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続・青春VAN日記89

ケント社の巻 その56

           ・・・の前に!


20115月の閑話休題>



人間、還暦を過ぎ、仕事をリタイヤすると、日頃見慣れた朝夕の景色にも、一抹のわびしさを感じるようになる。

人生の真昼間には、都会のアスファルトにくっきりと自分の黒影を写して活動していた時刻は、いつ去ってしまったのだろうか。

つい最近までは、まだ大分先の話だと思っていた初老の入り口に、いつしか足を踏み入れてしまったようだ。

無理をすれば翌々日に疲れが出る。昔の様に夜を徹して何事かをするという事も出来なくなった。スッと立ち上がれずにドッコイショと声を出すことが多くなった。酒をガブガブ飲むことなどもはや夢である。

時折ギターを握ってもダイアトニック・コードすら瞬時に押さえられず、指が動かず、ジャンプナンバーは演奏不可能になってきた。


月日の経つのは早いもので、昭和の経済成長を担ってきた団塊の世代にも、かつて石津会長がおっしゃっていた人生四毛作の四コマ目が近づいている。


そして石津会長生誕100周年の年を迎え、想定外の大自然の脅威を味わい、人間のはかなさ・おろかさを感じ、何気ない身近な花鳥風月の営みにもしみじみと黄昏時を予感する私でした。



そんな昨今、街に出ると目に付くのは、今時の若者達の姿である。



いつの時代にもある“不易と流行”“正統と異端”の姿である。

一方では、いつもキチンとした対応の野球好青年の斉藤祐樹君。他方では、腰パンツにピアス、茶髪や過装飾の反抗的若者達。おまけに、男の女性化、漫画コスプレ、草食系装飾男子とは、・・・ああ泣けてくる。


かつての若者達の“理由なき反抗”は、昭和の時代も同じだった。体制派と反体制派、保守派と革新派、アバンギャルドにアプレゲール。


しかしながら、“止めてくれるなおっかさん 背中の銀杏が泣いている・・・”や、“フーテン”や“フォークゲリラ”等の反抗する若者達の“目”は、いつも“社会”に対して向けられて、そして不満の原因に対しては、正面からの抗議の行動を起こしていたように思える。

そして、“太陽の季節”の“湘南族”や“六本木族”“みゆき族”等の目立つ若者風俗行為にも、社会への若者の主張というものがあった。


80年代の原宿“ホコ天”(歩行者天国)においても、“ロックンロール族”や“アメグラ族”のファッションには、過去の芸能・文化に対する研究心や、憧れや郷愁や尊敬といった知的な文化要素の部分を感じた。


しかしながら“竹の子族”は、全く理解できなかった。

江戸末期の狂乱の“ええじゃないか踊り”としか思えなかった。


現代21世紀の“理由なき反抗”若者グループ達のファッションは、私の見たところ“竹の子族”のようである。

思想・主義・が有る
わけでは無く、単なる目立ちたいだけの欲求不満の様にも思える。健全ではない自己顕示欲の仮装行列ファッションが目立つ。

目立つ事とオシャレを誤解し、自由と勝手を混同している。

周囲を考えずに、勝手な格好をする事が“自由”と思っている。

“目”が現実の社会生活の方向を向いていない。

自分だけの虚構の仮想世界・仮装世界を遊んでいる。



それらは装いの利己主義であって、本来の個性とは違う。社会での自由には、必ずルールと責任というものが伴う。スポーツにもルールがある。言語にも文法がある。音楽にもコード(和声)がある。


そしてドレスにも必ずコードが伴っているのである。

ルールや秩序の無くなった文化や文明は何れ衰退してゆく。思えば、衣服の姿・形、とは時代や世相の裏返しだ。


世の中が発展し成長している時代、人間は社会生活行動のし易い保護・保温・機能や、生きるための生活機能優先の実用的で健康的な衣服を身に纏っていた。

やがて一つの文化や社会が熟爛すると、見栄と世間体の贅沢・豪華なものが一般的となり、・・・そして社会が停滞し行き詰った時、秩序は壊れ人々の風俗は退廃的になり、また、カオスになってゆく。


ファッションの流行も同様である。


世の中が経済的に豊かな時代には、布地をたくさん使った、装飾的なドレープの効いたゆったりタップリとしたデザイン等が流行し・・・景気が悪く貧しい時代には、布地をあまり使わない、装飾の少ない、タイトでスリムなデザインが流行し・・・、又、戦争の時代には、生き延びるための実用一辺倒の物となる・・・。

これらは、長髪と短髪のヘアスタイルの流行、女性のスカートの長さ、靴のヒールの高さや形の流行なども、同様の事であり、時代の社会状況を大きく反映しているのである。


今日、お役所が省エネ・スタイルを提案する事でも分かるように、結局ファッションとは、時代の社会状況との相対性理論なのだ。


果して、今のファッションや風俗は、私達がどんな時代にいることを表しているのだろうか?


