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続・青春VAN日記51

ケント社の巻 その18(1983年)

一方、某大手月販・新渋谷店様にもKent-ShopOPENした。

イケダ・プランニング・サービスさんの優れた店舗設計、そして新規採用の営業・鈴木君、販売・青木君・香川さん達のがんばりで、初月から優秀な売上数字を上げることが出来た。

(・・しまった!この月販店の中で目立つ売上は、後々面倒な事になる。まずは抑えた数字にすべきだった。真珠湾攻撃同様、眠れる獅子を起こす事になってしまう・・・。)


この東日本における駅前店舗展開会社の本質は、あくまでも“月販小売店”である。元々が日本一の“月賦屋”さんである。


消費者が頭金だけで商品を手に入れられる便利な店である。

“憧れの商品を貴方にも!”


クレジットカードによって、手軽に高額品を買物できる方式はおおいに若者に受けた。現金を持たざる者も欲しい商品を簡単に手に入れることが出来るのである。

これは、ローンを組んででも(借金してまでも)物欲を抑えられない若者消費者の購買意欲を刺激する掛売りの小売り形態であった。

実に便利である。
便利ではあるが・・・、掛売りは掛売りである。


これは、物物交換から始まった“商い”の基本形を変化・進歩させ、消費者の将来の所得までを手に入れようとするものだった。

今までは、現実の生活能力に応じた買物をしていた消費者達の、節度ある“分相応”の消費価値観を破壊するものだった。

掛売りは“分不相応”に買いものができてしまうのだ。すねかじりの女学生が貴婦人の愛用したブランドバッグを持ち、サラリーマン1年生がローレックスを持つことが出来る・・・。

エンゲル係数も考えない若者は、先に待つ苦しみを考えなかった。
無産階級もひと時の富裕者気分を味わう事が出来たのである。


クレジット販売とは、便利な“1億総中流意識”の夢のカードであり、ミエと外聞のファッション感の“偽りの装い”や“仮装世界”の自由を促進させるものだった・・・。

そして、自由で無秩序な装いを“お洒落”と勘違いする思想は、秩序・良識を重んじるトラッド概念とはそぐわないものだった。


クレジットカードによる販売とは、お客様をコンピューターで管理しお買上げ金額とお支払い状況の数字データで把握する世界である。そこは、徹底的な利潤追求・効率追求を求める数字管理の場である。


社会や店頭からは、次第に人情や温もりある人間接客が失われていく。



そんな月販店が
取引業者に求める物は、利用価値あるネームとブランド力である。

すぐに売上結果の出る利用価値ある商品のみが必要とされる。


“伝統百貨店”のような、エレガンスやダンディズムなどの文化的
要素の育成、社会の向上などという大義名分とか、“紳士服専門店”のようにお客様とのお付き合いを大切にし、“客を育て、地域社会に貢献する” などの能書きとは“売り”の本質が異なるのである。


その社内には、丁寧語・謙譲語を知らない社員が溢れていた。
(ハチトリさんやモリトーさんの爪の垢を飲ませたかった。)



そしてその内部は サービス業とも思えぬ“修羅”の世界だった。
私が危惧していたその会社の構造的な体育会的強権体質は、すぐに現実の問題となって降りかかってくるのだった。


開店後しばらくしたある日、私は売場主任に呼びつけられた。



「おい、今度売場でバーゲンをやるから、おまえのところも商品を出せ!」

(お願いではなく、否も応もない命令である)


「ちょっと待ってください。私どもは生産開始したばかりで、プロパー商品も足りないぐらいで、余剰在庫品がございません。どうかバーゲン出品はご容赦下さい」

「商品が足りないのなら、他店から引っ張り降ろして来い。」

「・・・え、それが正気のバイヤーの言うセリフですか・・・?

通常利益商品を、費用をかけてわざわざバーゲン品に格下げする人間がどこにいますか?」


「なんだと、おまえ、俺の言うことが聞けないのか、それなら取引停止だ。荷物をまとめて出て行け。 」

「・・左様でございますか。私どもは貴店様からのご希望があって、あえて出店させて頂いたのですが、そういうことでしたら撤退いたします。どうぞ、店長様によろしくお伝えください。」



・・・かつては、鈴木本部長・熊谷主任・吉原主任・坂井さん・宝泉さんと、道理をわきまえた、人情味溢れる社員の方もたくさんいたのに、1983年の今は寂しい限りだった。

・・・そして結局は、撤退はさせてくれなかった。
逆に渋谷店のKent売上好調を知った他の店舗からは、
当初の“渋谷店のみでのKent出店”という本部話にも拘らず、次々と、出店要請の声が上がり出すのだった。(・・・・・・・・しまった!!!)


しかも担当営業の私を手強しと見た各店のバイヤーは、現場を知らない当社専務に直接出店要請を入れるのであった。

これが、力に物を言わせるこの会社のやり方だった。



この月販会社においては、
いずれかの店舗で優秀な売上を示す商品が登場すると、各店よりの要望が殺到し、あっと言う間に多店舗展開に発展する。

展開店舗数が増大し、一社での扱う取引金額が大になれば、メーカーはその得意先の要求に束縛され身動きが取れなくなる。


多店舗展開による商品の大量露出は、商品の希少価値を失わせ、商品の売上効率・消化率は悪化し、悪夢の大量返品を招いてしまう。
金額の大きさゆえに、止めるものも止められなくなってしまう。


そしてその売上に対する御支払いは、当然“月賦”払いである。
やればやるほど、当社の苦労は計り知れないものとなる・・・。


これが現場を知る私の恐れていた事であった。



8年前、かつてⅤ社がこの会社との取引金額が1位であった時代、
石津副社長に同行し商品本部を訪れた時の事、A社長は、私達の副社長の御名を、“呼び捨て”にした。

         ・・・“おい石津”・・・。


(みつみつし 久米の子らが 垣下に 植えしはじかみ 口ひびく 吾は忘れじ・・・・・。)


だから、ケント社の“能書き”はこの会社には向いてはいない。


ケント社の目標は、大企業を目指すことではない。


かけがえのないKentブランドを消耗品にはしたくない。

自分の会社の社員を、呼び捨てにされたくは無い。

他社に一人で出向して苦しい思いをする社員を作りたくない。

小さくとも誇りある老舗の我社でありたい。



だからこそ、かつてこの月販会社担当であった私が、

あえてその強烈なパワーと体質を知るがゆえに、

最後まで出店に反対したのに・・・。




・・・・嗚呼、山本五十六様。





新宿“J”でのパーティー

MC中のわたくし

Kentショップにて



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・つづく









“VAN SITE”ZOKU-SEISHUN VAN NIKKI 51
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