであった。
そして、驚くべきことを発見した。
ダブリンの伝統紳士服店の表示は、なんと!“MEN’S SHOP”ではなく“MAN’S SHOP”だった!
(なぜだろう?昔もっと真面目に英語を勉強しておけばよかった!
こんな時、藤代先生がいてくれたらなあ・・・!)
『あい どんと のー!!!!!!』
会長曰く
「これは“誰にでも”ではなく“貴方だけに”という意味が強いのではないか? Kent-Shopもそうしたら・・・?」
トラディショナル万歳!
さて夕方、アイリッシュ・ウィスキーのタラモアデュー社を訪問した。
VAN副校長の高木社長は㈱SHOP&SHOPS、スコッチバンクの社長でもある。
(※石津謙介・大川照雄・高木一憲の創業3者名をもとにしてKentブランド名は考えられたのである。)
「・・私は、創業仲間であったKen、Takagi、TeruのイニシャルからKentのブランド名を創った。ケンタッキー、ケンテル名も同様である。」・・・石津謙介。
石津会長と高木社長御両名はあたたかく出迎えられた。
さて会長曰く、
「日本では、スコッチもアイリッシュも、ウイスキーと呼ぶが、スコットランドでは、“WHISKY”アイルランドでは、“WHISKEY”と書く。どちらも語源はアイルランド語の“UISCBEATHA”である。きょうはウイスキーの故郷を、充分に味わってみようではないか。」
それにしても、大規模な蒸留工場であった。圧感の巨大施設であった。その規模は、かつて見た余市を上回っていた。
そして見学の後は、社内のパブで、モルト、グレイン、ブレンドと、しこたま飲ませていただくのであった。(ウフフ)
トラディショナル万歳!
(・・日本では、もっぱらトリスを愛飲していた私だったので、高級ウイスキーとなると、つい飲み過ぎてしまい、すっかり出来上がってしまうのでありました。)
ダブリンの飲み方は、アメリカ風オンザロックではなく、常温のウイスキーをチェイサー(水)と交互に楽しむスタイルでありました。名物のギネスもとてもぬるかった。
(何でも冷やして飲むのは、アメリカ人と日本人だけらしい。)
そして“スローンタ”を何度も繰り返しながら、ダブリンの夜は更けていくのでした。
・・・ウイ~、We好き~!
・・・会長も高木社長も大泉課長殿も真っ赤でありました・・・。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・つづく
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