続・青春VAN日記14
破産財団の巻 その14(1980年春)
破産財団残務処理作業員の身分の2年間がまたたく間に過ぎ去った。連日、仮住まいの356別館に寝泊を続ける苦しい生活にもかかわらず、心の中はVAN社員の誇りと充実感でいっぱいであった。
会社再建への決意が炎のように燃えたぎっていた。
昨年開店した青山の2店舗は、さらなる躍進を続け、ついには人手が足らなくなり、破産会社がアルバイトを雇うまでになっていった。
我が店も、早稲田大学雄弁会の桑迫君を筆頭に数名のアルバイトが手助けしてくれるまでになっていた。
・・・そんな春のある日・・・
<和解成立>
1980年4月23日! GLORIOUS−DAWN!
苦闘2年間!ついに再建への一筋の光が射した!
東京地裁における、“ヴァン労組”対“大口債権者”(丸紅・三菱商事)の和解法廷において、ついに合意が成立したのである。
あの破産直後、ヴァンヂャケット労組はただちに再建闘争を展開し、債権者である丸紅・三菱商事を相手に“破産反対、企業再建、破産の責任を取れ”と訴え続けてきたが、同時に、丸紅・三菱商事を相手取った“社員の雇用関係の確認を求める民事裁判”を起こしていたのである。
そして、他労組との連帯、商社に対するデモ行進、座り込み抗議活動、再建署名運動、等々、店外でも日夜必死の活動を続けていたのである。
この日、下された和解合意の内容とは、
@「VAN」「Kent」等の商標は、旧ヴァンヂャケット役員を中心に設立する“新会社”が継承する。
A"新会社"は商品の企画・製作・卸を担当し、販売は組合員が設立したヴァンカンパニー社で行なう。
B労組に労働債権(未払い給与等)として、2億5千万円
解決金として1億2千万円を支払う。
C一般債権者には債権の5%を返済する。
・・・というものであった。
ヴァンと労組側の全面勝利であった。(岸先生に感謝!)
この結果により、ついに“新会社構想”は現実のものとなった。
かけがえの無い商標使用権と新会社設立資金を手にする事が出来たのである。
( 拝啓、石津会長様、・・・私達は破産残務をやりとげました!
ついに巨大商社から商標を取り戻しました・・・! )
<和解成立直後の新聞取材での石津会長のお言葉>
「・・・御迷惑をおかけした。
私自身は、今のところ圏外の人間だが、旧役員諸氏の間では、新会社設立の動きがあることは確かだ。
しかしながら、旧会社の倒産で迷惑をかけた人がいっぱいいるし、
会社を去った約二千四百人の社員達のことを思うと、心が痛み、手放しで喜ぶ気持ちにはなれないが、
ヴァンの名が生き続けられるとすれば、こんなうれしいことはない。
新会社が設立される時に、私が経営者になろうとは思わないし、なれる能力も無いが、デザイナーとしての能力が生かせるなら、皆のお役に立つことにやぶさかではない。・・・」
服飾評論家、林邦雄氏の感想
「詰襟と金ボタンしかなかった戦後の男性服に、
石津さんがおしゃれの美学を打ち立てたのが“ヴァン”。
戦後のメンズファッション史上最大の事件だったと思う。
これに飛びついたヤング達も、今では課長や部長の年代になっている。その人達は、ヴァンには尽きない愛惜の情を持っており、
ヴァンの存続を、なにより喜ぶにちがいない・・・!」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・つづく
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