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“VAN 99 HALL”が創られた経緯について
“VAN 99ホール”は“ヴァン・キューキュー・ホール”と呼び
決して“ヴァン・キュウジュウキュウ・ホール”などとは言いません。
念のため!!


【 19○○年、多分72年ごろだと思われます、石津社長がある目的のために渡欧することになりました。
その目的とは、あのピエール・カルダン氏とパリで会う事。氏の招きでパリ行きとなったらしいのです。ただカルダン氏が石津社長を招いた具体的理由までは残念ながら不明です。
パリに滞在中のある日、セーヌ河畔にある“エスパース・ピエール・カルダン”いわゆるカルダン劇場へ招待され、そこを訪れる事となりました。
その劇場は以前『アンバサドゥール劇場』と呼ばれ、数々の演劇やらショーホールとして使われていたようです。劇場の中は客席が60ほど有り、客席の広さより舞台スペースを大きく取ったもので、よくある日本の劇場などとは広さ配分で逆のレイアウトでした。
1970年にカルダン劇場となった頃は、アメリカよりアーティストを呼び、主にJAZZ演奏会を行っていたという事です。

その劇場空間と役割をつぶさに見、心に留めた社長は、帰国するや否や、アルフレックスのスタッフに対し、『VAN356ビルの1階をカルダン劇場と同じ様な空間にせよ』との命を下しました。
窓口役として計画室の発智部長を任命し、早々に改装工事は始められました、時は1972年後半と推測されます。

99ホールの目的はまず『VAN社内のイベント、展示会や研修会を実施する場としてスタートするように』と社長からの指示が有り、その後、地域貢献のためのスペースとして活用する計画だったようです。

ある時、その工事を見ていた宣伝部の山口氏は、その場所に何が出来上がるか等はまったく知らず、自らの興味から計画室に赴き、発智部長から工事の詳細を聞き出したという事です。その後ますます好奇心をかき立てられた山口氏は、素早く99ホールの運営に関するレジュメをしたため、今度は社長室へ直談判に向かいました。
そこで99ホールに対する自分の考えを社長に説明すると、石津社長は、『君は99ホールに興味が有るのか、それじゃ運営を任せるからやってみろ』、とその場で運営責任者に着く事がほぼ決まってしまったそうです。
その後所属の宣伝部部長神吉ヘッドに、『山口君に99ホールを任せるから宜しく』と言ったかどうかは判りませんが、担当部長には事後承認をとる形となったようです。 】

・・・・・VAN JACKET では、自分の考え方を具体的にプランとして打ち出し、社長に直訴するなり、または、何らかの機会を作り持論を展開し、認められると、そのプランが具現化するという風潮が有りました、99ホールの他にも北海道の牧場“VAN STATE”や“Information Desk・通称ID”、(今流行の広報です) などもこうした経緯から創り上げられたセクションでした。これらのセクションの事は機会が有ればご紹介していきます。・・・

当時青山一帯には、劇場はおろか専門のイベントスペースもなく、この種の施設の言わば空白地帯だったようで、山口氏は自分の思いの丈を実現すべく動き出す事になります。(以上
山口氏談)
しかし、VAN99ホール設立のアイデアソースが有能なビジネスマンでありまた著名なデザイナーのピエール・カルダン氏と深い関係が有るとは夢にも思いませんでした。
事実は小説より奇なり・・・、ですかな、驚きです。
 



上の写真はVAN99ホールのモニタールームから舞台を撮影したもの。
写真には写っていませんが、この客席左側カーテン奥にはアメリカン・フットボールのゼッケンナンバーがプリントされたアルプススタンド様の木製階段ベンチ ( 下の写真でご覧いただけます ) が有り、
全体で99名 ( +α ) ほどが入場できるスペースでした。客席用の椅子はもちろんアルフレックス社製。




上図はVAN99ホールのレイアウト図です。その上の写真は、レイアウト図中の赤矢印の位置から
左方向、舞台を撮影したものです。






下の写真はVAN99ホール入口、右側には “ Caffe Espresso 356 ” が。

入り口部解説



“ Caffe Espresso 356 “ のカウンターでコーヒータイムを楽しむ、???誰だっけ・・・。
右側カウンター内でみんなと同じようにコーヒーを飲むのは、えーと確か松倉フーズの社員、つまりカフェ・エスプレッソ356の店員さんの・・・・・・のはず!! 



“ Caffe Espresso 356 ” のマッチ ( 未使用 )
が見つかりましたのでアップいたします。2013/9/27




“ エスパース・ピエール・カルダン ” の入口です。
雰囲気はVAN 99ホールのモダンなイメージとはまったく違い、歴史を感じさせる佇まいです。





“VAN 99 HALL”のスタッフルーム入口ドアにかかっていたドア・プレート。
“SHURE”のロゴマークが入っていますが、はたしてSHUREで作ってくれた物なのか、はたまたSHUREのスティッカーを貼り付けた物なのか、ハッキリしません。





“VAN 99 HALL”で使用されていたマイクです。
モデルは往年の名器 “ SHURE SM58 ”、VT販促部友人宅で2本見つかりました。





● こけら落としから2年ほど経った1974年に、99ホール担当の「宣伝2課」スタッフにより撮影された“VAN 99 HALL”の貴重な写真が提供されましたのでご紹介いたします。

以下を拡大できますので、その臨場感をお楽しみください。




上は、同じ状態で撮影された“VAN 99 HALL”の1974年11月の日付が入った写真。




 さらに“VAN 99 HALL”のこれまた貴重“ロゴタイプ”もご紹介いたします。




また、上8枚目の“VAN 99 HALL”入り口写真をクリックしてみてください。
当時の入り口周辺の詳細が分かります。





“ VAN SITE ” VAN 99HALL 1
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