PAGE1 PAGE2 PAGE3 PAGE4 PAGE5 PAGE6 PAGE7
PAGE8
PAGE9
PAGE10
PAGE11
PAGE12
PAGE13
PAGE14
PAGE15
PAGE16
PAGE17
PAGE18
PAGE19
PAGE20
PAGE21
PAGE22
PAGE23
PAGE24
PAGE25
PAGE26
PAGE27
PAGE28
PAGE29
PAGE30
PAGE31
PAGE32
PAGE33
PAGE34
PAGE35
PAGE36
PAGE37
PAGE38
PAGE39
PAGE40
PAGE41
PAGE42
PAGE43
PAGE44
PAGE45
PAGE46
PAGE47
PAGE48
PAGE49
PAGE50
PAGE51
PAGE52
PAGE53
PAGE54
PAGE55
PAGE56
PAGE57
PAGE58
PAGE59
PAGE60
PAGE61
PAGE62
PAGE63
PAGE64
PAGE65
PAGE66
PAGE67
PAGE68
PAGE69
PAGE70
PAGE71
PAGE72
PAGE73
PAGE74
PAGE75
PAGE76
PAGE77
PAGE78
PAGE79
PAGE80
PAGE81
PAGE82
PAGE83
PAGE84
PAGE85
PAGE86
PAGE87
PAGE88
PAGE89
PAGE90
PAGE91
PAGE92
PAGE93
PAGE94
PAGE95
PAGE96
PAGE97
PAGE98
PAGE99
PAGE100
PAGE101
PAGE102
PAGE103
PAGE104
PAGE105
PAGE106
PAGE107
PAGE108
PAGE109
PAGE110
PAGE111
PAGE112
PAGE113
PAGE114
PAGE115
PAGE116
PAGE117
PAGE118
PAGE119
PAGE120
PAGE121
PAGE122
PAGE123
PAGE124
PAGE125
PAGE126
PAGE127
PAGE128
PAGE129
PAGE130
PAGE131 PAGE132
PAGE133
             


続・青春VAN日記82

ケント社の巻 その491984年夏)

<アイリッシュセッタークラブ・イタリア旅行⑤>

“来た!見た!食べた!”

生まれて初めてスパゲッティなるものを食べたのはいつの事であったか。進学で上京した60年代、笹塚の貧乏学生だった私のささやかな御馳走といえば、福寿の中華そば、地久庵でのかつ丼やカレーライスであり、飲み物の定番は三ツ矢サイダーやバヤリースやリボンジュースでした。

そしてハイカラな西洋料理と信じ込み、初めて食べたスパゲティとは、ナポリタンなるものでした。

新宿西口に開店したばかりの京王デパートのレストランでありました。それは、茹でたスパゲティの麺にハムやピーマンやマッシュルームを入れて、トマトケチャップで炒め和えたものでした。

この頃の喫茶店や学食や青山ユアーズも皆これであった。)

料理知識の無い私は、それでもイタリアの味と香りだと信じ込んだものでした。

次第に都会に馴染むに連れて、愛読書のメンクラや平凡パンチ等から知識を得た私は、都内で人気のレストランにも出かけるようになった。

あの、みゆき族流行から数年後のSONYビルがOPENした頃だった。銀座の“資生堂パーラー”や“レンガ亭”や“喫茶店VAN”・・・、そして六本木“アマンド”や“ディノバーガー”等のバター臭い雰囲気は、まるで、まだ見ぬ外国のレストランの様に御洒落に見えた。

そこで食べたスパゲティやピザやコーラやハンバーガーの味は、タバスコやパルメザンチーズの香りとあいまって、当時大流行のアイビースタイルと共に、団塊の若者達の、東京での新生活の象徴でもあった。

(マクドナルド銀座三越1号店が出店するのは後年1972年の事だった)

その後、私は偶然にも有楽町日劇前のイタリアンレストラン“サンレモ”でアルバイトをすることになった。


そこは㈱ママ―スパゲティの経営する、キャンティワインやチンザノで食べる本格的なイタリアン・パスタ料理の店だった。そのパスタ料理はサンレモ風、ミラノ風、ボローニャ風、トスカーナ風、ナポリ風、ハンブルク風、などなど。私にとって初めての本格イタリア料理との出会いだった。


そこには・・ケチャップで和えたナポリタンなどは無かった。スパゲティとは前菜料理であり、一品だけ注文する料理でない事も知った。

かの、喫茶店のナポリタンなるものとは、・・
イタリア戦線帰りのアメリカ軍経由の・・、
その又アメリカ進駐軍の食生活にあこがれた日本人の創作した・・、
スパゲティの名を借りた、洋風やき饂飩であった。
日本独自のアレンジド・イタリア料理と知った。

