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続・青春VAN日記127

2014年・お正月の閑話休題>


「世の中には、こうすればもっと楽しくなるぞって事がたくさんある。

それが衣食住の知恵・ライフスタイルの研究というもので、人生のお手伝い、それがボクの仕事です。」(石津謙介オールカタログ)

「涙とともにパンを食べた者でなければ、人生の味は分からない?
・・・ならば、ボクが教えましょうか?」
(石津謙介味ばなし)

「生きるべきか死ぬべきか、それは考え方でどうにでもなるのだヨ。」
(いつも0からの出発だった)

「寒さにふるえた者ほど、太陽をあたたかく感じるものだ。 あたたかい人生の送り方とはネ・・・。」(人間的な・人生四毛作論)

「人生は退屈すれば長く、充実すれば短い。」(変えない生き方)

ボクの願いはネ、皆に少しでも幸せになってもらいたい事だヨ。」
(大人のお洒落)


   

かつて、昭和の松下村塾「VAN石津学校」で学んだ青年達も、あっという間に人生ライフサイクルである“還暦”の年を越えてしまった。

まさに“光陰矢の如し”“青年老い易く学成り難し”の人生であった。
・・・果して同窓の皆様におかれては、あの人・この人、どこでどのような人生を送られているのだろうか?
お一人ごとに、消息を伺ってみたいものである。
(※元人事課の皆様、出来ましたら“あの人は今?”とか、消息特集を組んでみてはいかがでしょうか?かの新庄参謀長の“ヤマセミ”ブログ・外伝少年時代話が実に面白い!)

さて・・・“還暦”の次は“古稀”70歳)と言う事になるのだが、かの杜甫が「人生七十古来稀なり」と述べたように、人の命は短いもので、七十歳を過ぎると生きる人は激減する。

私達もいよいよ石津校長の唱えた、“人生四毛作”の4コマ目に入る訳である。

師は人生で3度も無一文の生活を体験したが、その都度、不死鳥のように復活した。出来得るなら私達も、師の如く充実したラスト・ステージを迎えたいものである。 

「“米”は土地が肥え、気候が良ければ、1年に4度の収穫が出来る。
人生もうまく過ごせば、4度の収穫が出来る・・・
石津謙介。」

ともあれ男の人生の時間割は、デカルトの「方法序説」ではないが、起・承・転・結の4段階であった。

一期目は、人格形成期。

二期目は、必死に働いて生活を形成する時期。

三期目は、形成した人生を楽しむ時期。

四期目は、もうけものの人生で、思うままに生きる時期・・・。


そして男の活動するステージはFOPであった。

FとはFORMAL、入学卒業結婚式・冠婚葬祭等の形式の場である。
OとはOFFICEON DUTY、仕事・職務・役目の場である。
PとはPRIVATE、個人・家庭の時間の場の事である。

そして人生四毛作の四コマ目は、ほとんどPRIVATEの時間になる。
この四コマ目とは、自分の人生の“後始末の時間”でもあろうか。

・仕事・家庭・子育て等の男の責任を果たし、
・親の介護・お見送り等の子供の責任も果たし、
・自分の身の周りを整理整頓して、起つ鳥あとを濁さず。

・・・そして“トラっど”は死んでも皮を残す!
(※私如きの人生でも、子供やお世話になった人達には伝えておきたい。)


<人生の演出>


師の言葉の如く、人生はこうすればもっと楽しくなるぞということがたくさんあった。
それが人生の演出だ。

映画や舞台を演出するのは監督。
企業を演出するのは経営者や宣伝・販促。
個人の人生を演出するのは自分自身である。

たった一度の人生ならば、世間の荒波に揉まれたままで終わる前に、せめて自分なりの、目標や計画を見つけ出しておいて、四毛作目の演出を考えておきたいものだ。なぜなら、夢や目標を失ってしまえば、人生の喜びである最後の達成感や満足感は得られないから・・・。

<人生の喜びを増す調味料は苦労と貧乏だった>

還暦も過ぎ「わが青春に悔いなし!」と胸を張りたいところではあるが、私の青春は、・・学業も恋愛も仕事も・・・、とても「わが青春に悔いなし」とは、言えない人生だった。悔い無いどころか、悔いだらけ・恥だらけだった。

私はファッションを職業とするビジネスマンであったにも拘らず、仕事で扱う“衣服”以外は、おしゃれな“食生活・住生活” や リッチな“遊生活・女性との交際”などは、・・・夢の夢だった。特に食生活はめちゃくちゃだった。

夢と能書きだけは一丁前でも、単なる貧乏人だった私は、V社再興を頑張ったおかげで、石津会長から御褒美を頂き、分不相応にも世界の一流文明国を見聞する事が出来たり、憧れの文化知識人の皆様に出会えた様なものなのである。

さらには、再興活動で知り合った色々な方々の御縁を頂き、その後、幸運にも人並みに家庭を持つ事も出来たのである。

・・・そして自分の生活の中に1人の女性が出現した事で、アパートに只帰って寝るだけだった私の生活は一変した。まず激変したのは食生活だった。

決まった時間に朝晩の温かい御飯が食べられるようになった。これがどれほど有り難いことか、長い単身生活を経験した事の無い人達には分かるだろうか?

