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ヴァン ヂャケットの社内でのエピソード、
              一社員から観た石津謙介社長.その1.


おかげさまで、このブログ「団塊世代のヤマセミ狂い外伝」も今回で100回目を迎えた。

日頃ご覧頂いている全ての方々に感謝したい。

つい2日前、アナログ印刷物、つまり「本」で読みたいと熱心にリクエストを下さった全国の方々と、友人やクラスメートに学生時代編を本にして贈った。
オンデマンド印刷で印刷した初版の部数はアットいう間に無くなってしまったが、このブログが収録されているYAMASEMI WEBの特別コーナーにまとめて掲載し、今後ネット上で続けて読めるようにしてみたいと思っている。乞うご期待だ。

 

先日完成した「団塊世代のヤマセミ狂い外伝」学生時代編 

さてさて、100回記念のネタは勿論我が恩師、我が社長・石津謙介氏その人だ。

ヴァン ヂャケット自体、会社の存在・商売にきちんとした理念のある会社だったからこそ社長が恩人だったのだ。

その後長く勤めた広告代理店の博報堂等は会社こそ有名で大きかったが、その存在や商売の意義に「理念」など微塵も感じられなかったし、会社自体や社内の人々から学ぶものは何も無かったと言って良い。
むしろ博報堂に25年間所属する事で集まった、2万3千枚に及ぶ名刺の束が示すとおり、知り合った社外の方々から得たものが非常に大きかった。このあたりの話はまだまだ先になる。


世の中には一体、どれだけ石津社長に関する文献、WEBサイトがあるだろうか?

勿論元ヴァン ヂャケット中枢部に居た方々が主宰するWEBサイトが一番石津社長に関する紹介・エピソードは詳しいに決まっているし、どれもが生々しい事実。
貴重な文化資料だと思う。
この私も相当参考にさせて頂いて居るし、何度も観返させて頂いている。勿論VAN関係のURL群のトップにブックマークさせて頂いている。


石津謙介大百科のサイト= http://www.ishizu.jp/ 

 話術も素晴らしいが、身振り手振り、ジェスチャーは外人と同じだった。

しかし、筆者の場合は外部から社員としてヴァン ヂャケットに入れて頂いた身であり、同志ではなく部下という立場で、ある程度社内リアルタイムで距離を置いて石津謙介社長を見てきただけに、中枢部に居た方々、あるいはヴァン ヂャケッ倒産後、石津社長をぴったりマークしたジャーナリストとは少し違うイメージ、印象があるかもしれない。

ただそれは、富士山を甲府方面富士宮市から見るか、静岡県側・例えば三保の松原越しに見るかの違いと同じで、富士山は富士山、石津社長は石津社長に変わりは無いと思う。

入社前の会社訪問でいきなり我々の目の前に現れたと言うサプライズ話は、学生時代変の最終回の話として既に既報の通り。

※「団塊世代のヤマセミ狂い外伝 #77.」 青山ヴァン・ヂャケットの会社訪問、いきなり石津謙介社長が出てきた。
http://yamasemiweb.blogspot.jp/2014/10/blog-post_19.html 

ヴァン ヂャケットに勤め始めて判った事なのだが、石津社長はこのサプライズが大変好きで、しかも得意だった様だ。
幾人かの先輩・同期の社員に訊いても、良く同じような内容の話を聞かされた事でもこれを裏付けている。


1対1、あるいは数人で石津社長に相対している時はあまりそういうイメージを感じはしない。
しかし、一旦大勢を相手にマイクを握ったり、訓示を言い渡す際はもう饒舌でハイテンションに成ることが多かった、と言うより必ずそういう状態になったものだ。
冗談でよく言う「別人28号」に変身するって訳だ。

自分の出番が来るまで、まずその日の聴衆の様子をジーット観察するのが癖だった。 

例えば、ある時356別館つまり営業本部で社員をフロアに集めて訓示があった。

其処で石津社長の第一声はこうだった、「君達、本館の1階入口からエレベーターのある二階まで階段は何段あるか知っているか?」だった。

勿論人事課の人間だってそんな事知らないし、知る必要もまったく無いのだ。
誰も知らないという事を判っているからこそ、そういう事を唐突に発言して度肝を抜こうと言う「演出」なのだろう。

慣れたベテラン社員は「今回社長は何を言って驚かすだろう?」と楽しみにしているような気配すら感じた。まあ、一種のお約束みたいなものなのだろうが、入社間もない社員にとっては「凄い!人の心を掴むコツを教わった!」と感激してしまうのだった。


