青春VAN日記99
本社営業の巻 その42(1978年春)
はじめて新庄君に出会ったのは、青山会館での入社試験の時だった。
ショートのケネディカットに隙のないオーセンティック・アイビースタイル。
そして、手には自作のアタッシュケース。口元にはなんとパイプを咥えていた。
なんというエクストリームな男だと、1番の記憶に残る男だった。
入社と同時に販売促進に配属された彼のところへと、販促部の部屋にいったい何度遊びに来たことだろう。
我がKent参謀長は、きょうもプカリとパイプを燻らせていた。
「・・・おう、お前さんか、丸井さんは売上順調らしいな。さすがだな。
ところで、こんどの日曜日ヒマあるかい、俺とつきあってくれ・・・。
実は、原宿・表参道で、銀座に続いて“日曜歩行者天国”が始まったんだが、そこで、なにやら若者達がおもしろい事を始めているらしいんだ。
俺はさっそく取材に行こうと思うんだが、お前さん地元住民だろ、手伝ってくれ。いいだろ。」
ニッパチの閑散期、さっそく二人はロードレーサーで代々木公園に出かけた。
このあたりでは、3年前のVAN・SCENEの創り出したアウトドア・ブームがきっかけで、すでにテニスやスケートボード・ローラースケート・フリスビーなどの若者達で賑わうようになっていたが、原宿「ホコテン」が始まってからというもの、なにやら新しい集団がいくつも出現するようになっていた。
6車線の広い大通りは、すっかり若者達の群舞する世界と化していた。
まるで若者風俗の国際見本市の様だった。
・・・リーゼントのポマード頭に黒の皮ジャンパーで、狂ったようにツイストを踊るロカビリー風の集団。(映画“イージーライダー”の影響か?)
・・・新興宗教かと間違えるようなヒラヒラした衣装に、気味悪い化粧をして踊る竹の子族とか呼ばれている異様な集団。
・・・3年前の、映画“アメリカン・グラフティ”をそっくり真似たような“60‘sファッション”でジルバを踊る集団。
写真をとりまくる新庄君と私の興味を最も惹いたのは、“アメ・グラ”集団だった。
若者達は、決してアメリカ文化に失望などしてはいなかったのだ・・・!
「来た−!これは来るぞ!・・・50・60年代復刻の大きな波が見えるぞ!」
あの熱病のようなアイビーの流行、“ミユキ族”から早や10数年!・・
第1次アイビーブームの青少年達が父親年代になってしまった現在まで、とぎれなくアメリカ文化を訴求し続けたVANの仕事は無駄ではなかった。
とうとう、流行ではなく社会風俗となったのだ!
「これはアイビー・ルネッサンス到来の兆しだ!こんどは俺達世代のこの手でアイビー・トラッドブームが創れるぞ!」
・・・そして、この思いは私達だけではなかった・・・。
かつてアイビー少年だった男達は、いままで社会の各業界の至る所に、
“隠れアイビー”としてひそみ続け、臥薪嘗胆の日々を送っていたのだった。
私達がアイビー・トラッドの波に気付くと同時に、日本中の“元”アイビー少年達の想いは爆発していくのであった。
メンズクラブ(小久保編集長)、ポパイ(木滑編集長)、平凡パンチ、翌年には、ホットドッグプレス(花房孝典氏)、ブルータス(石川氏)、オリーブ、などなど、たくさんの雑誌がアイビー・トラッド特集を大々的に組むのであった。
そして、メンズクラブ誌では、このムーブメントを“ニュートラッド”と呼んだ。
“隠れアイビー”は媒体関係者だけではない。マーケットはそれ以上だった。
この50・60年代復刻の兆し以後、原宿界隈では、それこそ雨後の竹の子の様に“トラッド・ショップ”が復活していくのであった。
私の学生時代の知人“万里小路さん”店長の“原宿クルーズ”。
あの西武時代お世話になったニューヨーカー “滝口さん”達の“バークレー”。そして翌年には、青学裏に“下山さん”の“ボートハウス”。
続いて“プレッピー”、“キャビン”、“セントマーク”、“ペパーミント”etc。
横浜でも、元町Kent、フクゾー、ミハマ等により“ハマトラ”が大ブレイクすることになるのである。
苦節10年、ようやく私達世代の作るマーケットの時代がやって来た!
「やってやるぞ!日本中の若者にボタンダウンを着せてみせる!」
トラッド部門に力を入れてくれる私担当の“丸井さん”との営業業務にもいちだんと力が入っていった。
そして、1978年4月6日。 私は連休用商品確保のため、日本橋住友倉庫での調品作業に汗を流していた。
・・・それは昼休み直前のことであった。
倉庫内に流れているBGMのラジオ放送からニュースが聞えてきた。
「・・・只今の速報です。紳士服大手の梶gヴァンヂャケット”が、 本日、会社更生法手続きを申請しました。これは事実上の倒産です・・・」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・?
・・・・・・▲#$☆Я£?Б、・・・・・・・・・・・・
そんな馬鹿な????
まさに青天の霹靂であった!
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・つづく
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