続・青春VAN日記96
ケント社の巻 その63
<号外・石津会長生誕百年祭OB会>
あの、明るく元気で前向きな、昭和の“文芸復興”の先端を走ったVANヂャケット社が、VAN TOWN ―AOYAMAから消え去ってから早、30数年の月日が流れてしまった。
かつての時代を先駆するリーダーであった先進のVAN社員達も、2011年、そのほとんどが還暦の年令を通過してしまった。
しかし、いまや外見こそ変化してしまった元社員達と言えども、胸奥深く灯るYOUNG―AT―HEARTの精神は、けっして消えてはいない。
皆、子供の頃に持っていた“ビー玉やめんこやビール瓶の蓋などのガラクタの宝箱”を後生大事に持っていた少年の心を持ち続けている。
仲間達がひとたび顔を会わせれば、何時でも永遠の若者に戻れるのだ。
そんな2011年9月、石津祥介元副社長よりの33年ぶりの社員出勤要請の号令(シャレである。給料は出ない!)が届いた。
“石津謙介会長 生誕百年を祝うOB会”の案内状であった。
全国には、あの倒産以後、日本各地に分散して行かざるを得なかった3千名を超える元VAN社員・関係者・OBの皆様がいる。
あれから30年以上が経過した現在、果してどれだけの皆様が御健在か?
心に残るあの人この人、どこでどのような人生を送られているのだろうか?
石津事務所よりの、“元VAN全員集合”の御触れ書きを目にして、旧制VAN学校での、青春の数々の想い出が想馬灯の様に甦って来る。
・・・素晴しい先輩方・大好きな仲間達・意見の合わなかった奴・・・。
還暦も過ぎた今となっては、全てがただ懐かしく、いとおしい。
あの頃あの時あの場所で、本来出会うべくもなく出会い、同じ社食の飯を食べ、同時代を切磋琢磨した皆さん方に、もう1度会ってみたい・・・。
やがては、思い出の中に生きて行く年令になるのも遠い先の事ではない。この先、OB名簿の皆様のお名前に黒い縁取りが増えて行く前に、是非とももう一度会って、青春をしてみたい・・・。
今や車の運転も面倒臭くなり切符販売機のボタン操作も分からない程、出不精になってしまった私であったが、いざ愛する我社のためとあらば、何ほどの事やあらん。
ましてや石津副社長よりの号令となれば私には絶対である。
私は即、いにしえの上州の北条家忠臣・佐野源左衛門(謡曲・鉢の木)や、忠義の人、楠正成・新田義貞(建武中興)、山中鹿之助(尼子家忠臣)・・・、そして堀部安兵衛(忠臣蔵)や平手造酒(浪曲・天保水滸伝)・・・・と、平成の大忠臣に変身するのであった。
“・・・いかねばならぬ~!・・・”
(※今時珍しいアナクロ男です。御恩と奉公・義理と人情・・・???
幼少の頃より東映時代劇で育ち、「武士道・葉隠れ・菊と刀」等を生噛りし、不器用な男・健さんや加藤剛の大岡越前に憧れた男の価値観でありました。)
早速、永遠のVAN社員の藤代先生・新庄参謀長・高須柳川所長等の皆様方からは、早速連絡のメールが送られてくるのでした。
・・そして懐かしい山陽堂書店での待ち合わせとなるのでした。
いざ鎌倉(青山)へ!
かくして2011年10月20日。
今や上州素浪人となってしまった元VAN社員の私でありましたが、押し入れから 社員の証の紋付(エンブレム付ブレザー)を引っ張り出し、下駄箱で眠っていたBASSに20年ぶりにKIWIを擦り込んで、まるで入社試験を受けに青山を訪れた、青春のあの時のように、いざ青山へと、VANの聖地へと出かけるのでありました。
かつては、青山のトラさん店長と言われて20年間も住んでいた街、であったはずなのに、東京を去ってから 嗚呼20年ふた昔!
私は青山の浦島太郎になっていた。
・・・なんと!渋谷駅、表参道駅でも、
・・・改札や出口場所が全く分からなくなっていた
・・・只のお上りさんの田舎の小父さんになっていた・・・涙。
待ち合わせ時間よりあまりにも早目の時間に青山に到着してしまった私は、まよわずVAN TOWNのランドマーク・石津事務所に出社?した。
いたー!いらっしゃった!
そこには、かつてのヴァンタウン青山の皆様がいらっしゃった。
瞬時にして時空フィルターのかかってしまった私のセピア色の目には、神々しい先輩方は、40年前のVAN社員時代そのままのお姿であった。
学生時代に成城の仙川沿いの御自宅で初めてお見かけした石津副社長!
見習い社員時代から数々のお世話になった、宮部ヘッド!
科学技術館ファミリーセールで接客して頂いた、軽部課長!
あな、お懐かしうござりまする!
