続・青春VAN日記74
ケント社の巻 その41(1984年春)
<四国・松山出張>
芝公園の梅の花が咲くころ、石津会長よりお電話を頂いた。
「横田君、松山の“さつき&メイ”さんから講演の依頼が入ったので、同行してくれたまえ。司会もたのむよ。」
「はい、かしこまりました。」
60年代からメンクラ特約店として、VAN商品を扱っていた“さつき店”は、80年頃に大街道・銀天街が素敵なアーケード商店街に変身する頃には立派な総合ファッションビル店に生まれ変わり、店名も“さつき&メイ”となっていた。
トラッド売り場にも有名ブランドが取り揃えられ、地元TVでCMも流す松山1番のファッション店だった。
(その後のジブリ・アニメ『 となりのトトロ 』の
“さつき”と“メイ”との関係は???)
『 無いでしょう・・・。』
ちなみに、ジブリ製作『耳をすませば!!』の舞台の設定イメージは
管理人の居住地域です。 |
VAN・Kentはその売り場の柱であり、Ⅴ社とのかかわりは長く深かった。
伊賀上浩社長、斎藤進専務、伊藤・合田マネージャーの皆様方だった。そして、新トラッド売り場のイベントとして「石津先生と大いに語る」会が催されたのだった。
売り場内につくられた特設会場は、入りきれないほどの人数で溢れていた。MC誌やポパイ誌、Ⅴ紙袋を手に、会長を待ち構える顧客ファンの皆様。地元TV局の取材陣。四国・瀬戸内方面の会長ご友人の皆様。
V社OBの元社長秘書・林田武慶さん、元VOの高浜幸一さん達。
パーティは、会長を尊敬する古くからのファンのお客様達やOB関係者が入り混じり、青山99ホール完成祝い記念に社員に配られた“一合枡”での乾杯によって始まり、大変な盛り上がりの会となった。
<会長お話>
「トラディショナル、という言葉は、古い伝統を守る、という意味だが、昔ながらの、ものを頑固に変えない、ということとは少し意味が違ってきているような気がする。
トラディショナル精神の中にも、新しい価値観から生まれてくる、新しい息吹をどうしても感じないわけにはいかない。
トラディショナルとは古さの中にも、新しさを感じさせなくてはならない。
そこで今、僕が提案しているのがニューアイビーということだ。洋服のディティールがどうのとか、ブランドがどうの、とか、もう、そんな細かいことはどうでもいいじゃないか。
かつて日本の若者の着る服の体系がなにも定まっていなかった時代、僕は、まあ、ひとつの方便として“であらねばならぬ”の論法からの、アイビー普及を始めたわけだが、今や、全国の公立学校までが、制服にブレザーを使い、タータンのスカートやストライプのネクタイなどを採用する時代となった。
かつて不良と言われたアイビースタイルは今や、全国PTAまでもが推選する良識のスタンダードと成り得た。そして衣料品店の店員よりも、お客の洋服知識が上回る時代になった。
今のトラディショナルを、もっと大きな“グローバル・アイ”の視野に立って見渡せば、たかが着るものじゃないか、ということになる。
たかが衣服なのだからこそ、自分の楽しみで、フリーに着こなせばいいじゃないか、ということになる。
これが、フリー・ウェアリングということで、要は、アイビーの心を忘れずに、今風ファッションを着こなせばいいのだ。
これが、ニュー・アイビーということだ。
ニューアイビーとは、アイビーは“服のファッション”である、というこだわりを捨て、一つのライフスタイルの形と思うこと。アイビーとは知性であり、今日のライフスタイルそのものである。
その表現形態の一つがファッションであると考えればいい。そう考えたとき、アイビーは新しいアイビーに成長することになるのだ。
ボクは、いつもファッションというものは、人生を豊かにするための、スパイスであると思っている。
ファッションをうまく生活に取り入れることによって、一度の人生をより楽しく味わうことができる。そこにファッションの意義があると思う。
これは、特に若い人達に理解してもらいたいと思う。
今までの、こだわるアイビーから、これからは楽しむアイビーへ!
今、時代はニュー・アイビーの道を歩んでいる・・・。」 |
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・・・松山の皆様との楽しい宴の翌朝、会長と高田秘書・私は、松山港から連絡船に乗り瀬戸内海を渡った。
会長は故郷の岡山へと、私は岡山駅で会長をお見送りした後、新幹線で一人、業務山積みの東京へと戻るのだった。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・つづく
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