続・青春VAN日記98
ケント社の巻 その65(1985年春)
<麻布十番ケント社の春②>
さて、この頃の銀座界隈はバブル景気の頂点を迎え、大いに賑わっていた。
その繁栄振りは、かつての神武・いざなぎ・岩戸景気時代を上回り、あの“君の名は”や石原裕次郎フランク永井の“銀ブラ”歌謡時代や、若者達の大集合が世間を騒がせた“みゆき族”流行の時代をも超えて、日曜の歩行者天国は、繰り出した人出に溢れかえっていた。
今や世界第2位の経済大国となった日本国のメインストリートには、岡野チーフによる銀座POLO・SHOP開店を始めとして、世界に名だたる有名高級ブランド各社も続々と日本出店を開始し、あの有楽町・日劇だった場所には、西武百貨店も進出を果した。
(※なんと有楽町西武店長は、私の池西時代の紳士服担当・村田係長だった。)
そして銀座百貨店老舗の松屋様におかれても、トラディショナル・ウェアの集大成・紳士服ミスタートゥデイ売場はさらなる発展を続けていた。
・・・その松屋様店頭イベントは実に盛りだくさんのものだった。
4月には“石津謙介フレッシュマン服装講座”
6月は“「KENT BOOK」出版記念くろすとしゆき氏講演サイン会”
8月は“アイリッシュセッタークラブ・海外旅行”
10月には石津会長の“男の服装戦略”出版記念・講演サイン会等・・・。
(・・・そしてVAN・Kentや他社ブランドによるイベントやキャンペーン活動も 花盛りであった。私の“Kentトラッド講座”もやらせて頂いた。)
さて早春の候、紳士服大泉課長と私は例によって近所の英国風パブ、スコッチクラブで一杯やっていた・・・。(私達は末席ながら石津学校の生徒なので、“銀座高級クラブ”等には無縁でした。)
ジントニックを飲んでいると、ビフィーターのボトルの絵が目に入る。
「大泉さん、この店はロンドンを思い出させますねえ・・・。シャーロックホームズ・パブもこんな感じでしたねえ・・・。」
「・・・僕はあの“ぬるいビール”にはびっくりしたなあ。所違えば、酒の飲み方もずいぶん違うものだと感心しました。
ストレート&チェイサ―の飲み方も体験しましたねえ・・・。
アイリッシュセッタークラブ旅行では、日本にいては気が付かないトラディショナルな生活様式のいろいろな社会勉強が出来ました。
旅行のしかた・ホテル・食事・買い物・プレイ・酒の飲み方に至るまで、毎日が目から鱗が落ちる体験の連続でした。そして、長い歴史と文化に育まれた国で生活する男達の姿を見て、紳士とは何か、男のエレガンスやマナーを考えさせられました。
改めて“カッコ良さ”の本質は、身に付ける服や道具の事では無く、物を使いこなす人間自体の生き方・ライフスタイルに在る、と実体験できました・・・。」
・・・ところで横田さん、素朴な疑問なのですが・・・、日本人に洋服は似合っているのでしょうか・・・?
・・・かの地での2週間の旅行をして帰国してみると・・・、いつも見慣れたはずの東京の街が、以前とは違って見えました。
洋風の街の中を、洋風の人々が歩いている事に変わりは無いが、その洋風が、なぜか滑稽な“猿真似”に見えてしまったのです。
特に流行の最先端を気どっている方々を拝見した時には、まるでエノケンやロッパの、モボ・モガの浅草軽演劇時代と同様なものを感じてしまいました。
日本人の洋装は喜劇なのだろうか・・?
外国に行った日本人は、だれでも日本人のアイデンティティーについて幾たびか思いをめぐらせるのでしょうが、自分では代表的日本人と思っていた私は中国人に間違われてしまった。
はたして、日本人とは何者なのだろう・・・と?
外国で目にした三船敏郎の侍姿などは、外人達にとっても日本人の素晴しく格好良い衣服だと目に映るらしいが、日本人の洋服姿となると・・・?(ど~もぱっとしない?)
これはどうも日本人の凹凸の少ない扁平な顔や短足胴長の体にも原因が有るように思われます。
もともとの日本人のルーツとは、洪積世時代からの原日本人と大陸からやって来たモンゴロイドと南方渡来の海洋民族達ですが、肉食の適さない土地で、カロリーの少ない魚貝や雑穀類や米を食べて、腸が長くなり体は矮小になった。
農耕民族の稲作生活の中で、狩猟民族より足も短くなった。
また四季の寒暖差ある気候と、植物性原料多用の生活の中で、その環境に適応する必要性と、長い歴史の機能性の経験の中から、日本独自の衣服“平面裁断の極致・キモノ”が発達したのでしょう。
和服こそが、日本の気候風土と歴史の中で、日本人が創り上げた最高のスタンダード・トラディショナル・ウェアでしょう。
ところが歴史が変わり、日本は文明開化以後、西欧列強国家を目指し、生活様式は、猫も杓子も突如洋風に変化してしまった。
そして短足胴長扁平体型の日本人が、伝統の着物を着ることを止め、凹凸体型の西欧人の着ていた“立体裁断の洋服” を着るようになった。
それは、ほんのわずか半世紀前の出来事でした・・・。
外国で和服を着ている日本人を見ると、実に堂々として文化を感じさせますが、同じ人が洋服を着ると、たちまち後進国のハイカラ紳士に見えてしまった。
どうでしょう横田さん?
