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続・青春VAN日記19

ヴァンカンパニーの巻 その3(1980年夏)

<新商品製作へ>

青山のVANSHOPは完全に軌道に乗せることが出来た。


しかし今まで、破産処理作業にたずさわっていた残務社員の人数は、東京にだけ存在していたわけではなかった。各地方に存在していた旧VAN営業所は全てが消滅したわけではなく、労組社員が残存する営業所もあったのである。

大阪支社(VO)、東北仙台営業所(VS)、静岡営業所(VC)の3営業所であった。

やがて彼らは東京でのVAN-SHOP活動の成果を見た結果、地方にも、在庫商品販売の直営VAN-SHOP開設を希望する声を相次いで上げた。

そして労組は、販売会社ヴァンカンパニーを設立(197912月)。
次々と地方直営店の設置に取り掛かっていたのである。


私もその開店指導・手伝いのため日夜東西を奔走していたのである。

さて、店舗数が増加して、各店が予算を超える売上を上げ始めると、さすがの膨大な旧在庫商品もアイテム・バランスが崩れ、品数が不足気味の状態になってしまった。

特にZWZCJCPCNYAG品目等は
完全に売り切れてしまった。
このため、店頭においては、どうしてもフォロー商品を作らざるを得ない
状況が生じた。

私は、早川部長に旧取引業者を教えていただき、メーカーを駆け巡った。

本庄の茂木縫製さん、青山の司商事DONさん、桐生の岡島刺繍さん、
ニットのジェントリーさん、そして渋谷の縫製名人・小沢工房さん
・・・等々。


どこにいっても旧VAN先輩達の偉大な足跡を身に沁みて感じた。

どちらの業者さんも、旧VAN商品の型紙等を保存していたり、
OB関係者がいたりして暖かい応援をして下さったのである。


茂木縫製さんには元VAN製作社員の黒沢さんがいらっしゃったし、
岡島刺繍さんでは、私の再デザインした新VANKentエンブレム(社員用fashion-monger等)やワッペンを作っていただいたり、ニットのジェントリーさんには昔風の超厚地のKentトレーナー別注に応じていただいたり、・・・と、旧知ならではの目に見えない親身の御協力を戴いたのでした。

かくして販売会社ヴァンカンパニーは着々と準備活動を続け、やがて青山356ビルのブルックス移転にともない、青山から目黒区青葉台へと会社を移転した。


カンパニー社は、新VAN社の商品製作活動が開始される前に、
その販路を確立する必要があった。そのため次々と直営店を増加させていったが、

私は各SHOPの設計内装を“イケダ・プランニング・サービス(I・P・S)”さんにお願いした。


1977年、池田&新庄氏等と


池田さんは元本社販促池田キャップ(トラッドショップ設計の達人)である。同時に、セールスプロモーションもこの当時イケダ・プランニングにいた同期の藤代先生・新庄氏のVAN販促ブラザースに相談に乗っていただいた。

勇気百倍!元同期仲間達との嬉しい仕事付き合いが再開した。
( カンパニー社は元内勤社員が多く、トラッド現場業務未経験者が多かったので、池田プランニングさんの参加は百人力であった。 )


やがて生地屋さんや縫製業者さん、ニット屋さん、ネーム屋さん、懐かしい顔の中村精工・、ダイケー産業、角商店、VAN事務用品、紙袋、ツーリストバッグ、ノベルティ、パッキンetcなどの業者の方々も続々と事務所に来てくれるようになった。

VANカンパニーは少しづつ会社らしくなっていった。


ある日、私が青葉台・社前で出庫作業をしていると、後ろから声を掛けてくれる方がいらっしゃった。


「ねえ、おたくの建物にVANの看板が出てるけど、あなたVANの人?」

どなたかと振り返ると・・・、なんと“ミッキーカーチス”さんだった。

驚いた!なんとお隣は、あのミッキーさんの家だったのだ!



「はい。これは存じません事とはいえ、ご挨拶もなく失礼致しました!」

「あっそう、VANが隣にくるなんて“縁は異なもの”だね、ヨロシク。」

「こちらこそ宜しくお願いいたします。改めてご挨拶にお伺いします!」


    あー、ビックリした。

       ・・・なんてこともありました・・・。





・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・つづく

        



1980年、大阪 ヴァンガーズOPEN時の一風景

1980年10月メンズクラブより








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