青春VAN日記47
新宿三越の巻 その9(1975年11月)
店頭が繁忙期に入ると、V本社からは、いろんな部所の社員が交代で販売応援にやってくる。
中には本当におもしろい社員がいたりして、我々販売社員にとっても、どんな人がやって来るのか、毎日楽しみであった。また、内地の情報を聞く貴重な機会であった。
それにしても、なんで我が内勤社員は、こんなに面白い人間が多いのであろうか?(奇人、変人もいる。)まるで人間博物館のようだ。先輩社員が来れば奢ってくれるし、同年輩が来れば話しに花が咲くし、後輩や女子社員が来ればうれしいし、大歓迎である。
向こうも、中には面倒くさいと思いながら不安な心で応援にやって来る人もいるのであろうが、私達が喜んでいるのを見ると、嬉しくなるらしい。店頭では同胞意識からか、すぐ仲良くなれ、本社では話せないような事まで、なんでも話してくれるのだ。
さあ、今日はどんな人が手伝いに来るのかなあ。・・・
開店と同時に、一人の男が売場にヒョコヒョコと入ってきた。
いきなり「すいません、トイレはどこですか?」
「え?はい。あちらでございます。」
「どーもー、」・・・と言いながら、男は小走りにトイレへ走って行った。
なんだよ、朝一番でトイレ客かい。「こいつは朝からウンがいいやあ。」なんて事を言っていると、しばらくして男がキョロキョロとまたやって来た。
「先ほどはドーモ。おかげでスッキリしました。」
「それはそれは何よりでした。デル・デス・デン・デム。出る・出る・出るよう、でしたね。」
「ええ、そうです。イッヒ・フンバルト・ダスト・ウンチでした!ウヒヒ。」
おお!なんと!こやつは出来る!只者ではない!クセ者だ!・・・。
(ちゃんちゃん!)
「実は私はVANの販売手伝いで応援に来た者ですが、VANの横田さんはいませんか?」
ふたりで同時に「えーっ!あなたが?」。
・・・この男はどこから見てもV社員には見えなかったのだ!
一口で言えば“青年の遠藤周作”。黒ぶちセル眼鏡を掛け、髪の薄いその顔は、若いのか、老けているのか全く見当がつかない。流行型でないジャケット、年季の入ったリーガルの靴。その姿からは、“弊衣破帽”・“杜の都”の香りがプンプンと匂ってきた。靴より下駄が似合いそうだ。まるで旧制高校の匂い。口を開けば“デカンショ”が飛び出してきそうだ。ウォーキング・アンティークだ。うーん素晴らしい!これこそ個性だ!気に入った!
「私は、総務の00と申します。74年入社です。今日はよろしくお願いします。」
・・・今日はまた、なんとも凄いのがやってきたね。・・面白そう!
「ところであなたは、第2外国語は独語だったの?学校はどちら出身ですか?」
「はい。東北大学で日本古代史を専攻しておりました。」
おおー!やったあ。こりゃまた結構。本物だ!もう最高!
「実は私も、日本古代史が三度の飯より好きでねえ!学生時代には東大の井上光貞先生や教育大の和歌森太郎先生の本を夢中になって読んだもんですよ!
ところであなたは“邪馬台国”は畿内説と九州説とどちらを取りますか?・・」
「倭人は帯方の東南大海の中に在り、旧百余国、・・・末盧・伊都・奴国には異論が無いが、不弥国より水行20日、投馬国はどこに当てはめますか?・・・」
「ちょっちょっと横田さん待って下さいよ、きょうは販売手伝いに来たんです。」
「そうか、じゃあ、閉店後はいいだろ。飯おごるからさあ。今日は1日、放さないよ!・・・」
昼休み・・・
「ところで、宋書倭国伝の賛弥済興武、倭の五王は応神朝の誰を当てはめる?」
「横田さん、夜まで待ってくださいよ。まいったなあ・・・」
と、・・・こんな楽しい事もいっぱいありました。
ところで、この本社の遠藤周作氏は誰だったのでしょうか?どなたかご存知の方がいたら、小生まで教えてください。素敵な社員でした。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・つづく
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