続・青春VAN日記57
ケント社の巻 その24(1983年夏)
<石津謙介アイルランド漫遊記6・リムリック>
“人生最大の身分不相応生活の巻”
私達は、コークを後にして、次なる目的地へと出発した。コークより北西に100kmの、ニューマーケットオファーグという場所である。
生まれてこの方、初めて聞く地名である。
アイルランド第三の都市、リムリック市の近所にあるらしい。
「会長、今度はいったいどの様なサプライズが?」
「それは着いてのお楽しみにしよう。ヒントは、西欧貴族趣味の極み、とでも言っておこうか!」
バスは移動の途中で、アデア村という土地に寄った。
この村は、素朴な小さな民家の建ち並ぶ童話の世界だった。
この村は、なんと、“かやぶき屋根”の集落であった。
両開きの窓の中からは、赤ずきんちゃんの姿が見えてきそうだった!
「メルヘンだ!日本のわらぶき屋根の田舎風景と同じだ!もしここに水車小屋と柿ノ木と夕日とカラスと三橋美智也があったら、まるで日本の故郷原風景だ!」
村の広場には、たくさんの露店が出ていた。珍しい食料品の数々。素朴な並べただけの売り方の野菜、肉、魚類。(原型のまんま)
見たことも無い商品名のドリンクボトル。(全部飲んでみたかった)
極安価格の古着屋さん。(東京に持っていったら売れるだろうなあ!)
そして、田舎に親近感を感じる私は、すっかり現地慣れしてしまい空き地でボールを蹴っていた少年に混ざって遊んでいただくのだった。
バスが長い緑のトンネルを抜けると、そこは中世の古城であった。
午後の底が緑になった。
Limerick-Ennis Road,
Newmarket-On-Fergus,County Clare,IRELAND |
かつては衛兵が常置されていたであろう石門のガードを通って、1km以上ある長いエントランスを入って行く。
古城の正面前にバスが停止すると、金髪のベルボーイが走り寄って来た。
その姿は観光地のホテルにありがちな中世風衣装ではなく、正式のブラックスーツスタイルであった。
ここは歴史ある古城をそのまま利用したホテルであった。
(・・・これは格式が一段と高そうだ。)
・・・高いどころではなかった!
そこは国賓級の上流客が利用するアイルランド最上級の、五つ星の最高級ホテル、“ドロモランド キャッスルホテル”であった。
ガイドのちふささんの説明を聞いてなお驚いた。
「このホテルでは、近年の英米首脳会談も行なわれました。大統領も幾度となく宿泊されています。一般の方はなかなか泊まることが出来ません。宿泊料金も、ダブリンの一流ホテルよりも0がもう一つ余分に付く値段です・・・。」
(げっ・・・会長はいったい何と言うホテルを・・・!)
この古城ホテルの広大な敷地内には、湖・ゴルフ場・森林公園等が存在した。ホテル内だけで長期休暇を過ごす滞在型ホテルであった。
会長は仰った。
「今度はここで、西欧上流社会を経験してみよう。貴族にでもなったつもりで、最高の食事、マナー、遊び方、そしてゆったりとした時間の過ごし方を楽しんでみようではないか。」
(・・・楽しむって言ったって・・・どうも大変なことになってしまったようだ。私は、会社から会長のお供を命じられて、会社の経費で旅行に来られた只のサラリーマンなのだ。いつもは立食いそばを食べている私が、西欧上流社会の極みの生活を経験するなんて、身分不相応の極みではないか!・・・緊張して体中からキシむ音が聞えてきそうだ。
ええい、ままよ!こうなったら、一度こっきりの何でも体験だ!開き直って貴族でも富豪にでも、何にでもなってやろう!さあ矢でも鉄砲でも持って来い・・・!)
「いいかい、旅の楽しさの一つは、泊まる、ということだ。どんなホテルが良いのか、これは旅の目的と行く場所によって違ってくるが、出来れば泊まる楽しみのあるホテルがいい。
本当にいいホテルは、ホテルにいるだけで楽しくなる。
良いホテルと言う物は、それ自体がエンターテイメントであるべきで、お客は、ホテルの外に出ることなく、一日を楽しく過ごせなければならない。
立地がいい、外観がいい、部屋がいい、ロビーがいい、そしてマネージャーがいい、部屋に来るメイドがいい、料理がいい。
・・・ロビーにいると、マネージャーが笑顔でやってきて、お愛想を言う。どこかに美味い物はあるかと聞くと、ニヤッと笑って、まかしておけという。部屋でぶらぶらしていると、テーブルの用意が出来ました、と迎えに来る。給仕頭がメニューを持ってきて、好みを聞くが、こういう時は、アンタにまかせるよというのがエチケット。そうすると喜んじゃって、こんどは酒まで持ってくる。こいつは頼んでないよというと、頼むから飲んでくれと言う・・・。
(・・・ワッ、会長が寅さんになっちゃった!)
・・・こんな楽しみ方が日本のホテルにありますか?日本には、店と客との間に立って客を楽しませてやろうという人がいないのだ。
一流のサービス業には、こういうマネージャーやコンシェルジュが必ずいるものなんだ。分かるかね、大泉君、鳴島君、愛甲君、横田君・・・。
誰でも経験できることではないが、君達はここで二日間、一流のサービスというものをしっかりと体験してみるんだね。」
・・・「ははー、ありがとうございます。」
石門構えの出入り口に衛兵(守衛)がいるのも伊達ではなかった。
セキュリティも万全であった。部屋に荷物を置いたままでも心配がなかった。本物の城壁に囲まれた本物の城郭であった。
城内のここそこにあるロビーには、バロック音楽が静かに流れ、充分な高さの壁面には、この城歴代の貴族の大肖像画が飾られ、城内の床、通路にはすべて重厚なアイリッシュグリーンの絨毯が敷かれていた。
(一般庶民の私ごときは本来とても存在出来る場所では無い)
そして、ドレスアップした一同は、絨毯の上を荘厳なシャンデリアの煌くディナーへと向かうのであった。
ブラックタキシードを着用した一流の給仕のサービスによる本物の究極のディナーは、この世のものとは思えない豪華なものであった。
バカラのクリスタルグラスにロイヤルドルトンのボーンチャイナ。
純銀製の食器類の奏でる音は、天上の音楽の様であった。
料理は何度聞いても憶えられない名と数量の2時間に及ぶフルコースであった。生涯忘れられない経験となった。
翌朝、最高のアイリッシュブレックファーストを味わった私達は、終日、敷地内でのリゾートを楽しんだ。
ゴルフ・ボート遊び・釣り・サイクリング・テニス・・・・・。ホテル内の全てのサービスに財布は必要なかった。
食事はサインでOKであるし、愛想のいいホールポーターは宿泊客の顔を覚えているので、ティーサービスや施設の利用は全くの自由だった。
嗚呼!憧れ続けた石津会長と、アイルランド最高級のホテルでまるまる一緒に遊んだ夢の二日間!
自転車に乗ってロビンフッドが出てきそうな森をサイクリングし、二人でボートに乗って釣りをし、ボートハウスで色んな話を聞かせて頂いた。
ああ夢ならば一生覚めないで欲しい!
まさに私のシンデレラ体験であった!
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・つづく
|