続・青春VAN日記23
ヴァンカンパニーの巻 その7(1980年冬)
<VAN再建成る>
1980年12月3日。
新“ヴァンヂャケット社”が設立・登記された。
ついに、正式な再建が成し遂げられた!
「新社概要」
業種 紳士服 洋品雑貨製造卸
資本金 1500万円
役員 特別顧問 石津謙介
社長 早川和夫
副社長 牧尾裕輔
常務 宮川 烈(元VT営業部長代理)
製作部長 武部陽一(元VT製作課長)
営業部長 石川兼孝(元VT営業課長)
販売先 第1期 ヴァンカンパニー
第2期 専門店 百貨店、営業開始
方針 「大艦巨砲主義から駆逐艦機動船団方式へ」
新生VANグループは、旧ヴァンヂャケットが有していた各ブランドを独立・企業化し、独自のマーケティング戦略を展開する。
( ※各ブランドは順次力を付け、下記社名で独立を目指す。)
潟Pント(牧尾社長、新VAN副社長兼任、元VT支社長)
ヴァンミニ(中本社長、元VO社員)
潟買@ンスポーツ(石川社長、新VAN営業部長兼任)
潟Vーン(高田社長、元渋谷NOW店長〜VH営業所長)
※関係会社
潟hゴール(“メンズクラブ”ブランド。愛甲社長・元VT販促)
当日の業界新聞評
「かつてこれだけ強い力を持ったブランドがあっただろうか。VAN,Kent,SCENEを見るにつけ、こう思う。空前の負債を抱えて倒産、ついには破産宣告まで受けた企業のブランドが3年あまりの空白期間がありながらカムバックしたのである・・。」
そして、今日まで残務処理〜在庫商品販売〜カンパニー社とがんばってきた元社員達の、新VANグループ内担当の配属が決定された。
もちろん人事配置については、各人の希望が第一に配慮されたが、
私には、新組織について一つ心配があった。
・・・それは、かつてVAN社においては大事なことであった
“VANらしさ”の社風(におい)作りについての心配であった。
かつてのヴァンヂャケットは、もの作りから販売に至るまで“VANの香り”に溢れていた。社員から商品に至るまで独自の“におい”があった。
企業の“におい”は人である。この会社全体が醸し出す“VANらしさ”が、他社商品との圧倒的な差別化をもたらすキーポイントだった。
自由な社風、夢ある企画・宣伝広告・販売促進。こだわりの商品、喜びを売る営業・販売社員。
もし、新社がこれらの“らしさ”を失えば、日本中のお客様達は、正統ヴァンヂャケットとは認めてくれないだろう。
(・その後の、いくつもの某ライセンスVAN商品が示すように・)
さて我々が目指した新ヴァンヂャケットグループ人事配置体制とは、
●ものづくりには、石津会長を最高顧問にお迎えし、武部さんがいる。
●管理には、早川さん、牧尾さんがいる。
●宣伝・販促は、たくさんの“永遠のVAN社員”の方々がいる。
「池田プランニング、スカイ(Cカンパニー)、イン・コーポレーション、パート4さん達・・・」。
心配は無い!
問題はお客様とじかに触れる現場の営業、販売社員である。
2年間に渡り、がんばってきた残存社員達は、その多くが元内勤事務系社員であり、“ボタンダウン命”の社員ばかりでは無いのである。
VANらしさを知る“好きこそ物の上手なれ”の営業・販売経験のある現場担当のアイビー・トラッド社員が少ないのである。
本家本元のVAN、Kent店に元1型社員がいないのでは話にならない。
・・・相談の結果、
“VAN”担当には、君塚さん、桜庭さん、が
“Kent”担当には、私が配置されることになり
(青山Kent-Shop店長兼任)
新たなるVANの社風づくりが一大使命となった。
私の直営店販売社員教育が再開された。
“HOT・DOG PRESS”1981年8月10日号より
|
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・つづく
|