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続・青春VAN日記112

ケント社の巻 その79(1985年夏)

<アイリッシュセッタークラブ・アメリカ横断旅行⑬>


サンフランシスコ物語2



さて、開拓者達がアメリカ東部から4千Km離れたカルフォルニアに至るには、三つのルートがあったのですが・・・、

 ○ 南アメリカ大陸南端を経由する舟の旅


 ○ パナマ地峡の舟と陸の横断経由の道


 ○ 幌馬車隊を組んでの大陸横断移動・・・。



新天地を求める大量のフロンティアスピリットの移民にとって、その移動手段は、どれを採っても大変に困難なものでした。

そこには、“西部劇” にも 数多く描かれるような想像を絶する過酷な労苦と無法の世界が待ち構えていたのであります。
(※ミシシッピ川より西方の地を西部と呼んでいた。)

・砂漠での飢えやガラガラ蛇・コヨーテ・熊等の大自然との戦い。
・法の及ばない地での、過激な無法暴力社会での生活。
・ネイティブの地に無断侵入してのインディアンとの紛争。

まさにコルト・ピースメーカーとウインチェスターライフルの、力による新天地の開拓でした。


そして1869年、西部に新天地を求める多くの白人達の欲望と願いとによって、インディアン・中国人・黒人労働者達の大量の犠牲の上に、米大陸横断鉄道が貫通した。
これがアメリカ“大西部開拓時代”の始まりでありました。


やがて大陸横断鉄道が開通したことによって西部人口は急増した。



このため、大平原で平和に暮らしていたインディアン達は、急速に
生活圏を奪われ圧迫されることになった。

合衆国は彼らの豊かで広大な
土地に目を付け、“インディアン立ち退き法” まで制定して侵入と実効支配を始めた。

(※あのニューオリンズ米英戦で名を上げ第7代大統領になるジャクソンは人種差別主義者であり、徹底的なインディアンの虐殺と焦土作戦を実行した。
インディアンの鼻を削ぎ、頭の皮を剥ぎ、ネイティブ人口減らしのために居留地の女子供まで殺させたのは彼の時代である。)


インディアン達は、ついにたまりにたまった怒りを爆発させた。

1860年代から各部族による一斉蜂起のインディアン戦争が勃発した。

この戦争は西部各地で20年以上に渡り続いたのだが、名だたるインディアンの勇者達も、近代兵器の敵ではなかった。

強力な米陸軍や騎兵隊によって、哀れにも酋長シッティングブルや
クレイジーホースは殺され、ジェロニモは降伏捕獲され、スー族、コマンチ、シャイアン、ラコタ、カイオワ、アパッチ族は、皆殺しの目に遭い、滅亡して行くのだった。

(※白人達から見れば、大砲やガトリング銃でインディアンを無差別に皆殺しにするのは国策であったかもしれないが、実にひどい話である。

白人は、マンハッタン島をわずか24ドルで騙し取った事に始まり、広大な大平原地帯に4千万頭もいたバッファローだけで無く、少なくとも1,000万人いたインディアンも、皆、絶滅させてしまった。

これでは“新大陸発見”とか“開拓”では無い!侵略・征服ではないか!

サクラメントやニューヨークの博物館で学んだわずかな知識ではあるが、果してこれが、朝夕にキリストに祈りを捧げ、フェア精神を尊び、自由・平等・博愛を謳った文明人のやる事だったのだろうか?



・・かつて1960年代の日本の娯楽はアメリカ西部劇が一番人気だったが、一方的な白人中心の考え方や非人道的な暴虐行為に、世界の批判が集まり、1970年代には西部劇は次第にマーケットから消えて行ってしまった・・・。

少年時代の私達は、開拓者のバッファロービルやデビ―クロケットの話や、駅馬車、シェーン、OK牧場、黄色いリボン、第7騎兵隊、アラモ等の西部劇映画を、何も考えずに拍手喝采して見ていたのだが、
インディアンはいつでも白人の頭の皮を剥ぐ極悪の存在だった。


あのカスター将軍や騎兵隊をカッコいいとさえ思っていたのだが・・・、実は白人が侵略者だった。頭皮を剥ぎ・女子供まで殺したのは白人の方だった。

そして合衆国の法は、なんと“白人の造反有理・愛国無罪”だったのだ・・。)


嗚呼無常、
これでは、私の大好きだった正義の味方クラーク・ケントの、憧れの国家アメリカの姿とは・・・、違うではないか!

