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続・青春VAN日記144

ケント社の巻 その1101991年春)

TIME FLIES LIKE AN ARROW②>

 10年ひと昔”とは、昔からよく耳にする言葉でありますが、10年どころか、入社以来“ふた昔”もの年月が経過してしまった。

あの1950年の朝鮮戦争“特需景気”に始まった“高度経済成長”は、60年代の“貧乏人は麦を食え”鍋底景気・安保闘争・繊維構造不況や、70年代の日本列島改造論や二度のオイルショックの時代も乗り越えて、80年代には、“世界第2位の経済大国”にまで登り詰めた。

しかし“狂乱のバブル景気”の崩壊が始まった90年代の今・・・、常に前向きな明るい未来が予測できた昭和時代とは異なる新時代に成長が止まり明るい未来が見えにくくなってきた日本社会には、将来を予測できない漠然とした社会不安が蔓延していった。

大韓航空機がソ連に撃墜され、日航ジャンボ機が御巣鷹山に墜落し、万年与党・自民党がついに政権を失ったこの時代・・・、オープンしたジュリアナ東京で乱舞するボディコン娘達の姿は、これは狂乱の“ええじゃないか踊り”ではないかと思う私だった。

果たして、日本は今後も発展を続ける社会であり得るのか?
はたまた、かつての時代の大英帝国の様に停滞してゆくのか?
それとも、3流国に落ちぶれて衰退してゆくのだろうか?

いかなる咲き誇る文明も、始まりの有るものには終わりが来る。はたして 高度経済成長は終焉し衰退社会が始まるのだろうか?そして世情の不安は、目に見える社会現象となって世に現れた。

世紀末の巷では、「ノストラダムスの大予言」が大ブームとなり、古代ヘブライ語も読めない人間が“ハルマゲドン”をのたまわり、平安仏教と鎌倉仏教の違いも判らぬ人間が“末法の世“を唱え、 “大地震・温暖化・大洪水”等の“日本沈没”の恐怖が囁かれ、スリーマイル島原発事故が発生し、チェルノブイリ原発が爆発し、ソ連は崩壊し、裕次郎・ひばりは死去し、昭和天皇が崩御された。
そして「末法思想」や「終末思想」が亡霊の様に甦ってきた。


さて古来より不安・混乱の時代に流行るものと言えばカルトである。渋谷駅前や各地の広場には、クリシュナ教・統一教会・オーム真理教・エホバの証人・等々の様々な新興宗教・カルト集団が出現した。

そして彼らはそのあまりにも独善的・自己中心的な活動で各種の社会問題や犯罪を起こし、神聖な神仏の品位を冒瀆するのだった。


<私の浅薄な宗教観>

さて戦後の文部省・科学的教育で育った私は、どちらかと言わずとも、
UFOの矢追純一氏よりも早大理工学部・大槻義彦教授的考え方である。
“非科学的な超常現象やオカルトや心霊現象等”は信用しない。
“正統は論理、感覚は異端”である。
“諸悪の根源とは他者を尊重しない自己中心の心である”・・・。

それでもかつての少年時代には、正月の神社・クリスマスの教会、神式結婚式や仏式葬式の“八百万の神仏”を尊ぶ社会に育ち、不安な入試前や恋愛時には近所の神社仏閣に詣でて祈ったものだが、・・・一度として願いが叶ったためしは無かった。

神聖な神仏が、わずかな御賽銭で、自己利益を願う“御利益信仰”などを叶えてくれる訳が無いではないか!
自分だけが幸福になりたいなどと考える事自体が、罰当りだ。
寺社とは“お手軽な幸福を販売するデパートでは無い”と悟った。

古来より、人間は人知の及ばぬ“宇宙の神秘・大自然の驚異の力”を“神”として畏敬・崇拝した。自分の周囲の太陽・月・星の宇宙も、生命の神秘・出産も、嵐・雷・風にも、全てに神性を感じて敬った。
脆弱・非力な生物である人間は、強大な大自然の力に憧れて縋った。
大自然の摂理の全てが神であった。

