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続・青春VAN日記125

ケント社の巻 その92(1987年初春)

1型親バカ物語>

私の友人達は、80年代に入ると、皆、父親になっていった。


友人宅に遊びに行くと、おきまりの“泉屋”の缶箱が出て来た。美味いクッキーを御馳走してくれるのかな、と期待していると、缶の中から出てくるのは、きまって子供の家族写真だった・・・。

「どうだ、可愛いだろう?」・・・返事に困るパターンだった。

褒めれば次々に写真を見せられるし、褒めないと親の気分を害するだろうし? 未だ子供のいなかった私は、ただ困惑するのでした。


想えば独身時代の私は、自分の人生に手いっぱいで、子供の事など考える暇も無かった。


そもそもこの世の中に愚かな現象は星の数ほどあるが、目に映る“親バカ”なんてものはその最たるものだと思っていた。

鼻をたらした幼児がしゃぶったアメ玉を、その母親がとろけるような顔をして、口うつしに自分の口に入れるのを見ると、なんと汚らしい、公衆の面前でそのように節制のない自堕落な愛情の表現は決して好ましくない、とフンガイしたものだった。

青山・清水湯の銭湯でくつろいでいる時に、騒がしい子供がいると湯船の中でお尻をつねってあげたものだった。

そんな私も、遅ればせながらも結婚し、V356別館裏の神宮前3丁目のアパートに引っ越して、この春、・・・父親になった。


仕事の虫と謳われた日本トラッド男子たる私は、非情にも、「男は黙って○○ビール」の男らしい三船敏郎の様に、赤ん坊なんかはかまわないつもりだった。

ところがである。

生まれて初めて抱っこをした小さな命の体温と重さを感じ、未だ良く見えぬであろう清純無垢な瞳に見つめられた時、心の中にあった厳格な父親像などは木端微塵に粉砕され、強烈な父性本能が沸き起こり・・・、ただの愚かな“おとーさん”になってしまうのだった。



「会長、子供が産まれました!会長のお名前を1字使わせて下さい。」

・・・仕事中の石津事務所に迷惑も考えずに押し掛けて、勝手に興奮する、愚かな私なのでありました。

・・・ある時、赤ん坊を見つめる私の顔はとろけているようだと、おかあさんに言われた。・・日本男子がなんたる堕落であろうか。

あまつさえ君がヨダレでグチョグチョにした玉子ボーロをモミジの様な小さな手でおとーさんの口元に差し出した時・・・、おとーさんはニッコリとその玉子ボーロを食べてしまったのである。

・・・又ある時は、帰宅して食事をしている最中に、あろうことか、君はウンチをした。すると厳格なはずだったおとーさんはおー、りっぱなウンチ君が出たねーなどと、食事中にもかかわらずいそいそとオムツを取り替えているのだった。

・・・ああ、なんたる醜態であろうか。


わが子よ、君がおかあさんのお腹の中にできる以前には、おとーさんは仕事でヨーロッパやアメリカを旅していた。
その頃は、おとーさんは仕事に生きる立派な男であったのだ。
父親になることなどは想像もしていなかった。


それが、けんと君よ、君が非の打ちどころが無い世界一可愛い赤ちゃんとして生まれてきてくれたおかげで、おとーさんは、今まで身に付けた格調あるトラッドイメージをかなぐり捨てて、子供“命”の親バカになってしまったのだ。

そういえば、赤子の時代、君はいい気になって泣いた。
昼夜おかまいなく泣いた。おとーさんは少しは腹が立ったが、君の首をしめたりはせずに、・・君をおんぶして・・、かつてはダークスーツにアタッシュケースの決め姿で闊歩していたV356ビル裏の公園をあちこちとあやして歩いた。

そのうちに君は「クー」というような声を出すようになった。

鳩が鳴くような、御世辞をいえば可憐な声だった。

ある夜更け、おとーさんは君を抱いて部屋の中を歩いていた。
歩きながらおとーさんはなかばヤケになって呟いていた。
「♪クッククックーわたしの青い鳥~~~」

君は突然泣きやんで、たしかにおとーさんの顔を見て、一声「クー」と言った。

ああ神よ悪魔よ、あの時の君の「クー」はかわいらしかった。
天使の声とも思われた。たったそれだけの一声で、君は不機嫌なおとーさんの心を完膚なきまでに砕いたものだ。


赤ん坊なんてものは不思議なものだ。あっという間に大きくなる。
君がハイハイをしたのはいつだっただろうか。

「アーとかイ―とかウ―とか」母音がいくつも口から出るようになった。
我が子とはいえ、なんと賢いのだろうか!


そして1年がたった頃、君はついに立ちあがった。


ヨチヨチフラフラと歩き出した君が、おとーさんに向かって、ある日、ついに喋った・・・「オト―シャン!」

おとーさんは嬉しくて嬉しくて、オイオイと泣いた。

それからというもの日曜日の青山通りでは、神宮絵画館前にある100円児童公園に通って行く、ベビーカーを押す“トラッド子連れ狼”の姿が、ひんぱんに見られる様になるのでした。(けんと君公園デビューであります。)


親とは、とことんまで愚かなものであります。
公園で遊んでいるたくさんの幼児を見るにつけ思う。
おとーさんが思うに、君は青山1の美男子だ。
ましてや、見知らぬお母さん方から「なんてかわいいんでしょう」などと言う声を聞いた時には、たとえお世辞であっても、その声の主に土下座して感謝したい・・と、思うほどなのでした。

きっとこの子は、いずれは青小・青中・青山高校へと進学して女生徒達の黄色い声を浴びるに違いない!

しかし君が“質実剛健”を理解してくれるようになるまでは、私の命に代えても、立派な青年に育てて見せるぞ!
末は博士か大臣か!いや、人の役に立つ人間になって欲しい!

・・おとーさんの妄想は、とめども無く広がっていくのでした。

                                        
                                         つづく



青山三丁目交差点付近・・・Google Earthより
神宮球場、国立競技場、絵画館周辺・・・Google Earthより




“VAN SITE”ZOKU-SEISHUN VAN NIKKI 125
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