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続・青春VAN日記116

ケント社の巻 その83(1985年秋)

<さあ、仕事だ1

バブル景気真っただ中の1985年の秋冬期。

夏休みの海外旅行も終了した私には、山積みの仕事が待っていた。
再建から4年の年月を経過したヴァン・グループ各社は、VAN早川・宮川氏、Kent牧尾・清徳氏、Vansports石川氏、VanCompany鳴島氏、VANmini仲本氏、SCENE高田氏、等の各社代表によるグループ役員会を中心に順調に発展を続けていた。

新社創業時には、商品受注量の規模も決して大きくは無く、1品番で1反の生地が消化出来ずに苦労した事もあったKent社も、営業規模が年商20億・取扱店舗数が100を超えることによって、ようやくスケールメリットの恩恵も出始め、旧ケント時代と同様に重衣料・中軽衣料・小物類からノベルティに至る全アイテムを揃える総合衣料ブランドの形を整える様になっていった。

その品目数はAWBWからNYAGに至るまで30品目を超え、制作品番数も急増し、大規模小売店との商いの開始によって、港区海岸2丁目に物流倉庫を構えるまでに成長した。

スタッフは、
牧尾祐輔社長、早川和夫監査役、清徳宣雄専務

総務・渡辺、制作・武部、企画・横山、商管・山内、
そして営業・横田(販促兼任)、飯田、大宮、高橋、鈴木、のメンバーである。

そしてそれぞれの担当には新入社員メンバーが新たに加わり、営業部内においても、百貨店・月販店担当の販売社員が増員され、(青木、浅見、矢作、中嶋、山原、池田、朝比奈、永田、奥山、原田・・君達)
さらなる営業・販売の組織作りや、新人教育に至るまでの体制作りが急務であった。


私個人の考える「ケント社像」とは、単純明快であった。

◆石津会長、くろすさん、諸先輩方の作り上げた掛け替えの無いTRADITIONAL  CLOTHING」の普及と伝承である。

◆日本アパレル業界初の「伝統の百年ブランド」づくりである。

◆売上No,1企業では無く、「Only1企業」づくりである。

・・・そのためには、

◆良質の商品を作り、正統な価格と取引で、良識ある販売をし、かつ評価できる人達を相手に商いをする。

◆猫の目の様に移り変わる流行ファッションの世界には加わらない。

◆機能の無い服は作らない、物語の無い服は扱わない。

丈夫で長持ちする男の服作りを目指す。 


しかし、会社を構成する社員達の考え方と目的は多種多様であり、組織としての価値観の意志一致は、極めて難しいものだった。


・・・かつて、私の経験した業界でよく見かけた企業の姿とは、売上ばかりに気をとられたエコノミックアニマルの経営の姿だった。

売上を伸ばす、つまりヒット商品を作り営業・販売をうまくやっていけば経営は伸びると思い込んで、売上の伸びに一喜一憂している姿だった。


たしかに販売は、経営にとっての収益の源泉であるに相違ないが、それには経営の種類や規模にふさわしい伸び方があるわけであって、やたらに前年対比20%増とか50%増とかになったからといって、喜ぶのは早計なのであります。

商いとはただ、“売って売って売りまくる”事では無いのです。

我が旧・V社の例を待つまでも無く、急激な売上高の伸びは、必ずといってよいほど売掛金の増大をまねき、不良債権を多く抱え込むとともに、商品在庫の増大をきたす。

さらには借入金の増大をまねいたり、新たな従業員を必要としたり物流倉庫が必要になったりして、各諸経費の膨張を招くのである。
その結果は、金利負担にあえいだり、資金繰りを悪化させる恐れが多分にあるのです。

もちろん、経営というものは水ものであり、いつも均衡を保ちながら成長するモノではなく、経営の成長過程では必ず均衡~不均衡の波が何度も繰り返すものではある。

であるからして、私は“売上高至上主義病”や“急成長病”は、トラッド屋の経営には不適切だと言い続けていたのであります。


なぜならば、私の考えるトラッド屋ケントの経営目的とは・・・、一般企業の如く莫大な利益を上げてパット散る事では無く、何十年も何百年も長期間続く営業の継続行為にこそ価値が有り、長い時の経過のみが作り出せる企業の“信用と伝統のイメージ作り”、それがトラッド屋の腕の見せ所と考えるからなのであります。


つまり「企業の永遠性」が狙いだったのです。
・・・だから、返品を待たなければ利益が分からないような日本独特の取引や、商品に愛情やリスクを持たない他社社員によって売られるような量販店や大型取引店との委託商売は、“売上高病”や”急成長病“の温床でもあり、“不良在庫”の元凶であり、博打であり・・・、息の長い生業を目指すトラッド屋には、不適切だと思うのです。


