2012年6月~7月 2012年8月~9月 2012年10月~11月 2012年12月 
2013年1月~2月  2013年3月~4月 2013年5月~6月 2013年7月~8月
2013年9月~10月 2013年11月~12月 2014年1月~2月 2014年3月~4月
2014年5月~6月 2014年7月~8月  2014年9月~10月  2014年11月~12月 
2015年1月~2月 2015年3月~4月 2015年5月~6月 2015年7月~8月 
2015年9月~10月  2015年11月~12月  2016年1月~2月  2016年3月~4月 
2016年5月~6月  2016年7月~8月  2016年9月~10月  2016年11月~12月 
2017年1月~2月 2017年3月~4月  2017年5月~6月 2017年7月~8月 
2017年9月~10月  2017年11月~12月  2018年1月~2月  2018年3月~4月 
2018年5月~6月  2018年7月~8月 2018年9月~10月  2018年11月~12月 
2019年1月~2月  2019年3月~4月  2019年5月~6月  2019年7月~8月
2019年9月~10月       




2015年7月4日(土)


今注目すべき?言説のいくつかを並べてみると、一週間ほど前の話になりますが、

「 マスコミを懲らしめるには広告料収入を減らせばいい。・・・経団連に働きかけてほしい 」
「 悪影響を与えている番組を発表し、そのスポンサーを列挙すればいい 」

また勉強会に参加した一般人からは 「 沖縄の二つの新聞を潰さないといけない・・ 」
・・・等等々々、ご存知自民党若手議員他から発せられたとされるものです。

ジャーナリストの津田大介氏からは
こんなのが毎日ニュースに流れてくる、本当に下品な国になったものだ 」 といった意見もネット上から聞こえてくる。

これらの議員を結果として選んでしまった投票権者の方たち。
現在、あたり前のように私たちの周りに存在している人権
  ( 生きる権利、考える自由、表現・言論の自由、公正な裁判を受ける権利、
    人にふさわしい生活を求める権利、人として大切にされながら働く権利、教育を受ける権利、等々)
などの大切さは十二分に理解している?ものと推察します。

しかし、その一角が崩されてしまった時の恐ろしさを考えた事が有りますか?
     ( ・・・存在することが当たり前の水や空気が無くなっていくと考えれば解かりやすいですか?・・・)

マスメディアを含む “ 媒体 ” の言論封殺はつまり個々人の言論封殺に直結しています。

議員以外の一般人の発言は、それこそ言論の自由から何を述べようが、公共の福祉に反しない限り許されるべきもの、反対ならば反論すれば良いだけの話だが、(こと)権力に属する議員の発言、それも非公開懇話会であれ自民党内の会合での発言となれば、どこかの居酒屋での与太話とは訳が違ってくるのは当然のこと。
 また、党内かつ非公開の場でも、講演者として呼んで自分等の参考にして良い者かどうか ( まあ誰を呼ぼうが、勝手と言えば勝手なのだが )、選定を間違えると先生方のレベルの低さだけが際立ってしまうのではないでしょうか。

元自民党幹事長、古賀誠氏も 「 本当に恥ずかしい、自民党はここまで劣化したのか!」 とTBSの “ 時事放談 ” 7月4日、の中で発言しているのです。

誠に残念なことに今や、民主主義、立憲主義等に照らし、悪い意味で注目すべき言説や事案は枚挙に暇がない状態となってしまいました。

何としてもこの流れを止めないと・・・・・・・・・・!

                                              記 : 7月4日



2015年7月9日(木)


昨日までに何度か、件の集団的自衛権について、より国民に解かりやすく解説するとして安倍晋三先生は自民党広報ツールの一つCafe Staとか言うネットテレビを通じ次のように説いていた。
                                             ( その概略 )。

国民に解かりやすくする為の “ たとえ話 ” に曰く、
   
   ●安倍晋三は生意気なので今度殴ってやる、という不良グループがいた。
   ●そこに友達の麻生君が登場し、「 俺は喧嘩が強いから守ってやる 」 と一緒に帰る事となった。
     麻生君は安倍君より前を歩いて守ろうとしていた。
   ●その道中に現れた数人の不良たち、先頭の麻生君に殴りかかった。
     この時安倍君は麻生君を守ろうと不良に立ち向かった。 
 