やがて部族やムラやクニ等の集団が形成されるようになると、強いものが弱いものを統合し、「神々のジャングル」から有力な神が選別・統一され成長してゆく。古代文明には其々の“神”が登場した。
セム族のヤハウェ神、エジプトのラア・ホルス・オシリス神、シュメールのアヌ・エンリル・イシュタル・マルドゥク神、オリンポスのゼウス・ヘラ・アテナ神、インダスのシヴァ神、北欧のトール神、マヤのケツアルコアトル神・・・・・等々。

世界各地には、特定の地域・集団が信ずる多くの民族宗教が発展した。
ユダヤ教、ヒンドゥ教、ジャイナ教、シーク教、儒教、道教、ゾロアスター(ツァラトストラ)教、日本の神道・・等々。

・・・これらの各地の民族宗教の様々な教義の違いの原因とは、言語や被服が地域ごとに異なった発展形態になったのと同様に、それぞれの異なる自然環境・気候風土の中での、“適応”の違いであろう。

たとえば、十戒の教えの殺人・姦淫・盗難・偽証等の禁止とかは律法的な教えであろうが、牛肉は食べるな、生肉や血は食べるな、輸血はするな・・とか、ベールやターバンで肌を隠せ、見せるな、断食・とかは、過酷な自然環境の地での保健・健康・疫病対策でもあったのではないか?


ともかく、本来の宗教とは、人間の幸福な生活を願うものであり、神様とは、人間が創り出した、大自然の摂理の偶像化であろう。・・・などと私は思うのでした。

ところが世界三大宗教も登場し、文明が進んでゆくにつれて、宗教は、権力を握り富を手にするための政治的手段にもなって行った。世界史上に、神仏の名を騙り悪名を残した宗教者は枚挙に暇ない。 だから、人々の心に恐怖や不安の種を散々ばらまいておいてから、“神・永遠・絶対・真理”等を軽々しく口にし、溺れる者に藁を掴ませ、・・裏では寄付や寄進をさせて、神仏を商売にしている不逞の輩達、言わば詐欺集団を私は許せない。

教祖様が高級外車に乗り豪邸や別荘に暮らし信者女性をはべらかし、人間の尊厳を冒瀆するマインドコントロールや洗脳を行うようなそんなカルトやスピリチュアル集団は、宗教では無く犯罪集団である。
騙される被害者は、利用されている事に気づかないことが悲しすぎる。


(※いったいハルマゲドンが絶対真理だと主張し世界の終焉を声高に唱えた輩や、
原発は絶対安全ですと神話を作って、事故を起こし多くの人生を狂わせた人や、神の国であるぞよと言って多くの若者を大陸侵攻や特攻に送り込んだ人に、後で責任を取ったり、嘘や過ちを謝罪・弁償した人が何人いたでしょうか?
“汝、悔い改めよ”・“聖書を勉強しませんか”等とは・・・フザケルナ!
最も救われない不勉強人間とは、邪教に洗脳されたあなた達の方だろう!
“神の名を騙る者は、地獄に落ちる”のだ!私の真理は“さわらぬ神に祟り無し”なのである・・。)



ともあれ、我々の生きている現世の中には、さまざまな解しがたい山のような矛盾が存在するわけであります。
いろいろな病気や肉体的な苦痛や死、あるいは自然の力による大災害・地震・火事・暴風など大きな苦しみもあります。
ほかにも貧困や強者による弱者の虐げ、あるいは悲惨な戦争、そうした人間自身が作り出すさまざまな苦しみがあるわけです。

古来より、様々な“聖者”と呼ばれた“人”が主張したように、もし神が存在し全知全能であり給うのならば、そして正しい理法が全世界で行われているのならば、なぜ数々の苦しみや矛盾が存在し、今も放置され増大し続けて、なぜ何も解決しないのでしょうか?

紀元前から続く世界の争いの大きな種元とは宗教ではありませんか?
宗教は、単なる弱者への慰めや心の病の麻薬に過ぎないのですか?
結局は、現世は理念よりも利害で動いているのではありませんか?

