続・青春VAN日記67
ケント社の巻 その34(1983年秋)
<‘83 WINDSURFING FESTIVAL IN OKINAWA >
秋の商戦が立ち上がり、全国ケントショップ店は予想以上の高売上を上げ出した。松屋・月販店様においても並み居る競合メーカーを抑え、各売場内トップグループの売上を示した。
やはりトラッド好きの元アイビークラブ員から採用した我販売社員達の集客力・販売力は、一般採用の他社販売員より秀でたものがあった。
営業の私も、できる限り店頭に出て接客販売し、販売指導した。そして百貨店側や他メーカーのⅤ社OB達にも示しをつける売上を計上し、松屋大泉課長からも、“さすがはKent!”の評価を頂き、面目躍如の私であった。
そんな初秋のある日、例によって、永遠のVAN販促社員にして大手広告代理店のスポーツ部門プロデューサーの新庄君から連絡が入った。
「 お~い、生きてるか! じつは、実は、週間実話。
来月の10月9日~15日に“第10回全日本ウインドサーフィン選手権大会”が沖縄で開催されるんだけど、お前さん、総合司会をやってくれ。もちろんクレジットにはVAN名を入れる。突然だけどいいだろ~、お前さんなら当日依頼でも司会できるだろ~、もう決めちゃったんだ
・・・たのんだぜ!・・・」
・・・あいかわらずの、元Kent高級参謀殿であった。
さて、私の度重なる会長同行出張や媒体露出、結婚式やジャズの司会活動は、すでにⅤ社役員会においては“会社としても宣伝効果有り”と、会社公認の社外販促活動ではあったが、
・・・出る釘は打たれる。
悲しいかな、日本社会では目立つ行動を取る事は、批判の元になる。
“人と違うことをやれ”・・・プレステージ行動は危険を孕んでいる。
何事も同一待遇・平等主義を叫ぶ旧労組系社員達の一部には、“あいつばかりが目立ちやがって”という陰の声もあったのである。
個性ある企業を目指すには、アイキャッチャーやキャラクターが必要なのがなぜ判らぬのか!(嗚呼、燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや)
私は慎重を期し、会社に申請し承諾を確認した上で、業務ではなく、貯まっている有給休暇消化の扱いで沖縄へと飛ぶのであった。
「 おー久しぶり、元気そうだね、ちょっと太ったんじゃない?突然で申し訳なかったけど、今大会もヨロシク願います。 」
・・・それにしても北郷理事は、さすがプロ・ウインドサーファー!
引き締まった精悍な体型には少しの変化も無かった。
右、北郷理事 |
挨拶もそこそこに、さっそく翌朝開会式の打ち合わせが、大会本部の置かれた名護ビーチにある国民宿舎・名護浦荘の一室で始まった。
代理店・新庄プロデューサーと進行係の皆様、ウインドサーフィン協会の北郷理事と沖縄支部係員の皆様、総合司会の私とアシスタントのカワイ娘ちゃん達・・・、
そして!媒体取材関係者には、あのⅤ社宣伝部にいた同期の内坂君の姿も在った。そして沖縄県庁・カデカルさんも応援に来てくれた。
内坂君と“ 強引にMy Way・・?? ”の新庄君の後姿 |
透き通るような美しい海と青空!
海中展望塔のある、珊瑚礁の美しい名護ビーチ大会会場には、特設ステージや大会運営役員、関係者、救護班、等のテントが設置され、朝から、日本全国・世界各地からの大勢の選手達が繰り出していた。
ウインドサーフィンは、1967年アメリカのカリフォルニアで誕生した。
コンピューターエンジニアでサーファーであったホイル・シュワイツアー氏は、ヨットの原理とサーフィンの軽快さをドッキングさせる形を創造するのに成功した。
サーフィンは、昔からハワイを中心に発達し、18世紀後半にはポリネシア人に広く行なわれていたが、近代にはアメリカ・オーストリアから、世界に広まっていった。
ヨットは、元々世界の海洋民族の沿岸漁業に発達していたが、近世のイギリスによって、スポーツとして完成し大衆化された。
サーフィンとヨットは、ともに人間の海への憧れから生まれてきた物である。しかしその起源は同じでは無い。一方は遊びであり一方は実用であった。
遊びと実用を合体させたのは、安定生活を作り余暇を楽しむ社会を作り上げたアングロサクソン系のライフスタイルや遊び心がもたらしたものであると言える。
そして、日本においてこの新アメリカン系スポーツを広めたのは、協会の鈴木東英チェアマンであり、小林喜禄会長や北郷理事達であり、お手伝いに参加させて頂いたのは、永遠のVAN社員達であった。
開会式は西銘沖縄県知事、渡具地名護市長の御挨拶で始まった。
競技進行予定は、本日のスキッパーミーティング・夕刻よりのオープニングパーティ。
翌日よりセレクションレース開始、
2日目のフリースタイル・スラローム、
3日目のロングディスタンスレース・タンデムフリースタイル、
4日目にはトライアングルレースと夜のハッピーパーティ
5日目 LAY DAY
6日目オリンピックトライアングルレース、
7日目オリンピックトライアングルレース決勝、表彰パーティ。
・・総合司会の私は、式司会・パーティ司会・BGM音楽DJ・実況と、 忙しい1週間が始まった。
・・・・・・・・・・・・・・・・つづく
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