このような意味合いの話を、“ 集団的自衛権の解かりやすい解説 ” として
                               ネットカメラの前でしているのだ。
                      ・・・・・???・・・・・

この事に関して民主党の男性議員が安保法制特別委で
「 この話では不良は最初に攻撃する事を宣言していた。 が、その宣言無しで麻生君が攻撃された場合、つまり不良は安倍君をやっつける気が無いにもかかわらず、麻生君に加勢することは出来るのか。」
などと質問していた。

これらのたとえ話や安保特別委でのやり取りを見聞きしたみなさんはどう思うのでしょうか?

巷では “ 反知性主義 ” という言葉が、いろいろな場面で本来とは違った意味で使われています。
本来と違った意味とは “ 国民が考えないよう愚民に仕立てるため権力などが謀る政策 ” なども反知性主義と言われているのです。

いい大人それも一国の総理が、集団的自衛権に関し国民の理解が深まっていないと批判され、
それを穴埋めする為ネットテレビを利用したのだと思うが、
事、国家が係る戦争に関する重要案件を説明するのに 「 麻生君、安倍君と不良グループとの喧嘩 」 、別の話しでは 「 菅君 」 も登場したらしいのだが、こんなたとえ話を出してくるとは!!!

さすがPKO派遣法案と戦争法案を同次元で話してしまう神経の持ち主!呆れて開いた口がふさがらないとはこの事か。

( 追 記 )
しかし、何度か実施したらしい上記Cafe Staからの比喩交じりの “解 説
(怪説?)” をもって、国民に対し丁寧に説明したとはならない事ぐらい首相ご本人も十分認識されているものと考えております。

                                              記 : 7月9日



2015年7月10日、気温27度程度、時間18時30分~20時30分 ( 現場周辺にいた時間 )
国会正門前にて 「 戦争法案反対集会 」 や 「 原発反対 」 に集まった人々、1万人 ( 媒体によっては15,000人とも ) ほどが馳せ参じました。
 現在進行形の社会の不穏な動きに中々反応しないと言われている若い世代、
その一部 “ SEALDs ( Students Emergency Action for Liberal Democracy s ) ”
や福島県の原発反対グループ、川内原発再稼働に反対するグループ等々がネットで呼びかけたものです。集会のほんの一部ですがご覧ください。

Freemake

 
このSEALDS呼びかけの安保法案反対集会には多くの賛同者(以下)が集合し、スピーチを行っています。
   ●
小池晃氏(参議院議員、日本共産党副委員長)
   ●
古賀茂明氏(古賀茂明政策ラボ代表、フォーラム4)
   ●
寺田学氏(衆議院議員、民主党)
   ●
岡野八代氏(同志社大学教授、京都96条の会代表、西洋政治思想史・フェミニズム理論)
   ●
佐藤学氏(学習院大学教授、安全保障関連法案に反対する学者の会発起人)
   ●
小森陽一氏(東京大学教授、九条の会事務局長、
             安保法案 東京大学人緊急抗議集会・アピール呼びかけ人)

  その中で以下の方のスピーチを録音できましたのでご紹介します。
  (なお画像は私の立ち位置からは後頭部しか見えませんでしたので、"IWJ"さんより拝借いたしました。)


  
 

小池晃氏   古賀茂明氏  
( 元画像 : " IWJ " INDEPENDENT WEB JOURNAL ) 


国会周辺の抗議集会参集状況 ( Google Earth )
( 上掲Flv映像は、黄色で表した歩道(右)の角近く及び手前に伸びる場所で撮影したものです。 ) 



2015年7月13日(月)


その1


・・・・・・・・・・・・・・・・・・
( 今、日本で )・・・「 反知性主義 」と呼ばれている ( 事がいくつも存在する )
・・・それは、論理的に筋を通すことを無視する態度だから ( こう表現されているの ) である。
2013年を思い出してほしい。
安倍首相は 「 憲法を国民の手に取り戻す 」 というスローガンのもと、憲法96条を改定して改憲を容易にするという裏技のような計画を立て、猛烈な批判を浴びた。

