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続・青春VAN日記114

ケント社の巻 その81(1985年夏)

<アイリッシュセッタークラブ・アメリカ横断旅行⑮>

憧れのハワイ航路2

毎日を喧騒の生活の中で生きている者にとって、男の旅とは日常とは全く異なる見知らぬ環境の中に身を置くことによって、自分の本当の姿を再確認する事なのかもしれない。

・・・初めて、オアフ島上空から眼下の真珠湾を眺めた時、戦後の平和・民主教育の中で育ってきた反戦派のはずの私が・・・、押さえきれない興奮と、男の血の昂りを感じてしまった。

かつて見た「ハワイ・マレー沖海戦」に始まる数々の東宝戦争映画や「トラトラトラ」映画や淵田美津雄自叙伝のシーンが甦ってきて、思わず、「ワレ奇襲二成功セリ!」と叫んでしまった。


どうやら、平和にどっぷりと漬かったはずの私達の深層心理にもまだ、「人類の最も古い遺産・闘争本能」や「破壊・暴力」といった恐ろしい“負の羨望心”が潜んでいるのかもしれない・・・。


かつて南青山4丁目にそびえ立っていたという「青山脳病院」院長で歌人でもあった斉藤茂吉氏の二男として、青山の地に生まれ育った精神科医どくとるマンボウ・北杜夫先生の話によれば・・、

・・・フロイトが述べたごとく、人間の深奥の本質は衝動から成り、この基本的性情はどの人間でも同じものであり、一定の根源的欲望の満足をめざしている。

人間には、社会から悪として禁じられている
衝動、たとえば利己的な衝動や残酷な衝動というものが、人間の原始的性情の中に本来あることを認めねばならない。

つまり悪が根絶されるということはないのである。・・・争いを起こす人間の特質としては、「ケンカ好き・冒険好き、支配欲・所有欲の強さ、そして尊大・心配症・軽率・自負・無知・小心」等の性格をあげている。

そして、争いの結果に生じた憎しみ、恨み、妬み、嫉み等の負の記憶は、潜在意識となって心の奥底に残るのだという。

又、北杜夫氏は人間の心について次の様な先人の言葉を借りている。

トマス・マンは“パリ日記”の中でこう述べた。

「・・・人間は罪を犯して来た。獣の様にふるまってきた。
しかもその間に、かくのごとく美しい芸術も生み続けて来た。


これらのものの、根源を成す“人間の神的な部分と獣的な部分”とを
区別するのはあやまりではなかろうか。

善も悪も、理性も狂気も、
美も醜も、ともに同じ人間からほとばしり出るものだ・・・。」


ニーチェは言った。

「狂気は個人に在っては稀である。
しかし集団・民族・時代に在っては通例である。」


ともあれ、人間には誰しもその内面に相反する人格が同居している。どの様な時代に、どの様な環境で、どの様なタイミングで、どちらの人格が表に出てくるのかは分からない。

われわれは人間の深部にある暗い狂気をもっと見つめねばならない。それなくしては、あらゆる平和論も泡の様なものである・・・。


閑話休題

『 さて、わが国の学校教育においては、あの軍国時代を教わる事も無く、
(※日本史の授業はいつも大正デモクラシーあたりで終わっていた)

不幸な戦争が有った事は、私達は償いも済んだ過去の事との認識であるが、大国思想の彼の国では、今でも我国のことを漢や唐の時代からの元属国として認識しているのだろうか?

倭寇や秀吉や日清・日露・日中戦争の恨みも、過去の物とはせずに、自国内をまとめる手段として、今でも日本は残虐非道な帝国主義国として教育を続けているのだろうか?


近年、海底資源が発見されて以後の、彼の国の数々の外洋への進出事件はそのねらいは、決して尖閣諸島や沖縄で留まるとは私には思えない。

・・・しかしこんな国家関係を続けていたらいったいどうなるのだ?

かつて日本人とは、誰かが火を付けてしまえば集団狂気に陥り、無謀にも、巨大国ロシアや国力何十倍のアメリカにさえも、爆弾を抱いて自爆攻撃をし、兵器や燃料や食料が底をついても降伏せずに集団自決する・・・、恐ろしいコンフォーミティ集団だった民族なのである。

それなのに彼の大国は、日本人が敗戦によってようやく脱する事の出来た、あの危険な“負の深層心理”を、いつまで刺激し続けるのだろうか・・・?