似たような場面に何度も遭遇しているが、お得意様を集めた内見展示会のショウのさなかにこういう場面に遭遇した時には、思わず詳細に記録したく成る程だった。


時は次年度の春夏商品内見展示会、場所は青山通りに面したVAN99Hallのステージだった。

現場が好きな筆者は宣伝2課の手伝いをして狭いコントロールルームで照明を担当していた。
横には宣伝2課の吉田大吾郎君が居て音響や進行を行っていたと思う。

ステージ上では宣伝部の神吉(かんき)部長がマイクを握って次々に着替えて出てくる男性モデル、それも雑誌メンズクラ誌上で誰もが知っている人気の戸田さん等を紹介しつつ、着ている次のシーズンの主力商品の説明を行っていた。

この神吉ヘッド(宣伝部長)は元々テレビ朝日に居た方で、石津社長に請われて1965年頃ヴァン ヂャケットに入った方だと聞いていた。したがってこの手の司会や進行はお手の物だったろうと思う。


いわゆる詳しい商品説明付きのファッションショウだ。
幾つかの商品モデルを紹介している時だった。
いきなり99ホールの最後列でこれを見ていた石津謙介社長が吼えた!
「違うぞ、それ!」


客席最後列から、お得意の鼻を右手の親指と人差し指でつまみ・しごきながら、左手でステージ上のモデルさんを指差しながらこう続けるのだった。

「神吉!お前違うぞ、何度言ったら判るんだ?〇〇と××の出荷は同時じゃ駄目なんだ、グループのコンセプトが全然違うんだから、まだ判っていないんだなぁー。
どうして現場の苦労を解らないんだろうか。」とか言いながら、自らステージ上のモデル6名を2つのグループに分けるのだ。

「それ違うぞ!」と言いながらも決して怒鳴っているのではなく、理由を繰り返し一生懸命神吉ヘッドに説明しながら、結局は客席のお客様たちに判る様に解説をしている感じだった。

マイクを持つと非常に能弁になる。聴衆の心をつかむ事に関しても天才的だった。 

各百貨店のバイヤーさんや主要店の店長さんは、もう食い入るように、唾も飲み込まず、瞬きもせずこれを眺めている。

お客様皆様の面前でヴァン ヂャケット宣伝部長の神吉ヘッドが、石津謙介社長にコテンパンに叱られる訳だ。もうこれは相当なインパクトがあるだろう。

その時ステージ上に立っているモデルさんが着用している商品群を忘れるお客さんは一人としていないと思う。いわばメディアでも有名な名物社長が最前線で商品のコンセプトについて細かい指示をしている場面に遭遇する訳だもの。


しかし、VAN99Hall中二階のコントロールルームで、宣伝2課の吉田君は一言呟いた。「アーアまた、始まった、始まっちゃったよ。」

VAN99Hallで石津謙介社長が使用したSHUREの高性能マイク・名機SM58 

どうやら、これは全て「お芝居」だった様なのだ。

全て最初から仕組まれた筋書き通りの展開らしいのだ。
予行演習・リハーサルがあったのか無かったのか未だに不明だが、永年ヴァン ヂャケットを引っ張ってきた石津社長と神吉宣伝部長の阿吽の呼吸で進む、一大パフォーマンスだった様に、当時はとても思わなかったが、今になって「成る程そういう事なのか」と思う次第だ。まじめな筆者には想像も付かない演出だった。




ヴァン ヂャケットの社内でのエピソード、その9。
              一社員から観た石津謙介社長.その2.


VAN99Hallでのパフォーマンスに関しては前回のブログ通りだった。

繰り返すが、大勢の社外の人々の前の石津謙介社長と、我々社員の前での石津社長は随分イメージが違っていた。社内ではアパレル・トップ企業の創始者にして社長。外では個人としてファッションを中心とした文化風俗のプロデューサー、ファッションデザイナーとしての存在。これらを見事に使い分けていた。

石津社長のこの文化風俗のプロデューサーとしての活動の一環に、フジテレビが1960年代に放送していた「勝ち抜きエレキ合戦」と言う視聴者参加型バンド・コンテストの審査員が在った。

勿論筆者はまだ高校生。テレビでその審査の様子を見るだけだったし、もちろんまだその頃はこの石津社長の部下に成るなどとは夢にも思って居なかった。


 

勝ち抜きエレキ合戦 Google画像


主にバンドメンバーのステージ衣装(=もちろん当時はビートルズやベンチャーズもネクタイをしてステージに立つのが普通だった。)の批評でポイントを与えていたような記憶がある。


 

初期のローリングストーンズ Google画像 

シャドウズもアニマルズもあの不良の塊と言われたローリングストーンズですらネクタイ姿でステージに立った時代なのだ。当時のレコードジャケットを視ると良く判る。

 

数少ないストーンズのLPジャケット・コレクション


石津社長はヴァン ヂャケットの社長と云う肩書きではなくファッションデザイナーとしての肩書きで審査員席に座り、出場バンドの衣装・ファッションについて詳しく吟味していた記憶がある。