・・独身男の夕食とは、誰も居ない真っ暗な部屋に帰宅し、帰り道で買った総菜をそのままのパック容器で食べる。即席ラーメンは鍋のままで食べる、缶詰めもそのままで・・。そして冷え切った万年床で寝る・・。

・・・それが今や、何も無い狭いアパートであっても、明かりの灯る部屋と、湯気の立つ料理と、太陽の光を吸った温かい布団と、優しい笑顔が私の帰りを待っていてくれた。

いったいなんという幸福だろうか。
(妻が観音様に見えた。)
私の伴侶は茶華道・料理学校の経験も無い普通の人だった。
(※私には高級ブランドは分不相応。)

だから、凝った料理が出るわけでもないし高価な食器類も無い。当たり前のピーコックや東急ストアで買った食材の料理である。しかしながら商店街で買った鯵フライやコロッケでも 一手間かけた温かいものを“食器”で食べられる喜び。

何よりも、いつも温かい笑顔が目の前にあった。そして食卓にはいつも季節の“花”が一輪添えてあった。

「美味しい食事の秘訣は、楽しい会話と雰囲気作りに有り!」
かつてダブリンで教えてもらった会長のお言葉が甦る。

当たり前の食材であっても、これを御馳走に変えるのは、ひとえに“一手間と一工夫”の“演出”の力である。高級食材ばかりが御馳走なのでは無い。(人間も同じ事だ。)
だから、・・・販売の演出をする事が自分の仕事であり、「サービス業とは、政治家も医者も教師もホテルもデパートも皆、お客様の幸福と満足を“演出”する仕事である。」と考える私には、毎日の家庭での小さな“演出”が、・・無上に嬉しく感じられた。
(※・・昔、私の祖母が言っていた・・。「若い時の苦労は買ってでもしなさい。それが“幸せの種”だ。」)

若かった頃、オ―・ヘンリーの“賢者の贈り物”の話が好きだった。
貧しくてもお互いを思いやる若い夫婦の愛の演出が素敵だった。


愛とは求める事では無く、尽くし合う事だと思っていた。貧しくても、いつかは幸福に成れると思っていた。幸福や満足とはカネやモノの問題だとは思っていなかった。

・・・あの聖書にも書かれていた。

“貧しい者は幸いである。富んでいる人は不幸である”、“金持ちが天国に行く事は、針の穴に駱駝を通す事より難しい” しかしながら、それらは弱者への慰めの言葉でしかなかった。過去にはお金と力が無くて辛い思いを味わった事もあった・・・。


Too young  My disappointed Love

・・・恥ずかしながら、かつて学生時代に一途な恋をした。
まるで柴又の寅さんの様に、寝込んでしまうほど一人の女性を好きになった。

しかしながら,蛮カラ男子校出身で男女の機微に欠ける大学生の私には、金も力も成す術も無く、有るのは独り善がりな誠意のみだった。
(※・・私は女心も分からない1型貧乏純情青年であったし、彼女は恵まれた家庭の夢多き御嬢様女子大生であった・・・。)

奮闘努力の甲斐あって、交際はして頂けたものの、自分自身の生活にも汲々とし、就職すらも出来ていない未熟な立場では、女性の人生に確固たる責任を持つ事も出来ず将来の約束すら出来なかった。

・・・銀座でのデート。大学祭。ダンスパーティ。御宿の海水浴。

彼女の御宅で弾いた“禁じられた遊び・アルハンブラの思い出”。
彼女の母上様に御馳走になった美味しい手料理の数々。
彼女が作ってくれたバレンタインチョコや松茸ご飯。
楽しかった江戸川河川敷や土手の散歩。
二人で買い物に出かけた科学技術館VANFAMILY SALE
晴れ着姿も美しい彼女を迎えにいって、いっしょに行った初詣。
帝釈天では、ただ彼女の幸運と幸せを祈るばかりだった。


《・・僕には家も土地も車も無い、好きな物を買ってあげられる資産も無い。けれど、千の丘に降り注ぐ朝日を見せる事も出来るし、月の光で編んだネックレスや指輪をあげる事も出来る。そして“7つの水仙”を君にあげよう・・・。》