(横浜グランドホテルがナポリタン発祥の元ともいわれているが、しかし、あれはあれ、これはこれでけっこう美味しいのだ・・・。)


私の大雑把な頭で考えるに、
外国の文化を輸入するやり方には二つの型があるように思う。

“イギリス型”と“フランス型”である。

昨年、ロンドンで感じたのは、イギリスのレストランでは、イタリア料理はイタリア人が、中国料理は中国人が、印度料理は印度人、日本料理は日本人がやるものと決まっているようだ。ウェイターもその国の人であることが多い。

外国料理は、手を加えて英国風にアレンジする事は少なく、そのままの本国の味や形で、扱っているようだ。きっと、長い間の植民地経営者としてのイギリス感覚なのだろう。

・・・だが、誇り高き文化の国・フランスは違う。自分の舌に絶対の自信をもっているから、イタリア料理であろうとも、「スパゲッティ・ア・ラ・マクシム・ソース・オ・イタリアン???」などと、何でもフランス風の味付けにアレンジしてしまうのだ。

不肖・私も一度だけ、銀座マキシムにお呼ばれしたことがあったが、納豆・味噌汁育ちの私には、繊細な・おフランスの優雅なお味は猫に小判、馬の耳に念仏、私にシャネル、であった。


はたして日本における外国料理の扱いは、どちらのタイプなのだろうか?スパゲティ、カレー、中華料理、ハンバーグ、ローストビーフ・・・。
庶民タイプの食堂や洋食屋は、ある意味フランス型のようでもあり、高級料理店やホテルは、イギリス型のようでもある・・・。

やはり、アングロサクソン系とラテン系との違いなのだろうか?

私には“紅茶が先かミルクが先か”などは美味しければどちらでもいいが、いったい、国によって異なる、輸入文化の取り入れ方の違いとは?・・・、我国の衣料・ファッション業界のやっている外国ファッションの扱い方も、料理と同じようなものですネ!・・・)

てなことを、食通の花房さんやフランス食文化研究家の宇田川さんと会話しながら、クラブ員一同の“ローマの晩餐”が始まったのだった。


場所は高名な庭園レストランであった。


皆さん、想像してみてください・・・。

会長を筆頭に、錚錚たる味道楽・料理研究家・食いしん坊達が一同に会し、銀座松屋・次期食品部長(数年後)の大泉さん、銀座の美食家社長の瀬谷さん・セレブの宝石会社父娘様達・・・。

一方、VT356別館・松倉フーズ(社員食堂)育ちの、米国単独自転車横断・耐貧ファーストフード研究家の堀氏、“早い・安い・うまい”の愛甲(愛好)家の斎藤氏と私。

なんとも至高の食通の先輩方と、大衆食堂派が同席している楽しさ!

“さあ!イタリアの本物のスパゲティを食べてやるぞ”

前菜に出てきたスパゲティは、見事な“アルデンテ”!(・・・懐かしい喫茶店やユアーズとは別物だった)

オー、ヴォ―ノ“美味い”これぞ、本物のスパゲティぞ!しかも前菜なのに、それだけでお腹が一杯になるほどの量でした。

(・・イタリア美人が、中年ビヤ樽夫人に激変する理由がよく分かりました。だから、イタリアのレストランは、“タベルナ”だったのか!)


やがて、メイン料理も終わり、チンザノの酔いが廻った頃、
ローマの庭園レストランには、カンツォーネを唄いまくる一団が登場した。

彼らは、ただの“BGMバンド”ではないプロの“サービス芸人集団”だった。

盛り上がっている私達日本人グループに気付いた芸人達が、
私達のテーブルにやって来た。・・・そして、なんと!「♪オーソーレミーヨー、ワタシーを見―ヨー・・!」・・だって。

おまけに、ベルカント唱法で「♪上を向いてあーるこーォウ ウォウウォウ・スキヤキ!」だって・・・。

“おい、いったいなんだいこやつらは!”ちょっと日本人慣れ・しすぎているのでは?!ああ!なんたるち~あ、サンタルチ~ア!外国旅行気分が盛り下がる!


いったい日本人として嬉しいのか悲しいのか、私は反応に困った。

(それでもついチップをあげてしまうバブル日本人・団体御一行様でありました)







・・・・・・・・・・・・・・・・・・つづく








“VAN SITE”ZOKU-SEISHUN VAN NIKKI 82
Copyright(C) IDEAKONA. All Rights Reserved.