続・青春VAN日記5
破産財団の巻 その5(1979年3月)
<PICK UP開店>
残務処理作業員の立場である私達には、開店資金など全く無かったが、財団資産として、本社本館1Fには旧“PICK UP”店舗があった。
思い起こせば、この店こそが日本で最初の“Kent・Shop”なのである。
ヴァンヂャケットが初東京進出を果たし、くろす部長という人材を得て、Kentブランドの展開を始めた栄えある1号店(1963年)なのである。
私自身も学生時代に、当時憧れの長谷川店長に接客して頂いた事のある懐かしい思い出の店なのである。
やがてこの店は、隣に帝人メンズショップが出来た事もあり、74年頃には商品のバッティングを避けて、404ブランドなどVAN社の小物商品をピックアップして販売する“PICK UP”店として営業していたものであった。
よって今回の再開店に際した店名も、その扱う商品は、全ての旧VAN在庫商品の中から、私がピックアップした商品を販売するのだからと、そのまま使うことにした。
破産後の埃を被った店舗を、自力で掃除、手入れを始めた。
塗装の剥げかかった什器には、時代ごとの塗料の色が、まるで地層の様に重なって覗いていた。
えんじ色、白、黒、・・・昔のメンクラ誌のきれいなグラビア写真や、34号から始まった見開きKent広告ページに写っていたそれぞれの時代の店内風景などが走馬灯の様に思い出される。
・ジェリー伊藤さん、滝譲二さん、渡辺貞夫さん、成田三樹夫さん
川津裕介さん、鹿内たかしさん、そして井手正勝さん、戸田昭さん、・
この船のデッキのような板張りの床の上で、この扉の前で、この椅子で、・・・キラ星のような、たくさんのモデルさんが撮影したんだよなあ・・・!
作業の手は、想い出にはばまれて何度も途中で止まってしまった。
店内右奥の化粧室内の鏡には、懐かしいVANミュージックブレイク時代の “ミッキーカーチスとヴァンガ−ズ”バンドのステッカーが貼ったままで、60年代がそのまま残っていた。
左奥にあるカウンター机の横の重い木製ドアを開けて狭いはしごを上ると、プーンと埃の臭いがして、昔使ったディスプレイ小道具類がほこりをかぶったままストックされていた。
一つ一つをきれいに磨き上げる。
(・・・備品の皆さん、悪いけどもう一度働いてもらうよ!)
私は、心の中で歴史ある店と先輩達に挨拶するのであった。
1979年3月26日、<VAN SHОP“PICK UP”店>は、いっさいの宣伝、予告、開店祝いも無く、静かに開店した。
私の持論は、
<“メンズショップ”の決め手は、文字通り“人間”である>
商品が旧品であろうが、色・サイズ不揃いであろうが、返品戻り品であろうが、価格がどうであろうが、1点ものでフォローが出来なかろうが、そんなことは問題ではない。
私はVAN商品ならば必ず売ってみせる。
石津社長賞の販売力を、トラッド販売の真髄を、目に物見せてやる。
開店に際しての不安などは微塵も無かった。それよりも、全くのゼロから出発して、予算も、品揃えも、価格設定も、ディスプレイも、接客も、顧客作りも、宣伝広告も、計数管理も・・・全ての作業を、私自身のこの手で、私自身の考え方でできる!
VANの看板とVANの将来を背負って、再び、力いっぱいVAN商品を販売できる!
・・・この喜びをいったい何に例えよう!
開店の朝、“BASIE STRAIGHT AHEAD”の軽快なBGM音楽が流れるフロアに立った私は、足の指先一本に至るまで、全身に異様なほどの力がみなぎってくるのを抑えられなかった。
まるで、歴史ある青山Kent・Shopの歴代担当者達の意志が乗り移ってきたとしか思えなかった。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・つづく
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