青春VAN日記45
新宿三越の巻 その7(1975年10月)
VANメンバー達は、だいぶ私に打ち解けてくれるようになってくれた。 皆だんだんとボタンダウン・シャツを着て出勤するようになってくれた。(これもJAZZのおかげか?)。
そうこうしているうちに、売場は、秋冬物の最盛期のシーズンを迎えることとなった。
ある日、私は伊東主任から事務所によばれた。
「最近、ヨーロピアンスタイル全盛の新宿地区の中にあって、我が店はトラッド系商品の売上が好調なので、当店紳士服売場の今期秋冬のテーマを“TRAD”に決めた。10月より“トラッドフェア”を開催する。ついては売場入り口正面の“大ディスプレイ”製作をVANさんにお願いしたい。」
・・・やった!(これもフロッシャム部長のお力か?)
私は「喜んでお受けします。」と本社確認もせず即答してしまった。
これでわが社の売場内商品シェアは、確実に増大するだろう、と喜んだ。
期日まで余裕期間もそうないので、早速本社販促へ業務依頼の連絡をとった。
・・・ところがところがである。たよりにしていたV社販促・三田村先生の返事のお言葉!
「わりい、わりい。その日はもう銀座地区のスケジュールで一杯なんだ。わりいねえ。・・・」
私は、目が点になってしまった。「そんな!もうお受けしてしまったんです。お願いします。なんとかなりませんか?」
私は顔面蒼白となってしまった。・・・天下の三越との約束である。
(私は、一瞬、“首”を覚悟した)
「あのねえ、このシーズンは全国店舗からの依頼で、俺ら販促は手がいっぱいなんだあ。わかるだろー・・・。そうだ! おまえ、こないだの本社展示会の時、遊びに来たから、ディスプレイ教えてやったじゃないか!・・大丈夫、大丈夫、おまえなら。・・おまえがやんなさい!」。
(そんな・・・こちらは真っ青なのに、いつもの明るい乗りなんだから全くもう・・・。)
ええい!こうなったら俺も男だ!あとは野となれ山となれ!だ。自分ひとりの力で、どこまで出来るかやるだけやってやる。コンチクショウ、火事場のくそ力を出してやる!
アパートに帰った私は、商品数量確保の段取り計画と、畳4枚の広さの大ディスプレイ案を、必死になって考え続けたのであります。
そして、「秋の日のツイ−ディな男の一日」のテーマで、ボディ8体と小道具を使った構図を絵に書き、商品計画書を手にすると、フロッシャム部長室へと向かったのであります。
私のいつに無い真剣な表情を見た岡田部長は言った。
「・・・そうか、わかった。君の軽率な行動は褒められた物ではない。しかし、この計画どおりに出来るかね?・・・それならば、やってみなさい。課長、主任には黙っていよう。・・・必要ならば、この部長室にある家具やアンティークを使いなさい。三越の名に恥じないものを頼むよ!・・・。」
私は初めて男に惚れた。
デパートではイベントの施工工事は、前日の夜間に夜を徹して行われる。私は、自宅アパートの周りで集めた枯れ葉や、私物のアンティーク小道具などを、昼間のうちに搬入しておいた。部長室からアンティーク机と椅子をお借りした。雑誌で見たあのブルックスブラザースのウインドウをイメージしながら、一人で死に物狂いに飾りつけた。夜中の2時に完成した。アパートに帰って死んだように眠った。
翌朝、早めに出勤すると、岡田部長がすでにディスプレイの前に立っていた・・・。
ディスプレイに借用した部長の机の上には、部長のパーカー・モンブランらといっしょに、
メル・トーメの“AUTUMN IN NEWYORK”。シナトラの“AUTUMN LEAVES”。
そしてケントノベルティ“Kent HEYDAY!”のLPレコード(くろすとしゆき監修)。
部長がひと言、「ご苦労さん。・・・よく出来ているじゃないか!」・・・!うれしくて涙がこぼれそうになった。
かくして、新宿三越の秋冬繁忙期は始まった。 ・・・・・・・・・・・・・・・・ つづく
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