もちろんこのスローガンは今や語られない。
「 とにかく改憲したい 」、その気持ちしかなかったからだ。

何かのために改憲がしたいわけではなく、ただ 「 改憲したい 」
だとすれば、この情念は戦後の憲法体制に対する憎悪としてしか理解できないだろう。

現代日本を支配している反知性主義の起源は、つまり、戦後日本に対する憎悪にある。
この憎悪を正確に分析しない限り、現代の反知性主義を理解することはできない。

     出典 GQ : Gentleman’s Quarterly
             國分功一郎氏 哲学者 高崎経済大学経済学部准教授


●その2     ・・・このページトップに記載した項目に関連して・・・


・・・・・・・・・・
「 文化芸術懇話会 」(自民党勉強会)は、文化人や芸術家との意見交換を通じ
「 心を打つ 『 政策芸術 』 を立案し、実行する知恵と力を習得すること 」 を目的としているそうだ。
そもそも 『 政策芸術 』 という発想自体が、スターリン・ソ連における政治目的で芸術や文化を利用するというプロパガンダ戦術だ。

『 政策芸術 』 が可能であるという発想自体に、
                     現下
自民党の反知性主義的体質が顕著に表れている

もっともスターリン主義者は、もう少し巧みに 『 政策芸術 』 を展開した。
・・・・・・・・・・この会に参加した自民党議員に有益な参考書を紹介する。
                  ( この後参考書名などが記載されている )
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・  文化は政治に従属するという理論が精緻に展開されている。

自民党は、党中央による統制を強めようとしているが、これについてもスターリンの民主主義的中央集権制から学ぶべき事が多いと思う。

二十一世紀の日本で 「 スターリン主義の顔をした保守主義 」 に遭遇するとは思わなかった。

      出典 東京新聞7月10日朝刊、25面、こちら特報部、“本音のコラム”
          佐藤 優氏 作家 元外務省主任分析官




              (注) 上記中、( 緑文字 ) は当方で書き足したものです。

國分氏の 「 情念 」 「 憎悪 」 佐藤氏の皮肉たっぷりの 「 スターリン主義の顔をした保守主義 」 等々の言葉と 「 反知性主義 」 を重ね合わせて考えれば、国民無視
( 蔑視かも ) で民主主義、立憲主義を足蹴にする安倍首相を筆頭とした現政権を担ぎあげている人間たちの浅薄で無思慮な姿のなんと罪深いことか、改めて認識する次第です。

何度でも書きますが、前回、前々回衆院選 ( 2014年、2012年 ) で有権者総数の2割にも満たない得票率で議員総数の8割に届こうとする議席をたまたま占めてしまった政権政党に、戦争法案他これから先の日本が進む方向を決める大変重要な案件に対し、やりたい放題やられてしまう、
こんなこと、到底許されないでしょう。

国民が声を上げないで、高をくくっていると・・・この先に待っている日本の姿は・・・
                         ますます深刻な状況へと変わっていくこととなります。 

今まさに私たち一人一人が、国会で展開している状況をしっかりと把握し、自分で出来る事をやり、反知性主義に陥っている自民党他の議員たちに対し、民主主義とは何かを、現行憲法や立憲主義の本当の意味を、国民は愚民ではないことを、丁寧に教えてあげましょう。

                                              記 : 7月13日



2015年7月17日(金)

2020年東京オリンピック、
国立競技場建設費の不思議!
なにゆえ国立競技場の建設費がここまで膨らんでしまったのでしょう。
        ・・・何か、国立競技場建設以外のもの?でも関係していたのでしょうか?