宗教も思想も政治も経済も法律も科学も教育も医学も軍隊・・・も、
未だかつて、人類は平和な世界を創れていないではないですか?
・・・「神は死んだ」のでしょうか・・・?


話は戻って、高度経済成長期の日本。
国民は「もっと豊かになりたい」と都会を目指して上京した。国全体としても、欧米に追い付け追い越せで凄い勢いがありました。

ところが1980年を過ぎると日本は欧米に追い付いてしまいます。それ以降というもの、国家の目標とか個人の生きる夢みたいなものが、徐々にわからなくなってしまい、カオスの時代になったようです。

「どうせだれが首相になっても同じさ」
「選挙なんかに行っても、何も変わりゃしないさ」
国家の政治を左右するものは、やはり理念よりも利害でありました。

そして、文明のサイクルが一段落し、夢の薄れた90年代日本では、個人の価値観は益々多様化し、モーレツ人間や義に生きる人は減少し、かつてニーチェが予言した“ニヒリズム”(すべてが無価値だ)の無関心人間と自己中心人間の、シラケタ世相が蔓延するのでした。

(※これらの世情は“いつか来た道”では?と感じるのは私だけでしょうか?
大正デモクラシー~関東大震災~世界大恐慌~エログロナンセンス~カルト流行日本経済の危機~政党と財閥の結託~治安維持法~中国革命の進展~思想統制~右傾化~大政翼賛会~国家総動員法~軍部の独走~そして大東亜戦争・・・??
いつの時代も、権力を狙う者たちは宗教の持つ力を利用した。そして、究極の経済政策とは、全てを破壊して新需要を作り出す、“戦争”なのだった。)





閑話休題

そんな1991年の早春、元MC誌記者の守谷孝一氏から連絡が入った。

「・・横ちゃん、俺達も、とうとう厄年の年齢になっちゃったね・・。何があるか分からないこんな時代だから、厄祓いに行かないか!同い歳仲間のモデルの北上純ちゃんも誘って、3人で行こーぜ!」

“神仏は尊ぶべし”ながらも厄年すら考えた事も無い罰当りな私は、興味半分・面白半分で喜んで参加するのでした。

3人が訪れたのは、二子玉川にある「玉川大師・玉真院」でした。このお寺は、お参りすれば四国八十八か所をご遍路したのと同じ御利益があるというありがたい弘法大師様の名刹であります。

そして守谷氏が絶賛するのは「胎内巡り」と呼ばれる、本堂地下に広がる漆黒の暗闇の世界・真言密教の地下霊場なのでありました。

「・・摩訶般若波羅蜜多心経 観自在菩薩 行深般若波羅蜜多・・」
まずは、お賽銭を入れ、線香を焚き、お参りを済ませる。そしてお賽銭箱の横に、幽玄世界に誘う細い階段を見つけるのでした。

境内の地下一円におよぶ地下窟は大日如来の胎内曼荼羅を模っていた。懐中電灯を頼りに、明かり一つない真っ暗で狭い洞窟に入る。

“凄すぎる!”光一つ音一つない完全な“虚無”の空間だった。
(※罰当りな表現をすれば、アミューズメントのホラー館よりずっと面白い。)

さらに手さぐりで進んでゆくと、微かに蝋燭の灯る「地下金剛殿」に到達した。・・・薄明りの中に揺らめく何体もの尊い仏像の姿は、不信心で罰当りな私達でさえも、現世を離れた幽玄の精神世界に誘ってくれるのでした・・・。

さて、厄払いを済ませ、世俗の穢れを落とせたと思い込んだ私達“御利益信仰”の3名は、すっかり空腹を感じてしまい大師様を下山してレストランを探すのでした。かつて子供の頃に遊園地に遊びに来たこともあった二子玉川の町は、今や、シャンゼリゼの様なお洒落な “ニコタマ”に変身していた。

かくして“罰当りな三人組”はイタリアンレストランで精進落しのワインの献杯を重ねるのでありました。


追伸・・・しかしながら、厄払いの甲斐も無く、無慈悲にもこの年・・・、・・・私の前には“最悪の厄年”が待ち構えていたのでありました。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・つづく





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