これが“アンクル・サム”の本当の姿なのか?



かくして、ゴールドラッシュによってサンフランシスコは西海岸随一の都市へ急激に発展していった。

サワーブレッドにチリ・ビーンズや干し肉を食べていた人々も、やがて、シーフードやクラムチャウダーや地元ワインもある豊かな食生活になっていった。

1850年 カルフォルニアは米州の資格を得、サンフランシスコ湾は軍港となり、港にはたくさんの舟のマストがはためいた。

そして1852年、米国海軍ペリー提督は黒船艦隊を率いて、
東洋での新たな権益を目指して太平洋に出航するのだった。

1864年 カルフォルニア銀行設立。サンフランシスコ港の発展により街は西海岸の交易の中心地となる。また中国移民の鉄道建設者によって、チャイナタウンが生まれた。

1873年 街にはケーブルカーが敷設され、坂道にもビクトリア様式の家が立ち並び、ゴールデンゲートパークが計画され、学校や教会が建設され、サンフランシスコ要塞は太平洋側における最も重要な軍事施設となった。

1906年 サンフランシスコ大地震が起こり、街の大部分が灰塵と化し、ダウンタウンの中心部はほとんど焼け落ちてしまった。

1915年 サンフランシスコ万国博覧会が開かれ、街は復興する。

1929年 大恐慌を乗り越えて、ゴールデンゲートブリッジの建設開始。街は以前にも増して発展した。

(※軍事要塞だったアルカトラズ(Alcatraz)島は1930年代に刑務所に変更され、
カポネやマシンガン・ケリー等の有名ギャング達が収容された。)

1941年 真珠湾攻撃により太平洋戦争開戦。
サンフランシスコ軍港より米・太平洋艦隊出撃。
ニミッツ、スプルーアンス、ミッチャ―、ハルゼイ等の
指揮する米第七艦隊・高速空母機動部隊により、大日本帝国の誇り “連合艦隊”は、壊滅していった。

1945
年 日本敗戦。サンフランシスコ平和条約締結・・・。

(・・・そして、戦後生まれの“戦争を知らない子供達” の私達世代は、アメリカ指導の“自由・平等・博愛”と、“戦前の反省”を教える“1億総懺悔”の文部省の平和・科学・民主の教育で育った。

戦争を放棄し、経済立国・科学技術立国・教育立国を目指して頑張った日本は、やがて金メダルやノーベル賞も取れる文化国家に成長し、世界第二位の経済大国にまで発展し、戦争を知らない私達世代も、世界に海外旅行が出来る恵まれた時代になった。

そして、憧れの先進国を旅行して文明国の歴史や社会を見聞してみると、けっして世界は“人類は皆兄弟・平和な社会”では無い事を体感した。

どこの国にも、学校で教わった単なる年号暗記の歴史では済まない欲望と殺し合い、憎しみと怨念の残虐非道な暗い過去がありました。

単純1型人間の私は、改めて考えさせられるのでした。

いったい、四大文明に始まった人間の文明とは何なのだろうか?

私は、人間の文明とは殺し合いで成り立った世界だ、とは思いたくない。

人間は紀元前の昔から、哲学や宗教や思想を創りだした“考える葦”であり、地球生命体の中の最高級霊長類のはずなのに、何故、最高悪である戦争や人殺しが止められないのだろうか?

本来、人間社会を幸福に導くものの筈だった「宗教」は、自らの原理を主張すればするほど、異なった考えの人々の存在を否定し、人間に不幸をもたらす“世界の争い”を引き起こしている・・・。

人間に便利な生活をもたらす筈だった「科学」は、戦争の道具となり自然を破壊し、二酸化炭素を増加させて温暖化を招き、放射能やダイオキシンの有害物質を撒き散らしている・・・。

人間の豊かな生活を約束する筈だった「産業」は、人々の貧富の差を創りだし、社会問題や労働問題を引き起こしている。


そして世界の「イデオロギー」はと言えば・・・、資本主義も共産主義も、そして民主主義も社会主義も、もともとは人間社会をより良くするための考え方ではなかったのだろうか?