それでも、日本人は「恩讐の彼方に」の主人公“僧・禅海”のように憎しみの連鎖を止め、争いを避ける慈悲の心でいられるだろうか・・・?


いったい彼の国の孔孟の礼節の教えや性善説は何処に消えてしまったのだ?

安倍首相は、あのモンロー主義を捨てたフランクリン・ルーズベルトにならないでいられるのだろうか? 』



話が変な方向にそれたので楽しいハワイの話に戻ります。

私達世代にとっての “憧れのハワイ”の好イメージのルーツとは、戦後の岡晴夫や(坂上二郎)の“憧れのハワイ航路”の歌に始まって、映画「南太平洋」のミッチー・ゲイナー。
エルビス・プレスリーの映画「ブルーハワイ」。
加山雄三の「ハワイの若大将」等なのであります。


・・・そして昭和の時代に大人気だった、ハワイアンバンド。
バッキー白片とアロハハワイアンズ、和田弘とマヒナスターズ、大橋節夫とハニーアイランダース、山口銀二とルアナタヒチアンズ、ダニー飯田とパラダイスキング、エセル中田、日野照子、南かおるさん達。

学生バンドも早大ナレオ・ハワイアンズ、専大リリーアイランダース、共立女子大スイートレイラ二―と、各大学にハワイアンバンドがあったものです。

ああ、何とも懐かしいスチールギターの素晴しい音色。

今でもあの音色を聞くと、ワイキキの青空・砂浜・青い海が目に浮かび心がリラックスして体がとろけそうになるのです。
(※スチールギターはハワイ起源の楽器であり、ハワイアンをきっかけにしてその後アメリカ・カントリーミュージックでも使われるようになった。・・・ロイ・ロジャースや小坂一也とワゴンマスターズも懐かしいなあ!)

私が初めてハワイを訪れたのは、ザ・ヴィーナスの旅行でした。

ハワイアン・リージェントに宿泊しての1週間は、まるで夢の様でした。

一瞬にしてハワイの魅力の虜になってしまった私は、以後、公私に渡って毎年のようにハワイを訪れてしまうのでした。

ハイアットリージェンシー、シェラトンワイキキ、プリンセスカイウラニ、ホリデイ・イン、ロイヤルハワイアン・・・中でもハネムーンで滞在したカウアイ島のココナッツビーチHは、この世の極楽でありました。



さて、会長におかれましては、“南の島愛好家”として有名であり、ヤップ島の王様に島を一つもらい損ねた話や、最強ヴァンガ―ズを率いてのハワイ遠征試合の武勇伝とか、御子息のハワイでの悲話等たくさんの御経験をお持ちだったのですが・・・。

「・・・ヨコタ君、君はこんな話を知ってるかい?

日本人は、日本の島々のことを「○○しま」と呼ぶ。
種子島、屋久島、佐渡ヶ島、淡路島、松島もみんなシマである。

それにひきかえ、外国の島はみんな「○○トウ」と読む。

グァム、サイパン、タヒチ、バリ、ヤップ、そしてガダルカナルも地中海の島々もみんな「トウ」である。

そこで気になるのは、問題の北方の島々だ。


どうしてそれを、「国後トウ」「歯舞トウ」などと呼ぶのだろうか。
日本の領土と主張するのだったら、堂々と「色丹ジマ」「択捉ジマ」と呼ぶべきだろう。


(※尖閣諸島も尖閣ジマだろう。竹シマと呼ぶのだから日本領なのは明白だ)

ところで、感心するのが、このハワイ諸島の人達である。
ハワイ諸島は、太平洋プレートの造山運動によって、北から
ニイハウ、カウアイ、オアフ、モロカイ、マウイ、ハワイの順番で諸島が形成されて行ったんだが・・・、私達日本人が、「オアフトウ」だの「マウイトウ」だのと呼ぶのを、現地の人達がとても嫌がるのをご存知かな。

彼らにとってはあくまでも「ハワイジマ」であり、「カウイジマ」なのである。

私がつい、「モロカイトウ」などと言ってしまうと、はっきりと、「ハワイではトウとは呼びません」、と直される。


何とも誇り高き顔つきで、「日本語では、島という字はあくまでもシマなんですよ」と、我々日本人がおこられてしまうのだから、いや、なんとも気持ちの良い島ではござらぬか・・・!」



                                    つづく    







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