続・青春VAN日記25
ヴァンカンパニーの巻 その9(1981年春)
<ホットドッグ・プレス誌の花房さん>
1978年、VANの倒産が引き金となって始まった第3次アイビーブームであったが、その熱は下がるどころかますます高まっていった。
活字の世界からアイビー熱をいっそう盛上げてくれたのは、メンクラ、平凡パンチ、ポパイの各誌であったが、特筆すべきは1979年創刊の講談社“ホットドッグ・プレス”の強烈な“VAN特集記事”シリーズだった。
後発誌であるにもかかわらず、VANについての序論・概論・総論・概史、その記事の奥行きの深さには驚かされた。単なる服やノベルティの紹介にとどまらず、その記事は精神・文化論にまでおよんだ。
中でも、石津会長についての特集記事は群を抜いていた。
特集は、“全国アイビー大地図帖”“VAN精神を学ぶ”・・・から“石津謙介のニューアイビー教科書”、“私のアイビーロード”と続き、果ては“VAN史”、“全国の元VAN社員特集”にまで至るのであった。
VAN社員の私達ですら、興味深く読んだ。
一体どんな人たちが編集しているのだろうか?これらの記事は並みの記者では絶対に書けない。相当な“石津謙介とVAN”の研究者に違いない。と、興味は増すのだった。
その答えは、ある日、石津事務所に所用で伺った時に判明した。事務所が一瞬狭くなったように感じさせる存在感の方がそこにいた。その張本人の方が、ホットドッグ・プレスの“花房孝典”さんでした。まるで、皇族のヒゲの宮様がプロレスラーになったような方でありました。
花房さんは、石津会長を心底敬愛する人でした。
“ペンは剣より強し”出身のするどい文章と顔に似合わず、クールな笑顔の超大柄の紳士でありました。メモを取らないその取材スタイルは、既にしてVANと会長についての知識が並みの物ではない事を物語っていました。
〔・・・花房さんはその後、“石津謙介オールカタログ”(講談社1983年発行)、“石津謙介のNEW‐IVY”、“アイビーは永遠に眠らない”(三五館2007年発行)と出版され、まさに後年の石津会長の公私にわたる“忘年の友”でした。
私も、講談社での“駒さんと忘年会”や石津会長のアイルランド、イタリヤ、アメリカ等の海外旅行でご一緒させて頂きましたが、旅の徒然に披露されるその衣食住にわたる“博学”は、つとに敬服に値するものでありました。
改めて“名記事、名文章”有難うございました・・・。〕
<新VANアイビー、映画に登場>
さて、親愛なる各誌の応援も頂き、順調な成長のヴァングループでしたが、ある日、店から本社立ち寄りした私の所へ、VAN販促課長の桜庭さんと営業課長の君塚さんがやって来ました。
「おーい、ちょっと話を聞いてくれ。」「実は大仕事が決まったんだ!」
(VAN販促担当の桜庭さんは、芸能界や放送業界に実に顔の広い方でした。この時すでに、矢沢永吉氏タイアップのVANグッズ製作に係っており、後日あのマイケル・ジャクソンが来日した時に、VANのスタジアムジャンパーを着せての写真撮影に成功したのもサクラバさんでした・・・。)
「こんど、新進映画監督の森田芳光さんが映画を作るんだけど、映画の中で、主人公と仲間達の出演者達が、すべてVANの服を着て撮影する事が決まったんだ。 Kentも協力してくれ!」
「それはすごいですねえ!若大将シリーズ以来ですねえ!ところで、どんな映画なんですか?」
「これは、森田監督の劇場映画デビュー作品なんだけど、秋吉久美子・伊藤克信・尾藤イサオ・ラビット関根さん達や若手落語家達が出演して、東京下町に生きる落語家の若者達の姿をユーモラスに描く青春コメディ映画らしい・・・。」
「それは今のVANにピッタリの映画じゃないですか!やりましたね!VANのアイビーが日本中に紹介されて、永久に映像が残りますよ!さすがラバさんだ! ところで、映画の題名は何ですか・・・?」
「題名は“のようなもの”。 さあいそがしくなるぞ。」
この映画は秋の公開予定だった。どうやらVAN社作りのほうも、きわめて快調らしかった。
(ぜひ、新VANアイビーを映画ビデオ等で御覧下さい。)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・つづく
|