続・青春VAN日記60
ケント社の巻 その27(1983年夏)
<石津謙介アイルランド漫遊記9・ロンドン>
さて、いよいよ世界の近代洋装史の中心地“ロンドン”見学である。
物心が付いてからというもの、VANとメンズクラブによって触発され、とうとうトラッドの道に入り込んでしまった男達の “憧れの街”、“正統紳士服”(TRADITIONAL CLOTHING)発祥の地である。
英国初上陸の大泉、鳴島、愛甲、横田の若手グループは、いやが上にも胸は高鳴るのであった。
近頃の日本のファッション・シーンは、いわゆるDCブランドの流行以来、混乱状態となっている。
「ミスマッチ」だの「着くずし」だの「セクシー」だのと・・・。
・・・本来こういった着こなしの方法というものは、そもそも正統的な着こなしに飽きた人や、飽き足らない人が採るべき方法であり、いうなれば、おしゃれの達人のみが成し得る「はなれワザ」である。
少なくとも正統のなんたるかも心得ない初心者が手を出すものではない。無知ほど怖い物はないとは、よく言ったものである。
これは消費者に止まらず、生噛りのスタイリストだのファッション・エディターだのという変化ばかりを求める連中がそれである。
彼らは、服はセンスだフィーリングだ感覚だと抽象的な事を主張し、文法を知らずして会話をしているようなものである。
良識ある男の服装とは、婦女子の如き個人的満足感のひとりよがりのものではない。
男は社会で着るのである。
ともあれ、
ファッションの歴史とは古来より、ある意味、正統と異端とのせめぎ合いである。
ブランメル、バイロン、ウインザー公、オスカーワイルド、ケネディ、といったスタイリスト達は、皆、当初は体制に対して反逆者であった。
しかし彼らは、それぞれの時代の「正統」を知り尽くした上で反逆し、そしてついには自分のスタイルを社会に正統として認めさせたのだ。
しかるに、現代の服飾異端者の半可通的試みは反逆の名に値しない。
単なる子供のお遊びのようだ。あまりにも上っ面で軽がるしい。
・・・それは、もともとの「正統」というものが、彼らの教養のうちに存在していないからである。土台とする基本が頭の中に無いから、手を変え品を替えいろいろやってみるのだが、やるだけ無駄である。
こういうものに社会が納得するわけもない、うわべの流行にすら成らない。こんな連中からは、未来の「オーソドックス」は決して生まれない。
その原因は、うわべのデザインに身をやつし、正統な“機能”を忘れているからである。 (参考エスクァイア誌 堀洋一 正統と異端)
正統紳士服には、素材・色柄・形に、すべて“機能”がある。
グレンチェック柄にも、平織り・綾織・朱子織にも理由がある。
ラペルやベントにも、袖釦の数にもすべて機能と理由がある。
道具というものは究極の機能があってこそ美しい。
(ジッポー、D51、零戦、大和、マーチン、GIBSON・・・然り,)
いわゆる「正統」というものには、歴史的要素というものが必要不可欠である。その歴史的要素の別名が「伝統性」や「古典性」である。
歴史的背景を欠いた「オーソドックス」は有り得ない。
正統な服、それはトラディショナルである。
英国紳士服こそが、世界の正統紳士服のルーツである。
石津会長曰く
「・・・男のお洒落には二つのスタイルがある。
それはアングロサクソン系と、ラテン系の男のお洒落。
英米正統派が職場に持ち込むお洒落は、私たち日本人が考える“身だしなみ”のようなものだ。常に紳士らしさを気にしてルールに適した身繕いをする。
いわば消極的であるが、しかし正しく清潔感のある男らしさ。地位、身分に相応しい服装術とでも言うべきか。そしてその中にちょっぴりとトレンドを匂わせる。
ラテン系の男はちょっと違う。
街頭でも、遊びの場所でも、旅行中でも、そして仕事場においてでさえも、いわゆるすべてのTPO場面で、社会性よりも個人性だ。
目立つ為には、ときにはルール違反も平気でやる。その目的はおおむね異性に対する挑戦か、仲間うちでの見栄である。
姿勢が社会を向いていない。
・・・とにかく男は、人の見えるところに、やたらと“男”を振りかざしてはいけない。男は見えないところを自慢するものだ。
他人に対してではない。自分自身に、そしてある特定の人だけに。
見えたり、隠れたり、見せたり、隠したり。
これが昔から今も続く、正統・男のお洒落のテクニック。
TRADの見せ場である。」
そこいらの“腰パンツのお兄さん”、君達にそれができるかい?
会社でアルマーニを着ているお兄さん、その服は遊び人の着る遊び服だよ。分かっているのかい?
せめて、一人前の男と言うならば、F・O・Pの着こなしだけは守ってくれ。
管理人の独り言・・・・・
『2010年の今や、ボタンダウン・シャツのボタンの縫い糸にやたら目立つ黒などを使った物、またカラー部分がダブルになったもの、果てはクレリックにボタンダウン仕様が有ったり、と何でも有りの世の中になっていますが、メーカーさんも売れるからと言う理由だけで邪道極まりない商品を作ってしまう。
元V社に籍を置いたオジサンたちから見ると、何とも情けなく、服装に関するポリシーのかけらも無い世相です。
さらに、国際人として、その立ち居振る舞いが常に注目される立場の我が国の政治家の大先生たちでさえも、知ってか知らずか、公式の場にアルマーニを着てみたり、公の場でクレリックをノーネクタイで着用したり、そもそもクレリックは“かりゆしウェア”では有りません・・・・・困ったものです。』 |
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Fとはフォーマルの場のこと、
Oとはオフィスの場のこと、
Pとはプライベートの場のこと・・・。
生活の場によって、男の着る服は異なるのだ。
これが80年代ニュー・アイビーのキーワードだ!
そして今ロンドンの地に立つ私達一行は、日本のファッションを、少しでも正統なものにしたいと願う男達であった。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・つづく
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