そういった著名文化人としての石津社長だったが、社内では勿論尊敬と畏敬の念で全社員から慕われていた。

此処に面白い話がある。


この話は特別の展示会や社内訓示のケースではない。
ごくごく普通のある平日の昼休みの話だという。勿論人から聴いた有名な話だ。

場所は別館356の営業フロア、時間は昼休みが始まって15分ほど経った頃だという。
男子社員は昼休みに限らず常日頃から担当上司に「デスクに等座っている暇があったら、自分が担当の得意先・売り場に行くなり外回りをしろ!」と言われているので朝から社内には居ない。

昼休みになど居る訳も無い。
したがって残っているのは女子社員ばかりという状況になる。昼休みに入って15分経った頃といえばお弁当を食べている真っ最中だろう。


突然デスクの電話が鳴った!皆弁当を頬張っているから直ぐには出られない。
勿論先輩社員、年配のお局様(ヴァン ヂャケットに居たかどうかは知らないが)は絶対に受話器を取らない。

どの会社でも同じだろうがベテラン女子社員はそこそこの男子社員など蹴飛ばすほどの肝が据わっている。時々掛かってくる勧誘の電話や悪戯の電話に対する対応等マニュアル以上の経験を積んでいた。
普通は当然新米が取るのだが、この日に限って鳴った電話の傍には年季の入ったベテラン女子社員しか居なかった。

 

75年当時はプッシュホン時代に入っていた。 

年季の入った女子社員はおもむろに受話器を取った。

もう受話器を耳に当てるか否か、周りの者たちに聴こえるような大声が受話器の中から響いたという。

  「何をやっているんだ!どうして早く出ない?」

電話の着信音を何度も聞かされてイラついたのだろう、あるいは相当急いでいたのだろう、大きな声で怒鳴ったのだ。
受話器を思わず耳から離したベテラン女子、一瞬にしてこの相手を良くあるクレームかいちゃもん付けの電話だと判断をした。
ナメラレテはいけないと思ったのだろう深呼吸して声を落としてこう言ったらしい。

  「アンタ誰ぇ?昼休みに何ぃ?」


   「俺だ!」

  「俺じゃ判んないわよ、何処の誰ぇ?」

  「この会社で俺と言うのは俺しか居ない!」

  「馬鹿言ってんじゃないわよ、俺なんて苗字、聴いたこと無いわよ?
   ふざけないでよね、こちらは忙しいんだから。」


・・・と言ってガチャンと受話器を置き電話を切ってしまったのだ。

電話を切ってものの2秒も経たずにまた掛かってきた。
その怒鳴り声を聞いた同じ女子社員

  「アンタもしつこいわねー、警察呼ぶわよ?」 と言って再び電話を切ってしまった。

もうそれっきり電話は鳴らなかったと言う。
誰もが「さすが姉御!」と頷きあってその場は終わった。


と、10分ほどして突然階段を石津社長が営業部門の広いフロアに駆け上がって来てこう言った。

  「誰だっ!さっき電話に出た奴は?」

これを目撃していた者はその場をこう表現した。
カラー画像がいきなりドキュメンタリーのモノクロ画像になった・・そうだ。

弁当を頬張ったまま女子社員全員が直立不動になったのは当然の事だった。
「しつこいわねぇ」と言って電話を切ってしまった当の本人は完全にクビを覚悟したそうだ。

最長老の女子社員が口を開いた。

  「社長!あんまりです。
   私達は相手が誰だか確認するまで対応をしないように教育されています。
   お得意様は昼休みには絶対電話を掛けてきません。
   
   皆様我が社の内情を良くご存知ですし、ご自分達もランチタイムだから。
   
   今まで昼休みに掛かってきた電話は殆どがいたずら電話もしくは嫌がらせ電話
   ですので、それなりの対応をしました。

   社長であるならば仰ってくださらないと・・・。」


社長の顔は怒っていなかったという。

そうしておもむろに女子社員の顔を見てこう言ったそうだ。

  「君達ね、お箸を置きなさい」

立ったまま全員箸を置くのすら忘れていたらしい。
そうして続けてこう言ったという。

  「俺が悪かった!」

もうその瞬間、当の女子社員は泣き崩れたとの事だ。

3丁目交差点のVAN本館から怒りに燃えて青山通りを物凄い勢いで歩いたのだろう。

で、別館356に着くまでに頭が冷えたのか、怒りが収まったのか、対応策が決まったのだろう。最年長の女子社員の説明に納得したのだろう。

その後社長はその場に居た女子社員全員を別の日ランチに招待したらしい。

これは当時、事件の数日後に別館356営業部で耳にした話だが、最近よく言われる尾ひれの付いたヴァン ヂャケット社内の都市伝説かもしれない。

しかし内容の大小は別にして本当にあった話だという。



                            ・・・・・・・・・to be continued



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