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最初の大仕事はVANMINIの七五三キャンペーンだった。


最初のVANMINIキャンペーンで、思いも寄らぬ大成功を収めた販促部(課から部に昇格していた)は、直ちに次のキャンペーンの構想に取り掛かった。

VANMINIの成功を横目に、VANBOYSのチームも店頭キャンペーンの威力を目の当たりにしたのだろう、その次のシーズンへ向けて熱心なキャンペーン実施要請を販促部に行っていたらしい。

隣のVANMINIの営業データがはっきりとキャンペーンの成果を示していたものと思われる。
その効果は単に営業数値だけではなく、売り場の拡張にも現れていたらしい。
Gケース(ガラスの陳列台)1台でも余計に取れて百貨店での販売面積が広がれば、それはもう営業として非常に喜ばしい事なのだ。

売り場が広がれば店頭在庫を増やせる、在庫つまり出荷が増えればサイズ揃えも完璧に出来るようになるし、売れるチャンスも広がり営業数値が上がる、そうなれば担当営業は高い評価をもらえる・・・。こういう仕組みになっている。

当時はまだ売れた実数ではなく、納品数値を売り上げとして評価する傾向が強かった。
したがって出庫さえすれば売り上げ数値がつく為、未納返品などという訳の判らない事まで行われていたと聞く。
つまり伝票上、売り上げるのだが、商品は倉庫から実際には動かず、売り上げが立ったら直ぐに伝票上返品にしてしまう・・・。成績を上げる為にこう云ったカラ売り上げ行為も時にはあったようだ。


次のキャンペーンは、購入者に対し売り場でのプレミアムを「お楽しみ箱」から手づかみで持っていってもらうという、参加アクション付きの展開だった。
このプレミアムに選んだのが「ブリキのおもちゃ」だった。

戦争後一時代ヒットした日本製のブリキのおもちゃが千葉や茨城の倉庫に眠っているとの情報を、出入りのプロダクションの人から聞いてサンプルを取り寄せてみた。

金魚のおもちゃ、キューピーさんなど3~40種類のブリキのおもちゃがデスクの上に乗った。
まだ綺麗で保存状態が非常に良かった。

で、これを一個一個透明のセロファン袋にいれVANMINIキャンペーンのタグを付けて用意をした。売り場では抽選箱を用意し中が見えないようにして、これら小さなブリキのおもちゃを入れて、一つプレゼントするという趣向だった。

これは子供本人よりブリキのおもちゃで育った親のほうが夢中になってしまったようだった。
まだ品のよい親御さんが多い頃で「あのブリキのほうがカッコ良いから替えてくれ!」などと無理強いするようなクレーマーは居ない時代だった。今はとても怖くて出来ないだろう。


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お客様本人がラッキーBOXと称した箱の中のプレミアムを掴み取った。
 
 
プレミアムに使用した「ブリキのおもちゃ」

当時のVANMINIのプレミアム類はヴァンサイトをご参照ください。
VANMINI Novelty=   http://vansite.net/vanpremium12.htm

このキャンペーンが終わって、残ったブリキのおもちゃをあげたのが、ブリキのおもちゃコレクターでその後有名になり、テレビの「開運!なんでも鑑定団」で鑑定士になっている「北原輝久」さんだ。

これがスタートでブリキのおもちゃコレクターになったのかどうかは定かではないが、彼はまだその頃は一般的な骨董品や中古レコードを集めていたような気がする。 
当時八重洲に在った北原スポーツにお邪魔した時、彼のコレクションを見せて頂いた事が在る。

この北原スポーツからアイスホッケー・ヴァンガーズがスティックや防具、スケート靴などの用具を購入していたので良く訪れていたのだった。

同時に北原スポーツは信州の南志賀高原にある山田高原スキー場にホテルを経営していて、ヴァン ヂャケットの社員、特にアイスホッケー・チーム部員はバスを仕立ててスキーに行ったものだ。偉く細い道を登っていくのだが、非常にこじんまりしていて当時でもリフト待ちなど殆ど無い良いスキー場だった。

後ろが南志賀に在った山田高原ホテル。
当時のヴァン ヂャケット社員のスキーツアーはこういったスタイルが多かった。
遊びには徹していた。

世の中的には空前絶後のスキーブームで、ヴァン ヂャケットでもスポルディングの板をVan Sportsで、その後ヴィッター・ツアーなどというイタリアの陸軍が使用したとか云う無名のスキー板を売り出すことになったりして、それなりにブームの恩恵にあやかろうとはしていたようだ。

