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続・青春VAN日記17

ヴァンカンパニーの巻 その1(1980年初夏)

<楽しい清貧生活>

思えば、あの破産の日以後、私は千駄ヶ谷のアパートを引き払う事になりV社宿直室や親戚・先輩のマンション・友人の家等を寝泊りして廻る住所不特定の“ヤドカリ生活”を余儀なくされていたのであったが、
ついに現住所である356別館もブルックス・ブラザースに明け渡すことになってしまい、新しいねぐらを探さざるを得なくなってしまった。

この間の私の収入はと言えば、SHOPの目覚しい売上にも拘らず、破産財団からのささやかな賃金のみであったが、こんどの争議解決により、残務社員達もようやく旧社の退職金や争議解決金を頂けることになり、(本当にありがたかった!)
また新社設立への展望も見えてきたことでもあり、私はようやく部屋を探す事にした。

私のアパート探しはいつもどおりに職住接近主義である。
場所は神宮前5丁目にした。表参道の創作屋ビルの裏手にある小さな古い木造アパートであった。

この頃の表参道は、キディー・ランドやオリエンタル・バザーの裏道を一本でも入るとそこは閑静な住宅街だった。
表通りの喧騒が嘘のように
都心とは思えないほどの静かさで、秋になると窓の外の草むらからは虫の音が聞こえてくるほどであった。

ここには八百屋、万屋酒屋、食堂、電気屋など“銭湯”を中心にして、小さいながらもおもちゃ箱のようなレトロな商店街が存在した。

まるで映画“三丁目の夕日”のような昭和の住民達の生活が存在した。

明治通り・表参道・青山通りの3道路によって挟まれた神宮前5丁目は、その周囲を道路沿いの高いビルの壁によって、砦のように囲まれていたがその壁の内側に一歩入り込むと、まるで別世界だった。

“表通り”は進化する超近代的な世界の先端ファッション・ストリートだが“裏通り”は同潤会アパートにもなごりを残す懐かしい昭和の庶民の世界。

この表・裏の絶妙のコントラスト!あまりにも素敵だった。私自身も表面は華やかなSHOP店長だが実は清貧生活者・・。

しかし懐は寂しくても、心は夢でいっぱいだった。
業界裏人間の私にとってはこれほど居心地の良い場所はなかった。

この町はいろんな事を教えてくれた。

・・・表があるから必ず裏がある。
・・・貧乏があるから金持ちもいる。
・・・苦しいことがあるから楽しい事もある。
・・・見苦しいものがあるから美しいものがある。
・・・古いものがあるから、新しいものがある。

日本の文化にはいつも「表」と「裏」がある。
“表文化”とは公的な、そして体制的な文化である。

表通りは、ガソリンのにおいと商売のウソと虚栄がみちている。
世間体を気にした見栄と外聞の世界である。

“裏文化”とは私的な、非体制的な人間関係・社会関係の産物である。裏通りには人間の真実の姿がある。

・・・松尾芭蕉は「奥の細道」をトボトボと歩いたからこそ、
・・・木枯らし紋次郎は「裏街道」をさすらったからこそ、
   社会と人生の真実に触れたのではないか。

表通りの“東海道”を駕籠や駿馬で旅していたら、どうであっただろう。

・・・お茶の世界にも、表千家、裏千家とあったように、ファッションの世界も似たようなことがあるのかもしれない。


見栄と世間体と金もうけのための先端流行ファッションの世界。

対して人間の生活文化機能のトラディショナル・ウェアの世界。

面、どちらが良い悪いではない。

・・・表裏、新旧、明暗、苦楽、美醜、善悪、陰陽・・・、
物事は面・両面があるから成り立ち、合わせて味わい深いのだ。

諸事万物の相対性理論? 絶対矛盾的同一? それがこの世の実体だ。

あの芭蕉翁の「不易流行」。
不易か流行か、どちらが正しいかではない。

いろいろあるから、あるがままにこの世は素晴らしいのだ。
もしかしたら「風雅の誠」のヒントはこんな場所に在るのかもしれない。

着飾った男女達が闊歩し、高級マンションの立ち並ぶ神宮前表通り。
その一本裏の町内に入ると・・・、トレーナー、コットンパンツ、スニーカーの普段着姿に手拭いマフラーで石鹸とシャンプーを入れた洗面器をカタカタ鳴らして銭湯に通う“神田川”の庶民生活の世界。


なんと、町内の風呂屋では、先輩住人のVAN本社三人娘のお一人
“ター子先輩”とバッタリ出会ったり・・・、

また、近所の定食屋に晩飯を食べに出かけると、

メンクラの街アイ常連で町内“ときわ荘”三畳間の住人、鈴木康人君
(ブルーノット・アイビークラブ代表、4年後の代官山“al”店長)と偶然いっしょになったり・・・、

町内アイビー仲間の鈴木康文君達と居酒屋で酒を飲んでいると、知らないうちにトラッドフリークが集まって宴会になってしまったり、ある時は、冷房の無い我アパートに遊びに来た彼らと、ハワイ土産のレイや腰ミノを着けて、ハワイアンをカケながら安いサントリーカクテルでアロハ酒盛りをやったり・・・と、まるで学生時代のような楽しい神宮前5丁目生活が始った。

この時、貧乏人の私には、なんの家財道具も無かったが、ちょうど“356別館〜ブルックス移転”で社内備品の処分をしていたので別館内に在った冷蔵庫・テレビ、保健室のベッド、電気釜・ポットなどを安価で払い下げてもらった。

二年ぶりの“狭いながらも楽しい我家”だった。
神宮前5丁目バス通り裏、ここは人目も気にせずに、虫の音を聞きながら大の字になって寝られる天国だった。



2009年の今でも横田氏が使っている、VAN JACKET東京本社 356別館2階に有った
保健室の木製ベッド、ヘッドボード部のVAN備品シール

このベッドで何人ものVAN 社員がサボッ
・・・・・・
いや、体調を整えてもらった事でしょうか。・・・・・?????  
 感 謝 !!





・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・つづく

        



1980年、POPEYE記事





1980年8月9日、日経新聞








“VAN SITE”ZOKU-SEISHUN VAN NIKKI 17
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