( 以下表示でロンドンは2013年当時の為替レート、1ポンド=135円程として換算しています。
  が、開催年2012年に遡ると600億円前後となります。
  因みに2015年7月現在はほぼ190円台、従って900億円に達します。
  他の2国は現在のレートに近い数値で表示しています。)



デザインコンペ時の予定額1300億円でさえ、他国の費用と比較してとても高いと思うのですが。
『 お・も・て・な・し 』 が紹介されたころ、予算も規模もコンパクトなオリンピックにすると言ってませんでしたっけ。

下降気味の支持率回復策みえみえだが、一応白紙に戻すと表明したのは良しとしても、この後とても気になる事が!
 それは新聞などが修正建設費が2000億円以下になると報じているけれど、一体いくらなのか、たとえ5~600億円下がったところで、まだまだ高い建物になってしまう。

            なにしろ最初の予定額 ( 1300億 ) でも高額なのだから。

悲しい事に、国民の知りえないところで、権力側が何かを謀ることなど当然のようになりつつある今、
だまされないようしっかりと関連情報をチェックし、監視の目を向け続けましょう。


                                              記 : 7月17日



2015年7月29日(水)

今、この国で起きている、注目しないわけにいかない 「 負の事柄 」 をいくつか列挙してみました。

一つ、
平和安全法制という名で一括りにされた10もの戦争法案が衆議院を通過、参院の審議に掛けられているが、安倍政権は、強引な手法で成立を謀ろうとしている。

二つ、
『 辺野古の美ら海 』 が、沖縄県民の、他都府県民の、多くの反対を無理やり押し切るように、海上保安庁による危険で度を越した民衆への抑止行動も手伝って、これまた強引に埋め立てられようとしている。

三つ、
3.11東日本大地震によって福島第一原発のまき散らした放射能の除染問題なども
( たった4年余りで放射能禍が雲散霧消する訳もないのだが ) いつの間にやら大手メディア
( 一部を除く ) などには露出されなくなり、原子力規制委員会の新規制基準を満たしたとかで、原発事故など無かったかのように再稼働へとひた走っている。

   
規制委員会は端から、新規制基準は原発の安全性を保障するものではない、
     などと恥ずかしげもなく表明している始末。
     福井地裁は今年4月に高浜原発再稼働差し止め仮処分訴訟において、
      
      「新規制基準に求められるべき合理性とは、原発の設備が基準に適合すれば、
       深刻な災害を引き起こす恐れが万が一にもないといえるような厳格な内容を
       備えていることであると解すべきである
   
     と厳しく指摘し、田中原子力規制委員長の
「 基準の適合性を審査した。安全だという
     ことは申し上げない 」
などという発言は、万一の時の責任逃れの手立てを用意しているもの
     で、文字どおり新規制基準に適合しても原発の安全性が確保されているわけではない、
     ということを認めたという事だ。


四つ
国立大学の人文社会学系の統廃合・縮小を進め、成長戦略のため経済に役立ち金稼ぎがし易い理系を強化せよ、との大号令のもと、安倍政権はいかにも愚かな政策を推し進めようとしている。
この為人文系は時の政権から圧力をかけられ続け、だらしない事に、予算をハンドリングされる恐れから一部の国立大学がこれに迎合するかのような動きをしているようだ。

しかし、
是が非でも抵抗し続け、こんな不条理極まりない考えを押し付けようとする今の権力側に徹底抗戦して欲しい。そして何が起きているのか事態を具体的に日本社会全体に大きくアピールしなければならないはず。
デモでもいい、もちろんネットを利用して訴えるのも大いに結構!頑張っていただきたい。

現代において仮にも文明国家と表明している国で、どこの国が人文・社会系の学問をないがしろにしようとするのか、そんな国は有ろうはずがない!
こんな事を自分のご都合主義で謀ろうとするなどは、それこそ国家とも呼べない非文明且つ未熟な独裁地域の頭目ぐらいだろう。・・・謀ろうとする輩の程度が知れるというものだ。

五つ、
相変わらず日本の大手メディア
( 特に世界で悪名高いクロスオーナーシップ制を敷いているテレビ媒体 ) でジャーナリズム?を標榜する方々は、行政に首根っこを押さえられているためか、もともと日和見なのか、それとも資質が無いのか、体制寄りまたは死んだフリで体制批判など毛頭せず、ジャーナリズムの本旨からかけ離れた番組構成を取り続けている。
これってひょっとすると、安倍政権の大ヒット作
『 教えて!ヒゲの隊長 』 に透ける、国民は愚民なので、この程度の娯楽番組流しておけば視聴率稼げるから、とでも思っているのかな?!


