続・青春VAN日記118
ケント社の巻 その85(1985年秋冬)
<さあ仕事だ?パート3・社外活動>
さて例によって、展示会・全国出張商談・店頭販売応援・・と、日本中を駆け巡る私でありましたが、忙しい合間をぬっては、友人結婚式や母校ジャズ研リサイタル新宿Jパーティ等の司会業も頑張っておりました。
そして今年も秋冬パーティシーズンがやって来るのでありました。
<専大グリーンサウンズオーケストラ・リサイタルOB司会>
卒業してからもう10数年も経ったのに、後輩の藤田邦一、小野豊彦、笠井守君達の声が掛かり、新橋ヤクルトホールのリサイタルに司会で参加させて頂くのでした。(※グリーンサウンズとは、部創設以来、現在の太田市大学JazzFestivalに至るまで50年以上に渡ってベイシーを演奏し続ける伝統の大学ビッグバンドである。)
ゲストには、ボーカルの“新宿Jの歌姫・安ますみさん”や“日本のジョーウイリアムス・佐藤まさのりさん”をお迎えした。
ステージでスポットライトを浴びながら“背中でベイシーを聞く”と、 “オール生田リズムセクション”の軽快な4ビートに乗って、あの青春の情熱が走馬燈の様に熱く甦ってくるのでした。
<憧れのブル―・コ―ツのステージで司会>
新宿Jで知り合った男性ボーカリストの佐藤まさのりさんは、成蹊(コンパルサウンズ)出身で、この頃ブル―コーツ・オーケストラの専属ボーカルをされていました。
・・とある秋の休日に電話を頂きました。
「ビータで北関東方面に行くんだけど、いっしょに行かない?」
・・忘れもしない“森寿男とブル―コーツ足利公演”でした。
行田よしおさん司会のステージで、なんと佐藤さんの歌の時に、私はワンポイント司会をさせて頂いたのであります!
(※巨泉の大学バンド合戦や山野コンテストや99ホ-ル以来の憧れのブル―コーツ! “Things Ain’t What They Used To Be”は、何度聞いても素晴しい!!
嗚呼、名人・五十嵐さんのアルト・田辺さんのテナーソロを、同じステージの上で聞く事が出来た喜び! 大感激でした!)
<85’青山Kent・shopクリスマスパーティ>
第6回青山ケントショップパーティは、南青山に新オープンしたスパイラルホールにて開催された。
今回の目玉は、日本屈指のジャズ・コーラスを聞かせてくれる、“タイムファイブ”の皆様をゲストにお呼びしたことである。
そしてその万華鏡のような魅惑のコーラスを満喫すると共に・・、なんと!お客様方にも舞台に参加して頂き、“タイムファイブ”のバックコーラスで、一曲歌って頂き、なおかつ、その場でレコードを制作してお客様に進呈する・・・、という豪華な計画であった。
・・・なにせJAZZ好きの多いKentのお客様方のことである。
この“タイムファイブとレコード録音”の企画を聞き付けたジャズ好きの皆様からは出場希望者が相次ぐのでした。
石津会長・・・そうだネエ、ボクはセントルイス・ブルースかなあ?
MC誌・小久保編集長・・・オール・オブ・ミ―で行きます。
チャーリー湯谷さん・・・レディ・イズ・ア・トランプを願います。
清徳専務・・・私も、“ちょっと・ベイカー”を一曲やりたい・・・。
・・・タイムファイブの皆様とのきっかけは、もともとトラッド好きだった田井さん達・タイムファイブの皆様方が、トラッドモデルのタキシードが欲しいと御来社された事に始まった。
(※・・・同志社大軽音楽部出身で大学対抗バンド合戦に優勝してプロになったタイムファイブの皆様は、今やフォー・フレッシュメン張りのテンション音を駆使した高度なハーモニーを聞かせてくれる、日本の“唄って演奏する”ジャズコーラスグループの最高峰だった。)
リーダーの田井さんはおっしゃった。
「来年は、モンタレージャズフェスティバルにも出演計画があるので、歌謡曲の歌手の皆さんが着ているような流行形ステージスタイルではない、“ニューヨークはタキシード公園に始まった”・・・という、正統トラッドモデルのタキシードが欲しいのです・・・。」
「お任せください!」
・・・ジャズ好きの私達は、一にも二も無く後援させていただくのでした。
そして穂積先生・馬場さん・花房さんや一般のお客様が多数参加され、
青山のパーティの夜は、いやがうえにも盛り上がるのでした。
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・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・つづく
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