それなのに、特定の国の主義主張はその他の国の不幸を生み出し、また新たな争いの種を生み出している。



・・・繁栄が破滅を生み出している・・実に矛盾だ・・自滅行為だ。


人間の自滅行為とは、旧約聖書の“ノアの方舟”“バベルの塔”や
“ソドムとゴモラ”の話の様に、いったい神の思し召しなのだろうか?

原子力とは神が近代人間に与えた“パンドラの箱”なのか?

そして、永遠に続く人間同士の争いとは、繁殖し過ぎたネズミが自ら海中に入水してその数を減らすように、生物にとっての“種の保存” “優性の法則” “自然淘汰”と同じく、大自然の摂理や宇宙の法則なのだろうか?

全ての生命体には、生存の欲望があるという。
人間には、支配欲・権力欲・性欲・物欲等の百八つの欲望があるという。

人間は、自らの持つ欲望によって、発展を遂げ、そして破滅してゆく。

・・・欲望には“善”と“悪”とがある。人間社会では、人々に幸福をもたらす行為を“善”と言う。人々に不幸をもたらす行為を“悪”と言う。善の欲望は“理想”や“夢”と表現されるが、悪の欲望とは“犯罪”である。

人間のすべての悪の根源とは・・・、人間誰しもが持っている「自己中心の欲望」の事であろうか。

・・・紀元前の昔から、色々な思想や宗教や偉人や哲人が、“汝自身を知れ” “煩悩を捨てよ” “汝の隣人を愛せよ” “分相応” “人間は、他人の利益を図らずしては栄える事は出来ない” 等々と、人間の愚かな欲望と利己主義を諫めてきたのに、人間とは・・・。 



人間の歴史が長い間求め続けて来た自由と平和には、必ず責任と義務が伴う。社会の大多数の平和は、社会の秩序やルールやマナーを守る事で保たれる。

それなのに人間は、自らの歴史の中から作り上げられて来た規範である十戒や法律や身近なコンプライアンスやマナーすら満足に守れない。

国は、自国権益のためには他国侵入や実行支配をして戦争を始めて、宗教や考え方の違いひとつが元で、殺し合いを始めてしまう。

個人は、自分の欲望を満たすために、相変わらず・殺人・暴力・盗み・詐欺・強姦・痴漢・いじめ・ストーカー等の犯罪行為を繰り返している。

何故人間は、自分の欲望を調節出来ないのか?
何故、金銀財宝や大邸宅やベンツやグッチ・エルメスなんぞを欲しがるのか?何故、神だのみの独善原理主義や御利益信仰にすがる人間が絶えないのか?

いったい自分さえ良ければそれでいいのか? 愛とは自己犠牲ではないのか?


人間とは何なのだ? 欲の亡者か? 鬼畜か悪魔か?
それとも地表に繁殖した抗生物質も効かないパラサイト・ウィルスなのか?
誰の中にも潜んでいる、天使と悪魔の二つの心。

善悪、正邪、清濁、美醜、秀愚、勤惰、・・・絶対矛盾的自己同一?


嗚呼、神は死んでしまったのか?・・・
(ニーチェ?だったかな?)



アルカトラズ マドロス兄ちゃん


サンフランシスコ湾に浮かぶアルカトラズ監獄島を眺めていると、
すっかりと身分不相応な思索の世界に陥ってしまい・・・、
波止場の舟止めに片足乗せて、ニワカ哲学者を気取ったつもりが、
・・・日活映画のマドロス兄ちゃんにしか見えない・・・、
“悟り”には程遠い、平和ボケのトンチンカンな私でありました。


                            
     
                     ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・つづく




アリゾナ州フェニックス郊外、スコッツデール北側にキャメルバック・マウンテンという山が有り、その麓に “ キャメルバック・イン ( Camelback Inn ) ” が有ります。
キャメルバック・イン入口ロータリーと
キャメルバック・マウンテン(標高400m程度)