かつて、創世記の時代、繁栄に奢り高ぶった人間はバベルの塔を作り、天に近づこうとし、神の怒りをかい破壊され、種族ごとに異なる言語にされる等の天罰を受けた・・・。

中世ペストの大流行した欧州では、繁殖しすぎたネズミの大群は、大自然の摂理で、“種の保存”に則って自ら海中へ行進し、その数を減らしたという。


大自然の摂理は、必ず自然界のバランス、サイクルを保とうとする。

自然を破壊し、地球の気候まで変えてしまった人間の行く付く先は、はたして何処なのだろうか?


過去の日本の歴史においても、

元禄や文化・文政の繁栄時代には贅沢・華美な衣装・風俗が流行した。そしてその後には享保・天明・天保の大飢饉があり、幾多の倹約令にもかかわらず幕府は衰退してゆき、やがては徳川の世は終焉した。

かの大正デモクラシーの時代にはモボ・モガ・エログロ・ナンセンス等の派手な衣服や享楽の風俗が隆盛したが、その後には関東大震災・昭和大恐慌が襲い、悲惨な滅亡の戦争への道をたどった。


平家物語と同様に、必ず繁栄と衰退の歴史は繰り返す。

繁栄の次には、必ず大震災や大災害がきっかけの衰退が繰り返す。


宇宙の始まり、物事の始まりはビッグバンの0からだった。
所詮はプラスマイナス=0が大宇宙の原理である。

宇宙の法則とは、恐竜やマンモスに対した以上に人類をひいきする理由は全く無い。地球にも始まりがあるなら終わりもある。

日は昇りそして沈む。朝があるから夜がある。

山があるから谷が有る、日の当たる所があるから影が出来る。


高い所にある水は低い所へと流れ、やがて蒸発し高い所へ戻る。


それらが、大自然の摂理、「自然」と云う事である。

人の一生も同じ事。永遠の命や幸福だけの人生などは有り得ない。

波乱万丈、好事魔多し、・・・人生すべて塞翁が馬。・・・・・・・




それにしても、まさか21世紀の平和と思っていた日本で、又、灯火管制や集団疎開や配給を経験するとは夢にも思わなかった。

国家繁栄の都合で作ったはずの原発が、今人間の首を絞めている。

不完全な人間は、遂に自らの制御出来ないものを作り出してしまった。

不完全な人間が“絶対に安全です”と神話を作り、利益のためにパンドラの箱を開けてしまった者どもがいる。

広島・長崎・ビキニ環礁・スリーマイル島・チェルノブイリに学ばず、利潤追求の論理に走る人間達。


日本がアトランティスやポンペイにならなければ良いのだが・・・。




今、私達は歴史のどの時点にいるのだろうか?


・・・日本の政治経済がどんづまりとなった大震災後のそんな折、故郷の少年時代の恩師・寺内欣一先生からお手紙を頂き、久しぶりにお会いする事が出来た。


♪仰ぐ赤城は気高くて 遥かな野辺は目にさやか

広瀬の畔そびえ立つ 嗚呼懐かしい学び舎は

伊勢崎 南中学校



先生は、地元市の戦後英語教育の父であり、私にとっては、当時のドラマ“青春とはなんだ”の野々村先生(※主演・夏木陽介、主題歌・布施明)そのものだった。

先生は授業中にはナットキングコールやドリスデイのレコードを聴かせてくれて、トゥーヤングやルート66を唄ったものだった。

思えばVAN以前に米英文化に憧れるきっかけをくれた恩師だった。


先生はけっして生徒を怒らず、褒めて伸ばし、勉強に興味を持たせてくれる教育だった。おかげで私の成績はUPし、伝統校にも合格できた。

また、私に次いで担任頂いた妹も日本政府交換留学生に選ばれて進学し、現在は高専の英語講師と市の通訳をしているのだった。


寺内先生は僕らの“欣八先生”だった。

「・・・おまえには、三単現のSを教えるのに一苦労したよ。それでも正月には、俺の家の郵便受けに、画用紙で作ったバカでかい年賀状を届けてくれて、驚かしてくれたもんだったよなあ。」


(・・・出来の悪い生徒ほど記憶に残るものらしい。)

寺内先生は、遠い昔の事も昨日の事のように憶えておられた。

「・・・ところで、おまえの息子は、俺の母校の大学院を卒業して、高校英語教師になったらしいじゃないか。つまりは俺の後輩だ。俺はもうすぐ80歳だから 今、家の書庫を整理しているんだけど、今までの溜まってしまった英語専門書や洋書を、出来たら俺の後輩である、おまえの息子にもらって欲しいんだ・・・。」

嗚呼!なんとありがたいことだろう。

WHAT A DIFFERENCE A DAY MADEだ!


