青春VAN日記77
本社営業の巻 その20(1976年8月)
<76年夏休み>
ようやく夏休みが取れた。
私達営業職は、お得意様都合の仕事なので、いつ休みが取れるのかは直前まで分からない。担当が留守にならないように交代で休みを取るからだ。
だから数ヶ月も前からの立派な夏休み計画は立てにくい。それでも「せっかくの休みだから、どっかに行こうぜ?」という話になった。
丸井グループ、佐野・横田・富川嬢の3名である。冷房の無い独身アパート生活者達である。いつも事務でお世話になっている富川さんの希望は
「私を海に連れてって」
・・・で、海に行こうということになった。
しかし、突然のことで見当がつかない。
予約など面倒だし、どうせどこも満員だ。
「佐野んちは小田原だから湘南方面は詳しいだろ?
いいとこ知らないか?」
彼の家は小田原の老舗「鈴木製餡所」である。
「う〜ん・・・そうだ横田!おまえ学生時代に“初島”でバイトしてたじゃないか。あそこなら知り合いだから、いつでも行けるじゃないか。」
と佐野が言い出した。・・そしてそれで決まってしまった。実に乱暴な話である。
「俺も連れてってくれ。」
後ろで聞いていた緑屋担当の竹山君が突然発言した。
どうやら、妻帯者の彼も寂しい夏休み状況だったらしい。
「俺も行く!」 今度は同じく同期営業の宮代君だった。
「俺も行くって言ったって、お前さんの実家は目の前が海じゃないか?」
「いや、ヒマなんだ。」どうやら同様にアブれていたらしい。
彼の実家は、平塚のメンズ・ショップ「浦川屋」さんである。
てなわけで、無計画グループの面々は熱海港から連絡船に乗るのであった。新幹線の時間も連絡船の時間も全然調べない。いきあたりばったりである。
懐かしい東海汽船のパイオニア号に乗り込むと、心地良い潮風に学生時代がよみがえる。デッキから眺める船の白い航跡は、5年前と変わらない。
正面に初島。右舷遠くには、網代港。左舷沖には遠く真鶴・三浦岬も見える。この小さな島には、私の夏の思い出がいっぱいなのである。
・・東京農大の友人達から引き継いだ夏季・海の家の学生アルバイト。初島民宿・木村屋さんでの1ヶ月あまりの海の生活でした・・。
布団の上げ下ろし、食事の用意・後片付け・客室の掃除に始まって、漁船“金蔵丸”で木村屋の小父さんと漁に出たり、“海の家”でさざえを焼いたり、貸しボートの番をしたり、バーベキュー大会のエレキバンドで踊ったり、・・・。
♪「ふたりを〜ゆうやみが〜つつむ〜この窓辺に〜
あしたも〜すばらしい〜しあわせが〜くるだろう〜・・・」♪
なんて “若大将”をまねしていた学生時代!
仲良くなった“スミちゃん”のような可愛いガールフレンド達は今何処へ。
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スミちゃんのような可愛いガールフレンドたち・・・? |
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・・・あれからはや5年、いまや私も社会人か。
思い出に浸る間もなく、船は30分で初島港に到着である。
シーズンであっても、この島は熱海から10km離れただけなのに、混雑していない。湘南海岸や江ノ島あたりのイモを洗うような混雑が、うそのようである。
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1960年代の江ノ島、七里ガ浜風景
アザラシorペンギンのコロニー・・・? |
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「こんにちわー、お世話になりまーす」
挨拶もそこそこに、木村屋さんに荷物を預けて、御一行の面々はさっそく“バケーション・ランド”に向かう。
ここは、あたり一面に熱帯植物が生い茂り、気分は正に“熱帯の楽園”である。そして、太平洋に面した大プール。
佐野君、宮代君と私はひたすら泳ぎまくる。
竹山夫妻と富川さんはオイルを塗ってひたすらサン・バーン。
(いや、サン・ベーキングかもしれない。マッ赤ッカ)
さんさんと降り注ぐ夏の太陽、プールサイドにこだまする若者達の歓声。
紺碧の青空には真っ白な入道雲。
寄せては返す太平洋の波の音。
沖合いに白波をたてるクルーザーやヨット。
遠く水平線に浮かぶフェリーや貨物船の船影。
暑くほてった身体を通り過ぎる潮風の心地良さ。
そして、
サザエのつぼ焼きをフーフーしながら飲む冷えた生ビールのうまさ!
♪「夕日赤く〜地平の果て〜 今日も沈み〜時は逝く〜・・・」♪
私達のささやかな“夏の日の思い出”でありました。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・つづく
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