ZKPAGE1 ZKPAGE2 ZKPAGE3 ZKPAGE4 ZKPAGE5 ZKPAGE6 ZKPAGE7
ZKPAGE8
ZKPAGE9
ZKPAGE10
ZKPAGE11
ZKPAGE12
ZKPAGE13
ZKPAGE14
ZKPAGE15
ZKPAGE16
ZKPAGE17
ZKPAGE18
ZKPAGE19
ZKPAGE20
ZKPAGE21
ZKPAGE22
ZKPAGE23
ZKPAGE24
ZKPAGE25
ZKPAGE26
ZKPAGE27
ZKPAGE28
ZKPAGE29
ZKPAGE30
ZKPAGE31
ZKPAGE32
ZKPAGE33
ZKPAGE34
ZKPAGE35
ZKPAGE36
ZKPAGE37
ZKPAGE38
ZKPAGE39
ZKPAGE40
ZKPAGE41
ZKPAGE42
ZKPAGE43
ZKPAGE44
ZKPAGE45
ZKPAGE46
ZKPAGE47
ZKPAGE48
ZKPAGE49
ZKPAGE50
ZKPAGE51
ZKPAGE52
ZKPAGE53
ZKPAGE54
ZKPAGE55
ZKPAGE56
ZKPAGE57
ZKPAGE58
ZKPAGE59
ZKPAGE60
ZKPAGE61
ZKPAGE62
ZKPAGE63
ZKPAGE64
ZKPAGE65
ZKPAGE66
ZKPAGE67
ZKPAGE68
ZKPAGE69
ZKPAGE70
ZKPAGE71
ZKPAGE72
ZKPAGE73
ZKPAGE74
ZKPAGE75
ZKPAGE76
ZKPAGE77
ZKPAGE78
ZKPAGE79
ZKPAGE80
ZKPAGE81
ZKPAGE82
ZKPAGE83
ZKPAGE84
ZKPAGE85
ZKPAGE86
ZKPAGE87
ZKPAGE88
ZKPAGE89
ZKPAGE90
ZKPAGE91
ZKPAGE92
ZKPAGE93
ZKPAGE94
ZKPAGE95
ZKPAGE96
ZKPAGE97
ZKPAGE98
ZKPAGE99
ZKPAGE100
ZKPAGE101
ZKPAGE102
ZKPAGE103
ZKPAGE104
ZKPAGE105
ZKPAGE106
ZKPAGE107
ZKPAGE108
ZKPAGE109
ZKPAGE110
ZKPAGE111
ZKPAGE112
ZKPAGE113
ZKPAGE114
ZKPAGE115
ZKPAGE116
ZKPAGE117
ZKPAGE118
ZKPAGE119
ZKPAGE120


続・青春VAN日記47

ケント社の巻 その14(1983年)

<ケント社設立>

1983年、株式会社ケント(KENT INCORPORATED)は独立した。

合わせてヴァンヂャケット社と共に、その本社屋を港区芝3丁目小林ビル(通称ボートビル)に構えることになった。

新社屋は緑の芝公園・ゴルフ場・増上寺に隣接し、近くに東京タワーを
見上げ、浜松町や三田・麻布にも近い赤羽橋交差点にあった。


通称三田通り(桜田通り)から見た赤羽橋交差点方面と東京タワー

引っ越しを済ませた新VANグループ本社内の配置は、
1Fが物流、2FVAN,3FKENTであった。

ビル内には、VAN早川社長、宮川常務、石川営業部長、武部制作部長、君塚営業課長、桜庭販促課長、クニオちゃん、堀内さん達・・・。

Kentには牧尾社長、私等・・・あわせて約40人のグループ社員達の笑顔が溢れていた。

さてケント社では、昨年の営業活動の結果、初年度第1期の御契約店は以下の各店となった。

●ヴァンカンパニー社(敬称略)

札幌、仙台、青山、静岡、名古屋、大阪、神戸、福岡の各店。


●専門店(敬称略)

九州地区 鹿児島だるまや本店・天文館店、熊本まつの、柳川K-PORT、カネヤス長崎・佐世保店 小倉オーミハウス、クォーターイン中津・大分店、延岡SAGA、宮崎ニノミヤ、那覇YAGI3号店。


四国地区 松山さつき&メイ、高松百足屋(銀蝶)、高知鳩家、徳島JIRO

中国地区 広島コーネル、さだや、津山カナモト、三次モリトウ、岡山バニー、鳥取Kent-club、米子落合。

阪神地区 加古川TOP、垂水NACプラザ・須磨NACパティオ、豊岡BOB、神戸BONNY本山・三宮店、大阪Kent67、ローリーハウス。

近畿地区 四日市ハチトリ、奈良ベイブラウン、豊橋チャールズ、松坂アサヤ、岐阜ハトヤ・グレトナグリーン店。

中部地区 長野ニューポート、飯田ヤマギシ、新潟カワサキ、柏崎タカラヤ、富士宮Kent-shop花田、富士吉田ウインザー、山梨ムツミヤ、甲府356ブラザース、糸魚川ダン。

関東地区
 前橋エンゼル、高碕屋、桐生シャイン、宇都宮やまと、水戸ボストン、平塚浦川屋。

東北地区
 青森オノヤ、北上スズキ、古川ミズノ、山形アメリカンクラブ、郡山38NL、陸奥ジーンズハウス。

北海道地区
 北見フォード、勉強屋、旭川地球村。

                       ・・・様達。


かくしてケント社は、日本全国の心あるお得意様方の御好意によって、営業開始する事が出来たのである。

改めて各店の皆様のお顔が想い出される。

この時、あの倒産からはすでに4年の年月が経過していた。

流行の移り変わりの激しいこの業界にあって、じっとKentの復活を信じて待っていてくれたお客様は、当社の命だった。


Ⅴ社先輩方の残したKentの信用と、長年のお得意様との深い人間関係、そしてⅤ社と小売店様がいっしょに作り上げた全国トラッドファン。これらは、日本アパレル業界に燦然と輝く“宝”であった。


私達ケント社は、これらのお客様方に永遠に“報恩奉仕”する企業であらねばならない。そして、新ケント商品の全国小売店・卸展開は83年下期より開始される事となったのである。


さて全国小売店展開を控え、牧尾社長以下15名のケント社現場の“商品企画・制作・生産・受注業務”は、フル活動となった。

物づくりチームは連日の残業となった。

営業担当の私も“月月火水木金金”の日々が始まった。
まずは予算の作成、商品ラインアップの決定、数出し作業、
そして受注・売上管理体制、回収計画を確立しなければならない。

さらには兼任の販売促進担当者でもある私としては、“復活Kent”を日本中に力強く主張したかった。 Kent商品の、さらなる御注文をいただく為にも効果的な“展示・受注会”を開催しなければならなかった。

部下のいない1人販促の活躍が始まった。

展示会イメージ、キャンペーンテーマ作成、会場の選別、設計案、日程、案内状、ノベルティ・お土産の考案制作、親愛なる各種関係業者へのご連絡、媒体関係の皆様やモデル業界への御協力お願い、お客様の交通手段・食事・宿泊等の手配・・・。

・・・ああ、体がいくつあっても足りない。



1982年、V社飲み会




・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・つづく









“VAN SITE”ZOKU-SEISHUN VAN NIKKI 47
Copyright(C) IDEAKONA. All Rights Reserved.