続・青春VAN日記65
ケント社の巻 その32(1983年夏)
<石津謙介アイルランド漫遊記14・ロンドンよさらば>
さて、ケルンからロンドンへと戻った石津会長には、格式高き英国紳士の"THE・CLUB"での歓迎会が待っていた。
かねてより、サントリー佐治会長が御手配下さっていた、本物の紳士クラブであった。
・・・英国のクラブとは、東京銀座にあるような、女性による接待を行なう高級酒場の事ではない。
学生が放課後に行なう、スポーツや勉強活動のことでもない。
ましてやナイトクラブや雑誌メンズクラブの事でもない。
しいて言えば、米国アイビー大学・大学院にある男子学生の社交団体“フラタニティ”のルーツとも言うべきものであり、またフランスはパリの“サロン文化”とも同様のものである。
由緒格式ある名門紳士が、共通の趣味・嗜好の下に寄り集った、世界中の各種クラブの語源となった会員制組織のことである。
・・・元来、分厚い毛皮や強い戦闘力を持たない非力な動物である人間は、頭を使い、火を使い、衣服を創り、群れを成し集団を作る事によって自然や外敵と向かい合い、ムラやクニを作り繁栄してきた。
原始共同社会では、家族、一族、部族、と血縁組織が中心であったが、やがて、政治・経済・文化・宗教の発達につれて、社会は拡大し、人間の相互関係は複雑化し、相互依存の傾向は強まってゆく。
人間個々の利害関係や宗教・思想の違いは、封建制度と共に複雑化し、人間が人間らしい生活を送るためには、より「仲間」が必要となった。人間の社会生活基盤には、様々な集団・組織が多数発達した。
かつての日本においても、座・株仲間・講、などの商いや宗教の組織が発生存在したが、中世イギリスにおいては、より様々な組織が存在した。
キリスト教の数々の信徒団体、商工業者の職業別団体のギルドや組合。そして民衆連帯組織フラタニティ、シンジケート、秘密結社・・・。
やがて、宗教改革が宗教的結合を弱めさせ、フランス革命が身分的秩序を破壊し、産業革命が家の暮らしの構造を変化させると、近世イギリスは、資本主義世界のリーダーとなり、国民・労働者にもいくぶんの生活の余暇が生まれる時代となった。
安定した生活が営まれるようになると、余暇生活を手にした中産階級や労働者の男達は、当時の喫茶社交場であるコーヒーハウスにより集い、共通の趣味・話題を持つ者同士が、連帯を持つようになったという。(プロレタリア運動なども。)
やがてはここからは、思想・文学・芸術・スポーツなどの様々な趣味・嗜好の団体が派生し、世界に広がる“CLUB”の元になったという。
そして欧米化に勤める日本においても各種の“倶楽部”が誕生した。
また、中世ギルドから発生したといわれるフリーメイソンは、新世界アメリカにも広がり、その自由・平等・博愛のスローガンは、建国に際しても政治・経済に大きく影響し、その後の歴代大統領から国会議員、大企業や実業家、ライオンズクラブやロータリークラブなどの慈善団体、そして伝統大学から新興宗教団体に至るまで、いまもって隠れた大きな力を持っているという・・・。
ともあれ、私達一行は、ロンドンの名門クラブを経験することが出来た。
静かな街角にある古いビルの一角の重厚なドアを入ると、そこが、英国伝統の男の世界、完全会員制紳士クラブであった。
(・・・残念ながら、今となっては、クラブの名前も所在地も全く思い出せないのだが、ホールには“全てを見透す目”の絵があったような気もする・・・。)
アイリッシュセッタークラブの一行17名は、盛大な拍手と握手の歓迎を受けた。そしてウェルカム・レセプションの後は、ロングテーブルでの英国式晩餐会が用意されていた。
私達を給仕してくれたのは、一人の初老のジェントルマンであった。
本来のゲルマン系ブリトン人の話す英語はかくありきと思うような、米語とドイツ語の中間のような発音の英語であった。
私には“ハウドゥユドゥ”ではなく、“ハイドードー”と聞えた。
うーん、これがキングス・イングリッシュというものなのか。
はたしてこの方は、バトラーと呼ぶべきか、コンシェルジュなのか、その接客術は、究極の名人芸であった。
アペリティフからオードブル、メイン料理、食後酒、デザート、紅茶と、17人のフルコース料理を給仕する動作に、全くの無駄が無いのである。
会長のグラスにワインを注ぎ、客との楽しい会話を交わしながら、あふれる笑顔で、とどこおりなく全員の料理を運ばせる。
客を待たせる事の無い、いやそう思わせないそのタイミングの良さ。
厨房に返す足で済んだ食器をかたづけながらも客の注文を聞いて行き、客達のグラスをけっして空にはさせない。なおかつ、客それぞれの顔と話題を覚えていて言葉を掛ける。誰一人として客を飽きさせる事がない。
食・酒に限らぬ豊富な知識、溢れる笑顔、軽妙洒脱な会話・・・。
アイリッシュセッタークラブの会員達は、日本のサービス業界のプロとも言うべき方々であったが、誰一人として不満の声ひとつ上がらなかった。
全員がその接客サービスに大満足し、笑顔が溢れた。
このバトラーとも言うべき方の身のこなしは、あたかもシェークスピアを演じる名優のごとく、実に華麗で美しいものであった。
・・・まさに一流のサービスとは芸術であった・・・。
そして翌日、アイリッシュセッタークラブ御一行は、トラディショナル世界を体験出来た喜びを胸一杯に、帰国するのであった。
ロンドンよさらば!
アイルランド漫遊記・おわり
・・・・・・・・・・・日記はさらにつづく
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