ある時、『 周りの景色とホテルがすばらしいから一度行ってみろ 』 と言われ、たまたま機会が有ったのでそこに泊ることにしました。

着いたその日は長旅の疲れを癒すため、ホテル周辺でアリゾナの砂漠風景を散策しつつ、食事もルームサービスで優雅に、しかし一人さびしく、でも気ままに過ごしました。
 
その翌日、真冬の東海岸から気温20℃のアリゾナへ来たため風邪を引き、頭が痛かったにも関わらず、時間が有ったのでホテルからタクシーに乗り近くの “ EL PUEBLO ”というモールまで出かけてみることにしたのです。
 
“エル・プエブロ”という名にも惹かれ着いたモールは、ロスアンゼルスの “ サウスコースト・プラザ ”や “ ニューポート・ビーチ・ファッション・アイランド ” などとは違い、比較的コジンマリとしたもので、まだ完成したばかりらしく真新しいモール内は買い物客もまばらでした。 ( もちろん私のような物見遊山客など一人もいません )

狭い事もあり、2時間程度主だった店をぐるっと見て周って、さあ帰ろうと来る時に乗ったタクシーから 『 この電話番号に電話くれれば迎えにいくよ 』 と言われ渡された電話番号に公衆電話から連絡すると、何と、 何度かけてもドライバーには繋がらずじまい。
風邪の具合も良くなく、熱っぽくなってきて弱り目に祟り目状態。

仕方なく店の人に聞いてみようと、うろちょろしている時、明らかにネイティブ ( この辺り “ ホピやナバホ ” の人が多く住んでいるようです ) と思われる二人の若者が近づいてきました。

おそらく、東洋のオヤジが一人で、何うろちょろしてるんだ?・・・と思ったかどうか・・・
 『 どうしたんですか? 』
と彼らから声をかけてきました、余程困った風に見えたんでしょう、私が。
 
 『 電話ヲ何度カケテモ通ジマセン、ドウシタラ良インダカ、ワカリマセン・・ 』
と中学英語で応えるわたくし。
 
 『 ちょっとその電話番号を見せて・・・』 
と言われ、メモを渡すと、
 『・・・これは長距離の電話番号だよ!!! 近くのタクシーを呼んであげるから。 』

 『 エッ!ホントニ? 申シ訳ナイ、助カリマス。 』 

すると流暢な米語で電話をする彼ら!
 『 すぐ来てくれるから、あそこの噴水のところで待っていて。』

と50メートルほど離れた噴水らしきもの ( 当時はホリデーシーズンで、その噴水にはクリスマスの飾り付けがしてあって水は出ていなかったのでした。 ) を指し示す彼ら。
 
噴水デコレーション

 『 ドーモアリガトウ、コレ少ナイケド取ッテ置イテ 』
と5ドルか何ドルか渡そうとしたら、
 
 『 いやー、いらないよ 』
 
 『 ドッ、ドウシテデスカ? 』

彼らから帰ってきた言葉は・・・
ちょっと信じられなかったのですが、
 『 You're Friend !! 』

と言ってかっこ良く去っていきました。

砂漠の真ん中で弱り目に祟り目の東洋のオヤジにとって、救いの天使が降臨した思いでした・・・ネイティブ・バンザイ・・・そして感謝! 
やはり、“ ホピの絆 ” は見知らぬ地でも強いものでした!

その後無事にタクシーに乗ることが出来ました、が、
やってきたのはペイルイエローのメルセデス300D、
ドライバーはいかにも典型的な、眉毛・マツゲとも金髪のドイツ人。

そして帰りのタクシーの中で出てきた話題は、・・・
第二次世界大戦の話・・・・・・・『 なんで、こんな所で・・・・・』

            ・・・・・to be continued ・・・・・???
                      
             有るクリスマスに近い日の管理人の出来事

EL PUEBLOその1 EL PUEBLOその2





“VAN SITE”ZOKU-SEISHUN VAN NIKKI 112
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