続・青春VAN日記83
ケント社の巻 その50(1984年夏)
<アイリッシュセッタークラブ・イタリア旅行⑥>
“アッシジへ”
チャーターバスは、一路、北を目指す。
テヴェレ河の谷を渡ると、もうローマの郊外である。
“アウトストラーダ・デル・ソーレ”を快適にドライブする。
(舌を噛みそうな国道名だが、ラテン系のラ行のまき舌風発音がクセになりそう)
車窓には、トスカーナ地方の一面に広がったオリーブ畑や葡萄の畑が見えてくる。
(ストラーダ、デルソーレ、メンソーレ?・・・さとうきび畑は見えなかった)
なだらかな緑の丘をさらに横切ってゆくと、そこは、オルビエートの街だった。ここで小休憩を取る予定である。
オルビエートとは、アーリア人が進出するまでは先住系エトルリア人が暮らしていたというイタリア4千年の歴史の土地である。
なんだこりゃあ!
平野の中に忽然とそびえ立つ“崖の上の街”!スゴイ!
・・・周囲が全て天然の数十m以上の高さの絶壁である!
・・・これでは、かのアーリア勢力も攻略に手こずったことだろう!完璧な山岳城砦都市だ! 天空の城だ! 赤坂・千早城だ!
"Orvieto" photo by Wikipedia |
イタリアは、BC1000年以前には山と森林との国であって、人口が希薄であった。アーリア語族はすでにこの半島に押し寄せて小さな町をつくっていたが、半島の中央部には、エーゲ民族に近いものらしい非アーリア民族のエトルリア人が定着していた。
南端にはギリシャ人の植民地が散在していた。
ローマは当初、テヴェレ河畔の小さな交易の町として始まり、その住民はエトルリア人の王によって統治支配されるラテン語族であった。
都市ローマが建設されたのは、古い年代記によればBC753年であって、アーリア系ローマ人達は、BC6世紀に支配者エトルリア人の王を放逐して共和国をつくったという。
・・・H・Gウェルズ世界史概観より)
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・・・ここは、休憩立ち寄りごとき短時間で訪れるところではない!ここではきっと“ひよどり越え・鎌倉攻め・川中島”に匹敵する数々の大合戦があったに違いない。
(私の脳裏では、もう、ルビコン河を渡るシーザー軍とベンハーのローマ軍団と、ハンニバルの象軍団とスパルタカスの剣闘士奴隷軍が・・、まとめて合同大進軍を始めていました。
・・・もう妄想がとまらない!私の目は“坂の上の雲の秋山好古大佐”になってしまった。
・・・あの上野博物館で初めて本物のラバウル製のゼロ戦を見た時や、靖国神社で中島製A6M5・52型を見て2時間動けなくなった時と同じく、妄想の世界に陥り、石のように固まる私でした・・・。)
ガイドの声に気付き、ふと我に返ると、
「この地はワインの大地と呼ばれ、キャンティ等のワインの故郷です。」
(そんなことはどうでもいい!オルビエート城砦・攻防戦の歴史を・・・一龍斉貞丈や徳川夢生の様に語ってくれ~!)
心残りのままに出発し、田園風景の素晴らしいペルージャをさらに北に進むと、次第に土地の起伏が激しくなり出した。
やがて古都アッシジ(イタリアの街は全部・古都だった?)に到着した。アッシジはイタリア共和国中央部に位置する歴史の街である。
アッシジの紋章 by Wikipedia |
市中央部が丘陵地帯の高台にあり、オルビエートと同じく巨大な城壁に囲まれたエトルリア・ローマ時代から栄えた都市である。
中世、この町の出身であるキリスト教の聖人・聖フランチェスコと、その名を冠したサン・フランチェスコ聖堂で有名であり、そしてアッシジには世界中のカトリック教徒が訪れていた。
(聖人の英語読みはサンフランシスコ。米国都市名はこの聖人名にちなんでいる。マザーテレサはこの聖フランチェスコの清貧な布教人生を目指していたという。)
― アッシジ風景 ― |
街の御土産店には壺や皿や聖画に雑じって、不思議な物が目に入った。
“光輪のついた大きな目の絵”だった。
そう言えば、去年、ロンドンの紳士クラブで、似たような絵を見た気がする。
古代メソポタミア・エジプトの遺跡やチベットにもたしか目の絵があった。場所柄からして宗教的意味合いの絵なのであろうが、
西域世界の神様とは、いったい日本の“お天道様”と同じように、たとえば“十戒”を守れとか、悪い事をしてはいけないよという、“汝悔い改めよ”と言うような、“監視する目”の神様なのだろうか?
戦後の文部省・科学教育で育った私には、よく解からなかった・・・。)
そんな連日のイタリア歴史に圧倒される私達の目を引いたのは、このイタリア中央部の丘陵地帯を走る数多いサイクリストの姿だった。
それも英国や日本のランドナータイプ自転車とは異なって、ロードレーサーで軽快にツーリングする人の多さだった。
日本ではウン十万円もするチネリ・コルナゴ等高級車がザラに走っていた。けっして競技選手ではないファミリーなグループの人達である。老いも若きもカラフルなサイクル・ウェアで実にかっこいい。
さすがにツールと並ぶジロ・デ・イタリアの国である。
なんとカンパニョロ・レコード(高級品)が普通に走っている。
堀さん曰く、
「アメリカでは、シアーズカタログで売っているような市販のスポルティフタイプ(WOタイヤ)やマウンテン・BMXタイプの自転車が多かったが、やっぱり、イタリアはちがうねえ、皆オーダー車、チューブラーだぜ!
・・・トスカーナの景色の中を俺も自転車で走ってみたい!」
(私も・・・!)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・つづく
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