青春VAN日記53
新宿三越の巻 その16(1976年1月)
正月の百貨店売場は実に華やかな世界です。
とりわけ着物姿で着飾った女性販売員達の勢ぞろいした様は、さすが呉服の三越ならではと、見とれるほどのあでやかな風景でありました。いずれがアヤメかカキツバタ。
・・・本社内勤の同期達によく言われたものです。
「販売職は、若い女性達に囲まれて仕事が出来ていいなあ!」
・・・彼らは何もわかっていない。百貨店のほんの表面しか見ていない。百貨店の“大奥”と呼ばれる女性社会の恐ろしい実態を知らないのだ。・・・
<きれいな花にはトゲがある>
おもえば、バンカラ男子高校出身で女性とは全く無縁の生活を送ってきた私は、「すべからく女性というものは、皆、マリア様のように温かく、観音様のように慈悲に満ち、美智子様のように優しく、吉永小百合様のように美しさと教養を備えたものであり、男が守ってあげなければいけない、か弱い生命体だと思っていました。・・・」
ところが、実社会の大規模女性集団社会に入ってみると、“見ると聞くとはなんとやら”。そこでは職場の役職とはまた別の女性社会が存在していたのです。
店配属時に、お局様女性店員から「挨拶が無い」といって呼び出されて脅されたり、社食で昼食を食べているその目の前で集団でパタパタと化粧されたり、休憩室では、あぐらをかいてタバコを吸いまくる女性がいたり、延々と、他人の悪口やうわさばなしをしゃべり続けるグループを見たり、
新人の可愛い娘が入って来ると、集団でいじめる女性達を見たり、男を取ったの取られたのと、裏で取っ組み合いのケンカをしているのを見たり、
酒をのむと、ウワバミの様になって絡んだり暴れたりする女性がいたり、
社員トイレを掃除すると、男子用より女性用のほうが使い方が汚かったり・・・。
そして集団で、主任をつるしあげたりする力を持っていたのです。
百貨店配属のおかげで、とうとう女性達の現実の姿を見てしまいました。(もちろん、ほんの一部の女性達なのでしょうが。)
「ああ、知らないほうが良かった。」
・・・私の頭の中の“大理石のマリア偶像”は音を立てて崩れたのであります。
私が思春期に達した頃、父が言っていました。
「女というものは怖ろしい。近寄ってはならぬ。」
私はそれがどういう意味かよくわからなかったが、百貨店のおかげで少し理解できた。
女性のことを“心優しい、かよわい可憐な生命体”などと認識していると、とんでもないことになる。
可愛い仮面の下にかくれたその実体は、男の何倍も強力な“生命力”を隠し持ち、“コッテ牛のように頑迷”で、“恐ろしい執念深さ”を併せ持つエイリアンであった。
好きな男の前では、少量の食事で「もうおなか一杯なの」などとのたまい、一杯の酒で「私、酔ってしまったわ」と演技ができる女性は、全員が女優である。単純な男などはひとたまりもない。
“かよわい可憐な花”などと思い込み、毛皮のコートなどをプレゼントしている貴方、今の貴方の立場は、“新撰組に囲まれた鞍馬天狗”よりも危険ですよ!
・・・貴方も一度百貨店の社員休憩室で女性たちを観察してみてはいかが?
ああ!「心やさしい野菊の花」のような女性はいったいどこにいるのだろうか?
また、百貨店では、悲惨な、女性の転落のパターンも数多く見てしまいました。
・・・春になると、化粧っ気も無く純真な笑顔が素敵な女の子達が売場に配属されてくる。
まずは売場の軽薄なプレイボーイどもにちやほやされ、ナンパされて遊びを知ってしまう。
悪い女性先輩達にも教育され、化粧と酒とタバコを覚えさせられ、数ヶ月であっという間に毒々しい厚化粧になってゆく。身に付ける物がどんどん派手になってゆく。年頃の娘はやがて男遊びに夢中になってゆき、ディスコに、クラブにと浅薄な恋の遍歴を重ねる。
中にはお客様にみそめられ、玉の輿に乗る人もいる。売場内結婚する人もいる。
しかしながら花の命は短い。数年も経つと、男達の声もかからなくなってくる。
だが百貨店で身に付いた派手な生活は止められない。当然、派手なブランド品を手に入れたり高級店で遊ぶには、販売の安給料では足りない。悪い仲間に誘われて、夜のアルバイトなどを始めてしまう。そんな世界では、女性の幸福を真剣に考えてくれる人などいない。そのため平凡なサラリーマンの奥さんになる事も出来ない。気が付くと適齢期をすぎている。あせったあげく悪い男に引っかかる。そして大魔界“歌舞伎町”に落ちていくこととなる。
ああ無情!華やかに見える百貨店女性の悲しい女工哀史!
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・つづく
《 横田氏は販売部所属の頃、よっぽどヒドイ眼にあったのだろうか。
それとも女性軍の実態とはこんなにも、すごいものだろうか。
うぶ?な管理人 》
|