私は一瞬にして新入社員に戻ってしまった。
(・・・40年前のままの職階呼称でお呼びして失礼致しました。)
事務所で御挨拶を済ませた私は、続いてVK高須さんと約束の増田屋蕎麦店で落ち会い、“お~お懐かしや!”と20年ぶりのざるそばを食べ、待ち合わせの山陽堂書店へ向かうのでした。
青山ダイヤモンドホール開場前のこの時間にも、山陽堂書店近辺には一目でそれとわかる(トレンディな若者通行人とは明らかに異なる)OB達が集合していました。
山陽堂の小母さまにご挨拶して中に入ると、ギャラリー内には、
石津副社長、VHの和田さん、VKの馬場さん、VNの大塚さん達が・・・、
そして藤代先生・新庄参謀長が・・・!
早くも同窓会を始めてしまった私達は、連れだって会長生誕百年祝会場のダイヤモンドホールへと向かうのでありました。
“会場は昭和のVAN・TOWN・AOYAMAにタイムスリップ!”
会場に一歩足を踏み入れた瞬間、全員が40年前の青春時代にバック・トゥ・ザ・フューチャーしてしまった。
奇跡の時空間・ロスト・ワールドが再出現した!
嗚呼!チ~フ!ヘッド殿!・・・キャップ!リーダ~殿!
髪の毛の薄くなった方も、お腹の出っ張った方も、目が会った瞬間にその姿はあの頃の若者の姿となってお互いの網膜に映るのだった。
現世の肩書も立場も社会的地位も、何も無くなった。
会場のOB達同士の目には、1つの時代の苦労と喜びを共通体験し、お互いに切磋琢磨しあった仲間と30年後の時代に再会できた喜びが宝永の富士山大噴火のごとく爆発していた。
“お~お前か!・・、あ~懐かしい!・・、う~元気だったか!”
会場内には、感情の昂りと言葉にならない感嘆の声がうなりを生じ、押し寄せる津波のような感激の怒濤に溢れ帰っていた。
抱き合う者! 涙を流す者!
手を握り合う者!感謝の気持ちを述べる者!
連絡先を確かめ合う者! 写真を撮り合う者!
かつての秘めた恋心を打明ける女子社員・・・!
・・・会場には、元総務・人事・宣伝・販促・制作・企画・営業・販売・物流・S&S・そして工場・取引先・芸能・出版・モデル業界・・・、
どこを向いても懐かしいあの人の顔が笑っていた。
御名前を揚げ出すとキリがない300人を軽く超すたくさんの元社員達!
同期仲間の野村・佐野・包国・竹山・杉本・堀・永田・みどりちゃん達!
Kentの下田・今井課長・細渕さん! 営業1課の金替さん達!
人事のマドンナ千葉さん!
販促の池田忠課長・玲子さん!
ヴァンガ―ズのボスと五十嵐さん!
橋本VK支店長、川本元キャップ!
・・・・・・・・・・・・・ああ!とても書ききれない!
一晩では皆様と30年ぶんの話をとても話しきれない!
中には、倒産以来、全く音信不通になっていた先輩の姿も在った。
(丸井担当のあの石川昇さんの顔を30数年ぶりに見た時には思わず絶句!いろんな苦労を思い出し、ただ涙が出てきて止まらなかった。)
そして、くろすさん・ミッキーさん・なべさん・アダムス井出社長!
倒産セールの時に来てくれたポパイの後藤健夫さん(現OILYBOY)、
縫製名人・小沢工房御大、鎌倉シャツの野村さん、吉田ブラス先輩、
・・・・・・・・・あーとても書ききれない!
通常の学校等の同窓会などでは有り得ない、大人達の大興奮のルツボ!
くろすさんやミッキーさん、なべおさみさん達の御挨拶まではなんとか軽部課長の司会で進行していたが、会場のOB達同士の興奮の会話の熱気と音量は物凄く、湧き上がる歓声にとうとうマイクの音量を上げても音声が全く聞こえなくなってしまった。
ああ、もう収拾がつかない!
数々の宴を経験した司会生活30年の私にも、これほどの興奮に満ちたパーティ会場は見た事が無かった。
あの“お帰りなさい石津会長”の集いからはすでに6年以上が経つのに、OB達のVANへの想いは少しも衰えていない。
もう、会場は高木社長・岡野チーフにも統制不可能なほどの収拾のつかない異常な盛り上がりとなっていった。
とうとうパーティは、石津副社長の提案で、進行無きフリースタイルへ、集合写真撮影すらも不可能な状態へとなっていくのであった・・・。
それにつけても、熱狂の元昭和の若者達のエネルギーはもの凄い!
かつてのVANヂャケット社員達の恐るべきパワーを再度味わい、全身に熱き血潮が燃えたぎる思いがするのだった。
北炭屋町でゼロからスタートし、日本一のアパレル企業に成長し、業界1の倒産から奇跡の復活まで、なんでも先駆者であり続けた先進のヴァンヂャケット!
私は 七たび生まれ変わろうとも、何度でも、石津社長のVANに入社したい。
“YOUNG-AT-HEART”よ永遠なれ!
・・・拝啓、天国の石津会長様 本当にありがとうございました!
つづく
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