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続・青春VAN日記39

ケント社の巻 その6(1982年)
<青山トラ次郎・営業旅情⑤>



馬鹿者!静かにせんかー!”


車両中に、雷鳴のごとき一喝が響き渡った。
場所は、大牟田駅で乗り換えた西鉄博多行き電車の中での事であった。


そもそもの始まりは、西鉄電車に乗車する時のことだった。

ホームには、下校時と思われる高校生の集団がたむろしていた。
が、その外見たるや、長いのや短いのや、今時TⅤドラマでも見られない変造学生服を着て、昔の日活映画かと思えるほど太いズボンをだらしなく穿いている。

リーゼント頭やパンチ頭、剃りを入れた眉毛と額。とても教科書が入っているとは思えないぺッタンコのかばん。

・・・今となっては東京では見ることもできないような、絵に書いたような不良学生の姿であった。

その騒がしさは常軌を逸していた。電車が到着した。すると彼らは、開いたドアをめがけて殺到した。もちろん、彼らはけっして行儀良く並んでなどはいない。

ドアが開き、車内から降車しようとしていた数名の客達は、我先にと車両に突入する高校生達に押しまくられて降りられなかった。

まったく、常識では考えられない呆れたマナーの悪さであった。

乗車して電車が走り始めると、さらに驚かされた。座れずに立っているお年寄りの客達がいるにもかかわらず、彼らは、座席に寝そべってタバコを吸ったり、大声でくだらない事を言っては大騒ぎし、揚げ句の果てには、不勉強の証明の薄いカバンの投げ合いまで始めた。

まさに天をも恐れぬ傍若無人の態度であった。
周囲の大人客たちは皆、見て見ぬ振りをしている・・・。


“いったい九州にはマナー・モラルというものがないのか!”九州男児とは、こんなものではないはずだ。
これでは骨ある“ぼっけもん”どころではなく、たんなる馬鹿だ!


さすがに温厚な私も、これは酷すぎると隣の牧尾社長のお顔を窺った。
・・すると、
牧尾社長のこめかみあたりが“ピクピクッ!・・・”


・・・ウッ、これはまずい・・・!


この方を怒らせると、とんでもない事になる。
VK営業所長時代には、天神や中州において豪名を轟かせ、
VT支社長時代には、その豪快な声は青山通りにまで届いた方なのだ。

なんとかしなくては・・・、その刹那であった! 

・・・牧尾社長の大雷声が鳴り響いたのは!
後は推して知るべし。


Ⅴ社に鳴り響いた“牧尾流・気合術”である。聞いた者は誰しも縮み上がらずにはいられない。



牧尾チーフ???・・・・・・のつもりです。



牧尾社長に一喝された高校生達は、一瞬にして静まり返った。


私も瞬時に、その後の事態を想定した態勢を取らざるを得なくなり、


「貴様らはどこの高校だ!学校名を名のれ!」

しかし、全身が固まってしまった高校生達は、さすがに只者とは思えないダーク・スーツ姿の牧尾社長の貫禄と聞きなれない標準語の一喝に驚いたらしく、完全に位負けした。

そして電車から逃げるように降りていった。


やはり、牧尾社長は古強武者であった。
  (あ~、騒動にならないでよかった!
          へたをすると新聞沙汰ものだった)




ヤナガワー、ヤナガワー。 西鉄電車は無事柳川駅に到着した。

柳川市と言えば、水郷の町であり、北原白秋、小野ヨーコで有名だが、東日本ではその地名を知る人は多くは無い。

私が第一に思い浮かべたのは、後世“華は立花”と唄にも詠われた十万九千石の勇将“立花宗茂”である。筑後柳川藩祖にして、剛勇・文武両道を以って鳴る、男の中の男。

あの秀吉も“天下無双”と称えた、真田幸村に匹敵する戦国武将であった。


そして、忘れられない男がもう一人。江戸後期、尚武の気風が盛んであった頃の柳川藩・新陰流剣槍術師範で、江戸の三大道場、男谷精一郎、千葉周作、白井亨達に勝負を挑んでいった長竹刀で有名な大石進・種次も忘れがたい。


( 九州はやっぱり男の産地だ )


さて、柳川藩K-PORT師範・高須啓治氏とはどのような御方であろうか?“華の立花宗茂”のような方であろうか? 


興味はますます募るのであった。




私が柳川と聞いて思い描くのは、東京だと “ どぜう ” 、
九州では “ 柳川丼 ” でしょうか・・・・・・・・!!
食い意地がはってる管理人より



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・つづく








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