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続・青春VAN日記46

ケント社の巻 その13(1982年)
<青山トラ次郎・営業旅情⑫>

小倉魚町のオーミハウス様には、OBと関係者が集まっていた。
私は、牧尾社長と再び合流して店を訪れたのだった。

元VK販促織田忠男キャップを筆頭に新田代表、中村店長、得丸さん他、関係者の皆様が集合したのだが・・・、

織田さん達は今では我社のお客様の立場であるはずなのに、牧尾社長は「おいオダ」、と呼ぶ。織田さんも牧尾社長に敬語を使っている。
でも二人とも嬉しそうである。 

実に変である。


牧尾所長と元部下達との絆はずいぶん深いようだ。店内は、まるで旧VK・営業会議の場の様になってしまった。

《・・・不思議なもので、今でもOB会などで旧社員達が集合すると、顔を会わせた途端に全員が昔の役職と上下関係にもどってしまう。中には出世して社会的地位の高い方がいらっしゃっても、まるで無視である。

現在は社長の方でも御隠居の方でも、この場では永遠に昔のままのキャップや平社員である。私などは、入社年代が遅いのでいつまでたっても新入社員扱いであるが、呼びつけられたりすると何故かうれしくて大変心地良い。


お腹の出っ張った方も髪の毛の薄くなった方も、会った途端に目が輝きだして、青年の顔に戻ってしまう。
昔TVで見た武道館の“旧制高校寮歌祭”で、蛮声を上げて校歌を歌うオジ様方のお気持がよ~く理解できた。

やっぱりVANは学校だった。 》



・・・不思議なものですね。・・・YOUNGATHEART

そしてVK営業会議の結果は、当面、VAN・Kentブランドは魚町オーミハウス店で商品展開し、いずれ、VANHOUSEKentHOUSEとしてそれぞれ単独の店舗を計画することになった。

商談のあとは、楽しいVK小倉支部同窓会が待っていた。玄界灘のうまい料理を食べながら、小倉の夜は更けていった。

さて翌日、牧尾社長は東京に帰られ、私は中津行きであった。
昔、小学校で教わった菊池寛の“恩讐の彼方に”の青の洞門を思い出す。しかし、耶馬溪を見る余裕などは全く無い。スケジュールは詰まってきた。

本日のうちに次の大分市の商談も済まさなければならない。

中津駅を降りると、駅前には寿屋百貨店・丸吉デパートと
なんと百貨店が2店もあった。なんともローカルな味ある“デバード”だった。

中津の町は北九州市のベッドタウンかなと予想をしていたので、駅周辺の活気は予想外だった。

商店街に見つけたクォターイン様は決してトラッドショップではなかった。桑原社長御自身もトラディショナリストの外見ではなかった。

若手販売員の内山さんがただ一人アイビーであった。しかし、見るからに商魂溢れる桑原正良社長はその計画を語ってくれた。

「 先日、ニューヨークでPOLOSHOPを見てきました。現在当店は中津・大分二店舗の展開ですが、来年は、中津にアイビーのVAN HOUSE店を、大分にはPOLOタイプの新トラッドショップを計画しています。両店ともにKent商品を扱いたいのですが・・・。」

POLO FLAGSHIP SHOP in NEW YORK、管理人撮影

・・・私にとっても、NYのPOLO SHOPは夢の店舗であった。かのラルフローレンが近年開店させたニューヨークの新店舗は、ブルックス育ちのラルフローレン・トラッド思想の集大成ともいえる究極のPOLOSHOPであり、世界のトラッド人間の夢であった。

そのトラッド衣食住の世界に、桑原社長も感銘を受けて来たらしい。NY話も盛り上がり、社長はおおいに夢を語ってくれた。

そして私はご契約いただいた。

大分では、クォーターイン店の板井・黒瀬さんにご挨拶を申し上げ、続いてMrShop-Kentに懐かしい田崎旧ケント部長をお尋ねした。


さらに翌日、私は延岡市と宮崎市を訪れた。

延岡メンズショップSAGA様の佐賀信彦社長は、なんと私の大学先輩であった。懐かしい通学・授業・学食風景そして部活等の思い出話は尽きず、すっかりAT HOMEな気持にさせて頂いた。

そしてその佐賀社長の傍ら
には、いつもミシンを担当の奥様と、宿題をする可愛いお子様達がいた。

ああ、いい御家庭だなあ・・・!

そして宮崎市若草通りアーケード街のメンズ・ニノミヤ様では、二宮信義社長、二宮久店長、月子様ご家族にすっかりお茶を御馳走になり、仲良くご家族で営業される姿を見て、ああ、うらやましいなあ・・・!


私はすっかり里心が付いてしまい、東京が恋しくなるのでありました。

(・・・当時、東京で暮らす九州人が“長浜の豚骨ラーメン食いたか~”と
 いつも言っておりましたが、私も同じく思うのでした、増田屋の蕎麦と福寿の東京ラーメンが食べたか~・・・。)


福寿の東京ラーメン

かくして、第一回九州出張の旅は無事終了するのでした。

そして営業出張の旅はその後も、四国、中国、大阪、名古屋、関東、沖縄・・・方面と続き、3年間にわたり各地の皆様にお世話になるのでありました。


九州営業旅情の巻、一巻の終わり。・・・ああ疲れた。


追伸

板付空港でバッタリ三間さん(元VAN人事課長)にお会いした。入社試験・研修会・合宿とお世話になった方なので、懐かしくて涙が出そうだった。が、㈱忠実屋の幹部の方との同行出張の様だったので、ゆっくりと話ができなかった。人事課長をされているとのことだった。あの笑顔が懐かしかった。お元気そうだった。


長期出張の感想

営業出張の旅とは、お洒落な旅ではなく、究極の肉体労働だった。間違ってもスーツに舶来革靴姿などで出掛けるものではなかった。

純毛100%のスーツや、総革底の靴というものは、五番街やセヴィルロー通りを、FOXを片手に歩くものだった。私は、TPOを誤ってしまい、疲労度200%になってしまった。見得を張った装いは、営業渡世稼業の自分には不適切であった。

そして、その後の私は、お得意様の承諾を頂いた上で、
腹巻、セッタ、らくだシャツ、トランクの仕事服姿で、(ウソです)

・・Kentロゴ入りスイングトップにチノパンツの軽快な姿で・・、翌年OPENする東京ディズニーランド社員と間違われるのでした。




・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・つづく









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