続・青春VAN日記4
破産財団の巻 その4(1979年 新春)
昨年末の“青山本社ファミリーセール”が大成功を収めた後、私は再建に向けての、自分自身がとるべき行動、成すべき役割をじっくりと考えていた。
目標は、唯一無二“ヴァン・ヂャケットの再建”のみである。
ただひたすらに、
VANのマーケット力が少しも衰えていない事は、セールで十分に確認できた。売るべき商品は、数十億に達する旧VAN商品の在庫量を確認できた。
そして岸先生は、その在庫処分方法については
VANブランドの付加価値を下げることの無い手段と方向性。
社会に対してVAN健在をアピールし続けることの必要性、を示された。
・・・これらを最大限に有効に成し得る事とは、一体何か?
そのために私が成し得る事とは何か?
“私の結論”、それは
「ヴァン・ヂャケット直営、常設のVAN・SHOPの開店だ!」
これしかない!
“商い”で一番大切なのは無論“お客様”である。
・VAN商品を待ち望み、その動向に注目する多くのファンの方々。
・心配して気を揉む関係者・取引先の皆様方。
・セクトを超えたOB社員達全ての再建への願い。
だから私は、マーケットといつも繋がっていなければならない!
お客様を離してはならない!
社会との接点を閉ざしてはならない!
そしてその“SHOP”とは、
VANのイメージダウンを避ける為にも、
安売りではない格調あるトラッド・ショップの在庫換金の拠点として、
伝統のVANブランドのアンテナ、モデル・ショップとして、VAN広報室、VANファンの集うサロン、先輩・関係者との連絡所として、
VANによるVANらしいVAN社員が接客せねばならない。
そして、現在、この事を成し得るVAN最適任者は誰か?
・・・不肖、私しかいない!(恥ずかしながら)
VANキチガイにして、販売売上No1、優秀社員社長賞受賞、自他共に認める石津教信者、都内顧客達のトラッド宣教師、歩く1型原型社員、愛想良く司会の出来る営業マン、旧管理職や先輩方にも、そして労組にも面識のある社員。
・・・適任者、それは私だ。
私は、労組に対し提案した。
「破産財団から在庫品を払い下げてもらい、これを売ることで残存社員の生計を立てましょう。私にVAN・SHOPをやらせて下さい。」
・・・しかし、必ずしも組合員全員の賛同は得られなかった。
出る釘は打たれてしまった。しかし挫けなかった。
打たれても主張した。
「旗を振って会社再建を叫ぶだけではだめだ。商品を売り続けることによって、客の意識をVANにつなぎ止めておく事も再建には欠かせない条件だ。」と説得し続けた。
これは、闘争派組合員の反感をもっと買ってしまった。
脅されたり、冷たい目で見られることもあった。だが私も必死だった。
真意を一人一人説得していった。やがて、次第に同意する人もあらわれ、とうとう理性ある幹部の数人がついに聞き届けてくれた。
そして全体会議を経て、ようやくVAN・SHOP開店にこぎ付けたのである。
1979年春のことであった。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・つづく
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