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続・青春VAN日記75

ケント社の巻 その421984年春)

<横浜元町出張>

5月連休、ケント本社において84’秋冬商品の展示会を開催した。会場施工は、池田プランニングサービス様と藤代先生のご協力である。


昨年のアイルランド旅行でヒントを得た新ノべルティも続々と考案し、新たに、Cカンパニー社(山口社長・元V社宣伝部99ホール運営者)加来さん・中村君・土方さんのご協力を頂いて新ケント商品カタログの制作も開始され、又、くろすさん執筆の“KENT BOOK”制作が発案企画され、営業業務・販促業務・販売社員教育・・・とフル回転の私でした。

展示会には専門店・百貨店・月販店の皆様方が多数御来社下さいました。そして新たには、懐かしい横浜元町Kentの町田店長が御来社された。

これは、昨年の石津会長アイルランド旅行に同行させて頂いたおかげで、ショップ&ショップスの高木社長にも顔を覚えて頂くことができたからであり、よって、S & S社にも展示会のご案内状をお届けしたからでした。


この頃のS & S系店やTEIJIN系、KentREGAL系のトラッドショップの
商品揃えの傾向は、V社で言うところのニュートラッドやブリティッシュモデルの2型・3型のスタイルが主流であり、各店が自社ブランドを持ち、さらにエーボンハウス・ベーカーストリート等の英国指向ブランドが進出している流れであった。

またこれらの系統店には物知りの旧Vベテラン先輩社員の方々も多く、私ごとき若輩者が1型トラッドを売り込みに行くスジアイでもなかった。

さらにこの頃には、ブルックスブラザースに続いて海外のセザラニ、ジェフリーバンクス等の御本家ブランドも日本進出し、又、かつて旧V社時代からの米国ラルフローレンとの日本窓口であった岡野チーフによる、本家POLOSHOPの銀座出店活動も始まっていた。
(銀座POLOSHOP総店長は元Kent課長のクールな下田さんでした)


バブル景気のマーケットには、まさに高級志向、贅沢志向、スノッブ志向、のトレンドが溢れかえり、質実剛健・温故知新・基本型のKent日本トラッドは決して主流とは言えませんでした。
 
・・・が、これでいいのだ。・・・バカボンのパパも言っている
・・・物事は、簡単に頂点に到達してはいけないのだ。
   頂点とは終わりの始まりなのだ。

・・・それがKent100年計画のポジショニングなのだ・・・。


こんな時期でもあったので、
1型基本形中心のケント社商品には、お声は掛からないものと思い、大手Kent店には売り込みをしない私(売ろうと思うな、思えば負けよ)でしたので、S S様よりの御来社は実にありがたいことでありました。


さて、展示会の後は、久しぶりに元町Kent店に御挨拶に伺う私でしたがさすが、かつてと変わらぬ格調と威厳ある店舗を維持する町田店長でした。
(かつては、長谷川オーナーの鎌倉Kent様や銀座TEIJIN本店や元町店
は実に格式高く、当時の若者達は、靴を磨き・スラックスをプレスし・自らの襟を正しながら、緊張して入店したものでした。)


商談の方は、Kentの基本形である1型サキソニースーツ・フラノブレザーBDシャツ等の定番商品のみの小規模展開で始めましょう・・、の方針でお互いが一致した。


商談を終え、店を出ると、元町Kent店の向かい側には、オレンジハウス店がありました。そしておもわずお店に飛び込むと、おお!青山V社で見たことのある懐かしいお顔の皆皆様方が!

VAN三人娘のお一人・広瀬お姉さんの小柄なお姿も!
たくさんの思い出話に、おもわず長居をしてしまう私でありました。


私もかつては、横浜の香りに憧れてよく足をはこんだものでした。

学生時代には、フェリスの学園祭に評判のお嬢様方を見物に行ったり、港の見えるアスターホテルでのダンスパーティにバンド出演したり、“ウイリー沖山さん”の声にしびれたりしたものでした。

またある時は、くろすさんの本を読んでKentの傘を作った名人傘職人の伊勢勘さんの店を探したり、アメリカの匂いのする元町通りにアンティークを探しに行ったりもしました。


またその後も、ユーミンの歌を聴いて、山手のドルフィンでソーダ水を飲んでみたり、漫画“おいしんぼ”を読んでは、急に中華街に出かけてみたり。
そして、氷川丸船上でのヴィーナス・オールデイズ・パーティでは、ゲストのジョージ大塚さん(ドラム)や山下敬次郎さん(ダイアナ)ミッキーカーチスさん、平尾昌晃さん、鈴木やすしさん(ジェニジェ二)キングトーンズの皆さん(グッドナイトベイビー)と御一緒出来て大喜びしたり・・・と、なんともミーハーな私でもありました。



そして、84年の今は、業務で横浜を訪れているのでした。

展開するKent店の数も増えて、手持ちのアンティークや小道具類の数量では、各店のディスプレイ等に対応できなくなった店舗販促担当者の私は、 “外国人生活者向けの西洋家具室内装飾品製造販売”で有名な、元町 「桝屋・松下信平商店」 「葭谷洋家具店」を訪れて、味ある調度品・アンティーク等の発注・買い付けをしてから、帰社するのでした。




“ ヴィーナス・オールデイズ・パーティー ” at 氷川丸



・・・・・・・・・・・・・・・・・・つづく








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