《・・絵に描いた海に浮かぶ紙の月も、作り物の木にかかる絵の空も、君が私を信じれば本物に見える。君の愛がなければどんなに楽しい世界も作り物にすぎない・・・It’s Only A Paper Moon ・・・。》     

(※若いということは・・・なんとも恥ずかしいものだ。)


生活力の無い男の夢やロマンなどと言うものは、現実的な女性には通用しない。
可愛い彼女には、言い寄るエリートも多かった。従って、どれほどラブレターを書き綴っても、節約を重ねて買った安価な指輪をプレゼントしても、彼女を射止める事は出来なかった・・・。
やがて私は就職して仕事に追われ、次第にデートもままならなくなった。数年後、ようやく生活力にも自信が持てた時、今こそと連絡してみると、・・・彼女は、高学歴・高収入・高身長の他人の妻になっていた・・・。

あまりにも迂闊だった!私は見事な恋の敗者になってしまった訳だが、全ては、未熟な自分が原因だった。彼女には何の責任も無い。

女性がより優れた配偶者を選ぶのは“種の保存・優性の法則”だ。
容姿・収入・頭脳・体力・将来性のある男を選ぶのは当然である。

・・・ビリーホリディを聞いて、さんざん涙を流した後は男らしくキッパリと諦めるしか方法は無かった・・・。

“仕事も恋愛も人と同じ事をしていては勝者にはなれない” “他人とは違う事をやれ”
“臥薪嘗胆”  その後の私が仕事に打ち込んだのは、彼女の御蔭だったのかもしれない。

I’m a Fool to Want You(恋は愚かというけれど)
Don’t Explain(もう何も言わなくていいよ)
Yesterdays (過ぎ去りし日々)
What’s New (お変わりありませんか)
These Foolish Things
(たくさんの“思い出の種”をありがとう。)

              (※・・・失恋と倒産が人生1毛作目の収穫であった。)


・・・お恥ずかしい話で すっかり横道に逸れてしまいましたが、誰しも歳をとると、かつての失敗や挫折の悔恨の情に囚われたり、残り少なくなった人生を想像して、暗い気持になりがちである。
だが、それは大人が陥ってはいけない負の自滅行為である。そもそも人生とは浅はかな個人の思い通りには行かないものだ。失敗や間違いや罪を犯さなかった人間などはこの世に存在しない。
後悔や悩みの無い人生を送っている人などいない。国も企業も人生も愛も、始まりのあるものは必ず終わりが来る。盛者必衰の理は、大自然の摂理である。

そこで生じた憎しみや恨みや妬み等の負の感情は、自らの人生に苦しみと破滅を招くだけだ。同じ過去の失敗や挫折の出来事であっても、それをポジティブに考えるのとネガティブにとらえるのでは、人生の幸福度の演出に、大きな違いが出て来る。

<教訓>「最も強い者が生き残るのでは無く、最も賢い者が生き延びるのでも無い。唯一生き残るのは、変化に適応できる者である・・・ダーウィン。」 


「ファッションとは明日を考えることである。」
(石津謙介)

人生四毛作目の“悟り”は、過去の欲望・執着・未練を捨て去る事。
楽しかった嬉しい夢と思い出だけをしっかりと心に残して、辛くて悲しい思い出は、全部忘れてしまうことである。そうすれば、“楽しい人生だった”と言う事になる。

・・・おしゃれな大人とは、欧米の最新流行をいち早く取り入れたり、高級ブランド品や別荘や愛人を持ったりする人の事では無い。
「自分自身の人生を、自分で演出できる人」
の事である。ファッションとはライフスタイル
(生き方)なのである。


追伸
人生を楽しむ達人、エピキュリアン石津会長におかれては、世の中のヒトやモノの“財産・地位・名誉”等の欲望・・や、人生三度のどん底で味わった “恩讐”にこだわる域・・は、とうの昔に超越しておられた。
その御姿は、あたかも奥義を極め、悟りを開き、帯刀を止めた塚原卜伝や上泉伊勢守や柳生石舟斎の如き“剣聖”達の姿を彷彿とさせた。
未だにカネ・モノ・オンナの呪縛を脱し切れない私如きとは次元の違う、終生・兵法の道を追求した“宮本武蔵”のような境地であらせられた。

「神仏は尊ぶべし、頼るべからず。」
神も仏も女性も仕事もブランドも、人間が創った偶像に過ぎない
悠々と貧を楽しむ「悠貧」を持って歳をとるべし。

                                        つづく




“VAN SITE”ZOKU-SEISHUN VAN NIKKI 127
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