当時の自分のスキー用具。
まっさらの板が3本あるが、いずれもヴァン ヂャケットが扱っていたスポルディングの板。
スキー靴も赤白のストライプに塗った試作品。
黒いラング・スーパーコンペは宣伝部の内坂君(現マガジンハウス)がプレゼントしてくれたもの。
自分に非常に合った靴だったので8シーズンも履いた。


やはりスキー関連ウエアや用具を販売するとなれば、それなりのレベルの経験者が必要だが、競技スキー上がりの宣伝部内坂君も読売新聞社の「スキーライフ」などというエポックメーキングな雑誌編集に借り出されて、あまりヴァン ヂャケット本社には居なかった。

読売新聞社が出したこのムック本は日本のスキー界のみならず、
若者の関心を根底から変えた。

K2、プレシジョンなどというスキー板がこの本以降人気に。
同時に若者文化の大方向転換の起爆剤にもなった。この後「Made in USA」や
「Whole Earth Catalog」に続き新しいアウトドア系のUSA文化隆盛に繋がる。
しいてはこの動きが、トラッド・アイビーから抜け切れないヴァンヂャケット倒産の引き金を引くことになる。


競技こそしないが、当時スキー暦既に10年の筆者もスキーをする際はアイスホッケーの派手なユニフォーム・ジャージやラグビージャージを着て滑ったり、ウエスタンの皮製のフリンジジャケットにテンガロンハットで滑ったりしていたので、商業ベースに乗ったスキーウエアになど見向きもしなかった。

山田高原スキー場でポール練習後の記念撮影。
立教大学のブラウネOBなども居て遊びの割にはレベルは高いメンバーだった。
右端の筆者はキャンペーンに使ったTシャツを着ている。
右から3人目はアイスホッケーのユニフォームジャージ。
 

「団塊世代のエネルギーの元は『優越感』にある!」という事を以前このブログでも書いたが、まさにその「優越感」を得るために、他人と違ったオリジナリティを出すには、お金さえ出せば買える高価な輸入品海外ブランドの市販のスキーウエアでも限界があるというより、理念的に許せなかったのだろう。

当時既にナンバー1、よりオンリーワンを追求する気風が在ったような気がする。

当時のヴァン ヂャケットの社員たちはこういうタイプの人間ばかりの集団だったような気がする。






ヴァン ヂャケット社内でのエピソード その1。


いつの間にかVANMINIのキャンペーンから、スキーの話になってしまったが、販促部としてもアイスホッケー部員中心に何度も北原スポーツが経営する山田高原スキー場へ行った。

時には元々スキー競技選手だった北原輝久氏がアドバイザーとして、スキースクール教師を担当してくれた。

一度などスキーを回して斜面を下るのにレースの時のようにポール、つまり旗門を立てて其処を回りながら下るという練習をした。みなそこそこポールを滑って転ばずにコースを滑り降りて上達したようだった。

http://1.bp.blogspot.com/-rjY4Kzc1VHY/VLHF2pIY7WI/AAAAAAAAKB0/1KmBO0DlfS0/s1600/yamaboku20140315a1.jpg
山田牧場、山田高原、名前が替わってきたスキー場だが、
今はYAMABOKUワイルドスノーパークというらしい。
バックカントリーには良いかも知れない。
 


ところが、さて全部が終わって、ポールを片付け、少しは滑れる我々がポールの束を肩に担いで降りようと思ったら、皆が降りてこない。
皆思い思いのルートで宿のホテルに行くのかと思ったら、斜面の目印のポールがなくなった途端、斜面の傾斜にビビッてしまい、怖くて降りられないという。
ポールがあれば目の前のクリヤすべきポールだけ見ているので斜面の傾斜が気にならなかったのに、ポールを抜いた途端斜面の下まで見通せてしまい怖くなるというのだった。
この意外な面白さは今でも良く覚えている。


http://4.bp.blogspot.com/-bQxYgoHsVyA/VLHGhHpwKOI/AAAAAAAAKB8/9Y5bdfU30LA/s1600/13030600.jpg
ポールをとってしまうと、斜面の傾斜が怖くなるそうだ。 