・・・こうやって、一時代の文化や思想や知識というものは、止まる事の無い川の流れのように脈々と次の世代に受け継がれていく。

それが伝統・トラディショナルということだ。

トラッドとは、単なる服のブランドや形や流行の事ではない。

トラッドとは・・・、

「“温故知新”=古い事柄を研究して、そこから新しい知識や道理を見つけ、それを次の時代に伝えていく。そんな考え方や生き方の事を言うのだ。」


過去の歴史を学ばなければ、未来は語れない。

かつて石津先生や諸先輩達からトラディショナル思想を学んだ私達は、どんづまりの現在を、ただ嘆き甘んじているだけであってはならない。

それを伝えていかねばならない。



・・・石津先生はおっしゃっていた。


「・・・ファッションとはなんであるか?

ボクは、明日をどのように生きるかを考えることだと思っている。
ということは、今日に満足しないということである。

明日への楽しみ、喜こび、意欲。・・・明日の生活を考える事、それがファッションだ。

ボクは今日が不幸せだとは思わない。

今日よりも、きっといい明日が来る、来ないはずが無い。

そして、いい明日を迎えるためには、どうすればいいかといつも考えている・・・。」




だからトラッド愛好者とは、只の骨董品マニアであってはならない。変わらない事がトラッドなのでは無い。

古い事物を大切にするだけではなく、そこから新しい明日のことを考えなければならない。

"既憶"の経験や知識というものを、次世代に伝えなくてはならない。

どのような出来事に遭遇したとしても、経験を分析し原因を究明し、後世に伝えていくことがトラディショナルなのだ。

その伝え残した資料や知識の中から、次の時代の新しいスタンダードがいずれ創られて行くのである。


かつて、困難に立ち向かう時代には、たとえその身を犠牲にしても、世のため人のために働く質実剛健・報恩奉仕な男の姿が歴史の中にあった。

長く太平の世が続くと、次第に人々の目は社会に向けられなくなり、自己中心となり、国家社会を考えるべき官製東大出身者でさえもが、“自分が金儲けしてどこが悪いのですか?”とのたまい、バベルの塔(バブルの塔)豪華六本木ヒルズに住まう時代になる。

当然、若者達のファッションも、社会性を考えない利己的な自己中心の考え方の享楽・退廃型スタイルになってしまった。

ファッションとは、時代の世相なのである。



・・・そして未曾有の大災害の困難に当面した現在、時代の世相・価値観・ライフスタイルは大きく変わるかもしれない。
いや、変わらなくてはいけない。

人間が、恐竜やマンモスと同様の道を辿らないために・・・。享楽から秩序へ・・・停滞から前進へ・・・異端から正統へ・・・。


有史以来、弱小生物の人間が、地球生命体の筆頭になれたのは、“温故知新の知恵”があったからである。個々では弱い人間が知恵を使って、社会を作り秩序を作り、集団の力をまとめる事が出来たからである。


日本人は、今までに幾多の困難を乗り越えてきた。

壊滅状態の戦後日本が、昭和の経済復興を成し遂げたのは、
戦前を反省し学び、財閥を解体し農地改革したことに始まる。

過去を学ばぬ者に未来は無い。歴史はそのために学ぶ。

朝のやってこない夜というものは無い。宇宙が0に還り、地球が0になるのは、まだ先の話だ。


全国のトラッド人間よ“YOUNGATHEART”を忘れるな!


東北のメンズショップの皆様、VS店の菊池店長よ、負けるな!


東北復興のポイントは、かつての戦後復興の歴史の中にある。



かつて石津先生達世代は、どうやって戦後日本を復興させたのか。

昭和の日本復興の1つのポイントは、アイビー・トラッド精神であった。

質実剛健・文武両道・報恩奉仕・・・、

良く遊び良く学べ・健全な体に健全な心宿る・・・。

ホンモノとは何か・機能とは何か・一流とは何か・・・。

私利私欲ではなく他人を思いやる紳士道、ダンディズム・・・。

歴史や伝統や祖先を大切にする心・・・。

トラディショナルは人間の文化の土台なのだ。

トラディショナルとは、人間の“命の螺旋”なのだ。

伝えていくことがトラディショナルなのだ。




不肖私は、せめて不完全であり微力ながら、石津先生にお教え頂いた価値観をVAN日記に書き続けます。

なぜなら、それがKentトラッドの存在した証だから・・・。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・つづく






2011年7月30日19時13分58秒の福島第一原発ライブ・カメラからの静止画像
ライブ映像を見たい方はこちら

文頭に『 2011年5月の閑話休題 』とのタイトル・・・・・
にも拘らず、管理人の怠慢からサイト・アップが7月末になってしまいました。
この事実を深く反省すると伴に、今後もこんなペースでやっていくことを、ここにお誓い申し上げます。
悪しからず!!










“VAN SITE”ZOKU-SEISHUN VAN NIKKI 89
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