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青春VAN日記92

本社営業の巻 その35(1977年夏)

<北海道サイクリング旅行B>

余市から積丹半島を横断し、稲穂峠を越すと、もう鉄路の無い世界である。人間の気配がきわめて薄くなっていく。

眼下に望む、遠く小さな町の軒並みは低く、港には、朽ち果てた廃船。

低く群れ飛ぶカモメ・・・。ああ、ついに来たのだ最果ての地に!


蟹工船はどれもボロ船だった。労働者が北の海で死ぬ事などは、丸ビルにいる重役にはどうでもいい事だった。
資本主義がきまりきった所だけの利潤では行き詰まると“文字どおり” どんな事でもするし、どんな所へでも死に物狂いで血路を求めてくる。 船一艘でマンマと何拾万円が手に入る蟹工船、
彼らが夢中になるのは
無理が無い。・・・

                (小林多喜二・蟹工船より)


「・・・今、我社も同じ目に遭っているのだ・・・。」

と、腰に手を当て、手をかざして遥かな水平線をジッと見つめる。

う〜ん、ポーズがキマッタ! 「どお、写真撮ってくれた?」
            
         ・・・“カァ〜、”

残念!ここでは見てくれるギャラリーは、カラスしかいなかった。

さすがのVAN社員も、キャンペーンのやりようがなかった。

今日の目的地“岩内”には夕暮れ前に到着する事が出来た。そして、目の前に見た“夕日の美しさ!”については、何も“いわない”!

しかし、いったい現実とは、なんと人を裏切るものなのであろうか。

すっかり“詩情あふれる、最果ての町”と思い込み、あたかも“夕日のガンマン”のクリント・イーストウッドのように渋く、町の中に入ったつもりの私達一行は、谷啓氏の“がちょ〜ん”を喰らったようにずっこけるのでありました。

ローカルな、老人ばかりのひなびた町と思い込んでいた予想は大外れでした。
イカ漁の町にはミニスカートの娘もいれば、パンタロンのおねえさんもいた。

女性の姿がやたらと多かった。しかもカワイイ。

はたして、男達は全員が、イカ釣り漁に出てしまっているのだろうか?

まずは、町内に一軒だけと思われる“喫茶店”に入り、今晩の“傾向と対策”(旺文社の教育のたまもの?)についてのVAN臨時営業会議を開く。

すると、おお!さすが根性の販促男(アイスホッケー反則男)だ!

ヒラメのふくらはぎの新庄君が素早い動きで、隣にいたネイティブと思われる若い女性客グループに、私的“キャンペーン活動”を始めた。

「ねえ、僕達は東京からツーリングで来ているんだけど、はじめての岩内で、右も左も分らずに困ってんだ。君達、食事の美味い店を教えてくれないか?どこか泊まれる所を教えてくれないか?」

「君達夕食はまだだろう?よかったらご馳走するから、いっしょに食事しないか?」

・・・さすが、さすが八郎!“お富さん”バージョンだ!

佐野君と力ちゃんも、日頃鍛えた“営業活動商談モード”に入った。

最小費用による最大効果、少ない言葉でいかに相手の興味を盛り立てるか、だ。営業アプローチ・テクニックの基本形だ。

ここがVAN営業マンの腕の見せ所だ?とばかりに口が動き出した。

そして我々一行が、紳士的に東京のVAN社員であることを伝えると
なんと!南都雄二! 

OKよ、なまら付き合ってあげるっしょ! 」

・・・「VANざーい!」

まさしくVAN社の御威光は、日本全国津々浦々に至るまで、あまねく絶大なものでありました。

(・・拝啓、石津会長。申し訳ありません。私達は、神聖な“VAN”社名を、心ならずも、私用のナンパ目的のために利用してしまいました。           
            深く反省しております。)


かくして、私達は、美味しいイカ料理にありつき、楽しい夜の岩内町散策を心行くまで満喫する事が出来たのでありました。

            
 VANざーい!!


   ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・つづく

           


傷心旅行とは・・・・・・・・・・
はたして、こんなもんでいいんでしょうか。





1977年7月、北海道旅行、小樽駅前
右のネイティブ5人組と・・・・・何故か少し間合いを取って









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