夜になると、食事も終わり疲れ切っているので眠たいのだが、軽部CAPがまたまた面白い仕掛けをしてくれる。

「怖い話をしようぜ」と皆に持ちかけるのだった。
それぞれに怖い話をさせるのだが、特に女子社員がキャーキャーいいながら聞いている中、いよいよ軽部CAPの出番になった。

「あのな?夜遅く、皆が寝静まった頃、トイレに行くとギシーッ、ギシーッと廊下の床板が不気味に鳴るんだよ・・・。」もうこれだけで、女子社員同士体を寄せ合って、お互いにしがみつき合いながら怖がっている。

「でなっ?便所の個室のドアをキキーッという音と一緒に開けると・・・自分自身がしゃがんでこっち見ているんだよ!」 もう山田高原の全山が雪崩を打つような大声でキャーッ!という叫び声が全館にコダマするのだった。
女子社員たちはその夜、勿論誰一人トイレには行けなかったらしい。


雪山に行かずとも、この手の話はヴァン ヂャケット社内では日常茶飯事の事として転がっている。


ヴァン ヂャケット入社後、一番驚いたのが朝は勿論、夕方になっても社員同士の挨拶が「おはようございます」である事。

得意先の百貨店で売り場に行く際はエスカレーター、エレベーターは一切使わず階段を上がることだった。メンズ売り場は4階にあることが多かったので、さほど苦にはならなかったが、ついつい仕事でなくても百貨店に行く際には階段を上がり降りする習慣がついてしまった。

社員バーゲンは勿論アパレル系のメーカーであれば何処でも行う社内行事だが、ヴァン ヂャケットの場合はQ物バーゲンというのがあった。
これはキズ物・旧物など色々掛言葉では在るが、時には試作品などが出る場合もあった。


ムートンのダッフルコートなどは、40年経った今も家族が大切に使用している。

とても重たいが非常に暖かい。これなどもQ物バーゲンで購入したが、1万円しなかったような気がする。元々の価格は当時の価格でも10万円は下らなかったろう。

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非常に重たい存在感のあるムートンのダッフルコート。VAN社員でもQ物バーゲンでなければとても手に入るものではなかった。何処がキズモノ?と思うが、左の袖内側のムートンの毛の向きが袖口に向かって生えているため、気が付くとコートの中に着て居たウエアの袖がドンドン出てきてしまうという事だった。これは中の毛の長さを短くすることで解決した。

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この織ネームは相当苦労して取り付けただろうと思う。
毛皮製品でVANの織ネームは大変珍しいかも知れない。
 


2年に一度程は宣伝部から撮影に使った海外取材のサンプル品などの出品もあった。
これは品数が少ないため全社員には告知されなかった。

一度はソレル社のメインハンティング・ブーツなども出た事があり、サイズもぴったりだったので筆者が手を回して数日前に早めにリーチしておいた。

後にこの靴は我が父が晩年冬季雪深い秋田の工場へ出張の際に散々履いて行った。
大変感謝され、親孝行な息子と言われて鼻が高かった。
都会で自慢しながら履くのではなく、その靴本来の目的に沿った履かれ方をしたので、そのブランド品も本望だろう。

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 SOREL社 Main hunting boots.
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米国にもL.L.Bean社など、多くのメーカーがある。 


倒産後、VANに関する雑誌の特集が沢山組まれ、ムック本が出たりした。

元社員や得意先のメンズショップ・オーナーに訊きまくってVANとはこういう会社だったのだ!
石津謙介社長は世の中にこういった影響を与えたのだと、さも訳知りに書いた出版物が出たが、どれもBeatlesの伝記物と同じような、外から観た途切れ途切れの情報、ネタを繋ぎ合わせたものばかりで、元社員から視ると別の会社の物の様に見えてしょうがない。

そういう意味からすると、我が大学の同期、同時にヴァン ヂャケット同期入社の管理人が主宰するウェブサイト=VAN SITEこそVANの姿を正確に伝えている唯一のメディアではないだろうか?

勿論その中核をなす元Kent営業マン横田哲男氏の青春VAN日記こそが内部から見たヴァン ヂャケットそのものの姿といって良い。



VAN SITE http://vansite.net/    
青春VAN日記= http://vansite.net/vandiaryentrance.htm



次回はそんなごく普通の日のヴァン ヂャケット販売促進部内の様子などを回顧してみたい。



                            ・・・・・・・・・to be continued




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