ふだんは、お客様に“いい背広をお召しになっていらっしゃいますね”
とか、“いやあ実によくお似合いでございます” とか言って洋服で食わせて頂いている私達ですが、・・考えた事有りませんか?
はたして日本人に洋服は似合っているのだろうか?・・・」
「う~ん、大泉さん。こんな考え方はどうでしょうか?
・・・会長がいつかおっしゃっていました。
自分自身の衣食住の生活を自分一人で出来ない者を“子供”と言う。
自分一人の力で自分が生活出来る者を“一人前”と呼ぶ。
自分の家族の生活や社会の面倒まで見られる者を“おとな”と言う。
・・・今の日本は、文明のサイクルの中で、ようやく世界の“おとな”の仲間入り出来た段階なのかも知れません。
かつての大戦後時代には“似合うも似合わないも”無かったでしょう。凍死しない事が服の第一機能だったのですから。
国民の衣食住が落ち着いてきたのは、ほんの20年前位の事です。
トラディショナルとは、“時間の経過”のみが作り出せる世界です。
時間が掛かるのです。
・・・たとえば車の世界の話では、日本人達は、日本の平地の少ない劣狭な立地道路環境の中で、国力産業の要である、車を研究しました。
・・・そして、広大なハイウェイを走る大排気量のキャデラック・・・とかアウトバーンを快走するベンツやBMW・・・とか、砂漠も走れるフォルクスワーゲン・・・とか・・・の、外国とは全く異なるコンセプトを考え出しました。
ウサギ小屋に住んでも、狭い悪路もスイスイ、ガソリン燃費も良い、公害にもやさしい、故障も少ない・・・経済性や耐久性等といった、スバルやN360やカローラ・サニー・シビックといった、日本独自の価値観のカッコ良さを創り出してきたではありませんか。
私達も、きっと日本人に似合う洋服スタイルを作れるはずです。
洋服というのは、社会に生きる男の“人”を表す大事なツールです。私達も旅行で勉強させて頂いた欧米の洋服知識を勉強・参考にして日本の紳士作りのための洋服を考えていきましょう。
私は、今の日本人に似合うのはボックスシルエットだと思っています。
そして、これからの日本人に似合う洋服の世界を作り上げるのは、世界の銀座松屋紳士服・ミスタートゥデイ大泉課長殿の仕事ではありませんか!!!・・・」
「・・・ところで大泉さん、私個人の人生最初の海外旅行は、一ヶ月間の“ヴィーナス・アメリカ横断旅行”だったんですが、この旅は、僕ら世代のポピュラー音楽愛好者にはたまらない、いわば“MUSIC・AROUND・THE・AMERICA”とも言うべき音楽を中心にした“最高”に楽しいツアーでした。
ニューヨークでは、モダンジャズとソウルにミュージカル。
メンフィスでは、プレスリーのロックンロール。
ナッシュビルでは、カントリー&ウェスタン。
ニューオリンズでは、デキシーやトラッドジャズやレゲエ。
ミシシッピ―川ではオールマンリバーのアメリカントラディショナル。
ルート66では、オールデイズ。
ロスでは、ウエストコーストジャズやフュージョン。
ワイキキでは、ハワイアンにタヒチアンショー・・・・・と、アメリカ大好き人間にとって、これほど極上の経験はありませんでした。
・・・そこでお話ですが、“日本の戦後の紳士服は、1959年の石津社長の世界旅行に始まった。
その米国見聞が、日本のアイビー・トラッドの出発点だった。”・・・と言っても過言ではありません。
私達世代にとって、“アメリカは僕らの先生だった”のであります。
ケネディ・クラークケント・ララミー牧場・パパ大好き・ラッシー・トニパキ・ドナヒュー・ホフマン・マックイーン・・・から、アメリカングラフティに至るまで・・・。
それなのに、当アイリッシュセッタークラブは米国旅行未経験です。
トラッド愛好クラブなのに肝心のアメリカ旅行未体験です。
アイリッシュセッタークラブ・コンダクターの大泉・大先生殿!今年のクラブ旅行は、アメリカ!はいかがなものでしょうか?
ぜひ、僕らの校長先生と“我・青春の故郷アメリカ”を旅してみたい!
改めて、“開祖・石津会長”の御解説による“アメリカ風俗文化の旅”は、いかがでしょうか?
会長にも、おうかがい頂けないでしょうか・・・?!?!
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つづく
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