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青春VAN日記91

本社営業の巻 その34(1977年夏)

<北海道サイクリング旅行A>

 ・・・幸か不幸か、社内共通の悩みをかかえた私達は、かかる傷心を抱いたからには、果てしなき旅に出かけねばならぬ。と考えた。(実にいいかげんな論理だ!)

かかる泥炭の苦しみを味わったからには、傷心の旅に出たとて、どうして人に後ろ指を指されることがあろう。いざ行かん、行きてまだ見ぬ北の国を見ん。

こうして複雑にして理路不整然かつインチキくさい論理によって、目的地・北海道は決まったのである。

北国の果て、遠い北海道!のイメージ。(北海道の皆さんごめんなさい)

つらい男は、一度は寅さんのように、郷愁に満ちた旅をしてみたい。

その味わいのために、わざわざ飛行機ではなく、船のフェリーにしたのだ。(本当は、交通費が安かったからだ。)

だが、上陸してみると、あまりにもあっけない。

“ハールバル来たぜハーコダテ〜”、というような感慨があまりないのだ。

となりの千葉県の金谷へ来たような感慨しか湧かないのである。こんなことで、果たして悩める私達の心は癒されるのだろうか?

と、前途に不安を抱きつつ、山道をローギヤで登る私達であったのだが、その心配を打ち崩してくれたのは、まさしく人ひとりいない山道での

「熊に注意!今年の犠牲者十数人!」の立て札であった。

深緑の山中で心底から北海道を感じる事が出来た!

感じすぎて鳥肌が立った。

しょっぱなの支笏湖の山道は、痙攣をおこす人も出るくらい北海道だった。

美しい支笏湖の自然を充分に味わい、午後は山道の爽快な下りを楽しむ。

きょうの宿泊地は札幌である。例によって手配は何もしていない。

予定どおりの、計画どおりの旅というものはつまらないのだ。

予期せぬサプライズこそが旅の味わいだ。(石津校長先生のパクリです)

早めに札幌に到着した私達は、時計台・道庁・北海道大学などを見学し、VHVAN札幌営業所)に挨拶に行く。

(本当は、札幌営業所の総務課でホテルを手配してもらったのだ。
                        ウヒヒ。)

市内のホテルにチェックインを済ませた御一行は、早速、ススキノへと繰り出した。酒も肴もラーメンも、さすが北海道であった。大満足!

そろいのTシャツで人目を集めるキャンペーン・ボーイズ達は、行く先々で、地元のオネーちゃん達を相手に、一大キャンペーン活動?を繰り広げるのであった(アホか!)。

2日目は、小樽、余市、岩内のコースである。

小樽には豊富な北の魚介類・寿司屋がしこたまある。
もちろん昼飯はここだ!

そして余市には有名なニッカ・ウイスキー工場がある。
ここではモルトの試飲が出来るのだ(タダで)ウヒヒ。

積丹半島をこえた岩内は、イカつり漁の港である。
イカ料理食べ放題だ!

・・・イカンイカン、どうも旅の主旨が違ってきているようだ。

札幌を出発し、1時間ほど快適に走ると、銭函あたりで海が見えてくる。

おー!石狩湾の北の海だ!美しい!

・・・待てよ、北の海がこんなに明るく綺麗であって良いのだろうか?

いままで、演歌や小説で創り上げられてきた北海イメージと違うではないか!もっと重苦しい暗い海を想像していたのに!

森進一、北島三郎、石川さゆり、小林多喜二・・・責任を取れ!

(・・北海といえば、昔メンクラで読んだダッフルコートやアランセーターの話 に出てくる北海NorthSeaは、冬の厳しく荒々しい海のイメージだったが、実際に行って見てみたら、穏やかな実に美しい海だった・・・。

VANが昔、バーミューダ・キャンペーンとかケイプ・コッド・キャンペーンをヒットした時も、V社内には現地に行った事のある人は誰もいなかったそうだ。)

・・・どうも事実は知らないほうが、夢を創造できるらしい。

しかしながら、つくづく、“自転車での旅行”とは最高の旅である。弥次喜多珍道中を思う存分味わえる。 

そして、
金が掛からない・健康に良い・時間を気にせず自由に動けるどこでもすぐ行ける・駐車やトイレ、ガソリン等の心配が無い。

なによりも現地の自然も風も人情も、旅を体一杯満喫できる。

小樽では、さしみや寿司をたらふく食い、余市のニッカ社ではただ酒を満喫した。

そして、私達を迎えてくれたのは、夕焼けに染まる真っ赤な雷電海岸であった。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・つづく

           


何やら傷心旅行(Trip to grief)の中身が見えてきたような・・・・・。



1977年7月、北海道旅行、2景









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