私は・・、
人は増やさない。
借金しない。
無駄しない。・・・主義だったのです。


そして今や高度成長真っ盛り・委託取引真っ盛りの日本業界では、手っ取り早く目先の利益のあがる舶来品や高級ブランド品商売が幅を利かせていた。

そして私の主義は好況の波に乗る当社社員達にはなかなか受け入れてはもらえない様だった。


・・・しかしながら、バブルの巷には微妙な消費価値観の変化も起こり始めていた。

・・・この頃、JR線や地下鉄や盛り場の中では、数々の世界の有名ブランド商品が溢れかえっていたのである。

各種バッグ、コートなど特定柄のものを持ったり着たりしている人達のナント多かったことか。

元来は、ブランドは「差別化政策」のために考え出された戦略のはずであるのに、バブルの時代、その効果が逆に作用しだしていた。

・・・ああ、あの人もあのバッグを持っているわ、ヤダ―、あの人も! 私恥ずかしい!

・・・前はこのコートの柄をワザと見せるようにたたんで電車の棚に載せた頃もあったけど、今は隠してたたむようにしてますヨ。

とまあ、こんな御時世になってきたのだ。


画一化はイヤ、他人と同じはイヤ、こんな人が多くなってきたのは人の世の常だが、いわゆる高級ブランドにまでこれが及んで来た。

これらは、それほど日本の世の中が豊かになった証明なのか?
あるいは、高級商品のライフサイクルまでが1回転してしまったのか?

とにかく「他人とはここが違います!」「これが私と他人との差です!」と、「差別化のネタ」に“モノ”を使えなくなってきたのである。

女学生までが某高級バッグを持ち、新入社員が高級腕時計をつけている。
・・・モノでは差別化が不能の時代になったのだ。


それでは、次なる「差別化」のポイントは何になるのか?

・・・私達旧V社では、60年代から主張していた事ではあるが・・・、

ボクは、世界の高級品といわれる“モノの虚像”に寄りかかって安心するような卑怯者にはなりたくない。
                         ・・・石津謙介社長




人の差別化や個性の原点は、モノではなく“人間”なのだ。


・・・私が行けば、あの店の店主が必ず応対してくれるのよ。
・・・俺がいくと、必ずあの店のカリスマ店員が話してくれるんだ。

こんな会話を耳にするようになってきた。

・・・私は、あの店ではカオがきくのよ!
・・・あの店では、俺の事を一番大切に扱ってくれるんだ!

モノではなく、人間の「カオ」を「差別化」に用い出したのだ。

商品や売る店、そういったものがここまで画一化してくれば、結局は、人間で「差別化」を図るよりほかはないだろう。


バブル景気もここまで来ると、そろそろ日本のマーケットにも、目新しい物・高価な物・奇抜な物ばかりを求める発展途上国文化では無く、逆に会長の着こなしの如く、いわば米の飯の様な、生活機能重視のトラッド商品にも存在の余地があるはずだ。

今後は必ず、贅沢や華美・享楽とは逆のモーメントが働き出すだろう。

高級品を取り揃え、返品制度の上に我世の春を歌っていた百貨店業界のあり方にも影響がでてくるだろう・・・。

(※マーケットには“無印良品の店”や“コンビニ”が発展成長するのでした。)


欧米に百年も続く伝統店やブランドが数多く存在するのは・・・、

かつてはいずれも栄華を極めた時代があり、その時代が過ぎ去った事によって、過去の誇りある歴史と伝統を大切に守り続ける文化が生まれたからとも言える。

歴史の無い所に伝統は生まれない。

欧米の伝統商品や伝統店とは、封建時代の身分階級制度時代に始まった家内制手工業の徒弟制度・家督制度・等の中で生み出されてきた。

そして歴史と伝統を持つ国の商取引形態の基本とは・・・、商業の原点であるところのバーター取引から始まった、小売店自身がその商品にポリシーと責任を持つ、 “完全買い取り方式”であった。

(返品すれば事が済む商売では、一流店・一流商品は育ちにくいと思う。)

いずれは日本の高度成長の繁栄の一時代も、終焉を迎えるだろう。
かつて7つの海を支配した大英帝国の繁栄時代が終了していった様に・・・。
その時こそ日本にも、真の伝統商品が存在し得るかもしれない・・・?


・・そんな訳で、相変わらず「売ろうと思うな、思えば負けよ」の、私でありましたが、社員数も増加したケント社内においては、営業業務以外にも、もろもろの計画を担当、実行しておりました。

新入社員のトラッド教育、販売教育。
展示受注会の計画・立案、ノベルティの考案
社員旅行、忘年会・パーティ等の楽しい会社作り、
顧客の皆様への年末恒例ケントパーティの計画・・・etc

そして、

店舗用の商品カタログ冊子制作(協力Cカンパニー様)
商談用の全商品写真スワッチ付き・カタログの制作(横田自作)
メンズクラブ誌の媒体広告(協力コスモコミュニケーションズ様)


・・・等々の活動も、徐々に開始されていくのでした。

“Kent”ノベルティーの一部


                  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・つづく    





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