まだまだいくつでも出てきそうなので、今回はこの辺で。
しかし、世紀末のカオスもこれほどではない、と思えるほど混沌、殺伐とした現代日本です。




以下は2015年7月24日(金)、蝉しぐれの “ 日比谷野外音楽堂 ” に、定員目いっぱいの3000人を超える人々を集め行われた、安保法案反対集会のほんの一部です。



《 会場最後尾からの映像でしかも手持ち、ブレたり登壇者の表情が見え難いですが、お許しを。 》


この会場での集会は午後7時15分までで終了し、参加者はほとんど、この後国会議事堂周辺へと向かいました。主催者発表で70,000人ほどが参集した一日でした。


                                              記 : 7月29日










 2015年8月15日(土)


TBSテレビ、世界ウルルン滞在記・2015年夏の特別号を偶然見た。
そしてドイツ、オーバーハウゼンに有る “ ドイツ平和村
(平和村サイトにリンク) ” のことを初めて知ったのです。
今日、8月15日に。

番組は運よくそこで暮らすことになった
( 施設に運ばれる人数は当然限られている )
世界の紛争地から運ばれて来た子供たちの悲惨な境遇、心の傷、なまなましい体の傷等を、
短い時間ではあったが、丁寧に紹介していました。

そして彼女・彼等の辛く長いリハビリ、故郷に帰った時に自立出来るようにする為の訓練の
ほんの一部を知ることが出来ました。

世界にはこのような施設、団体がきっといくつも有るのでしょう、残念ながら。

番組を見て、こういった施設がこの世界から一つでも少なくなるようにしなければならない、と
涙で画面がにじむ中、強く思う時間となりました。

当たり前の事ですが
“ 戦争はいかんのですよ ” 何がどうあれ!
結局弱い者が犠牲に、そして酷く痛めつけられてしまうのです。

日本も70年ほど前に嫌というほど、知ったはずなんですが。







ドイツ、ヴァイツゼッカー大統領の1985年5月8日に行った連邦議会での演説とわが安倍晋三首相の “ 70年談話 ” の一部が似ているという話を、今日20日某テレビ局で解説者が話していた。

しかし、流れの一部が似ている
( つまり70年談話が1985年演説を意識して作られた ) と取れなくもない箇所は有るが、内容の意味するところはまったく違うし、その巧みさは比べようもないほどである。
どちらが優れているかって?、自明でしょう。
 
以下に敗戦40周年のヴァイツゼッカー大統領演説が翻訳されたものが岩波ブックレットから出ているので、書きだしてみた。ぜひ読んでいただきたい。




5月8日は心に刻むための日であります。心に刻むというのは、ある出来事が自らの内面の一部となるよう、これを信誠かつ純粋に思い浮かべることであります。そのためには、われわれが真実を求めることが大いに必要とされます。

われわれは今日、戦いと暴力支配とのなかで(たお)れたすべての人びとを哀しみのうちに思い浮かべております。
ことにドイツの強制収容所で命を奪われた 600万のユダヤ人を思い浮かべます。
戦いに苦しんだすべての民族、なかんずくソ連・ポーランドの無数の死者を思い浮かべます。

ドイツ人としては、兵士として斃れた同胞、そして故郷の空襲で捕われの最中に、あるいは故郷を追われる途中で命を失った同胞を哀しみのうちに思い浮かべます。

虐殺されたジィンティ・ロマ(ジプシー)、殺された同性愛の人びと、殺害された精神病患者、宗教もしくは政治上の信念のゆえに死なねばならなかった人びとを思い浮かべます。

銃殺された人質を思い浮かべます。
ドイツに占領されたすべての国のレジスタンスの犠牲者に思いをはせます。

ドイツ人としては、市民としての、軍人としての、そして信仰にもとづいてのドイツのレジスタンス、労働者や労働組合のレジスタンス、共産主義者のレジスタンス・・・・・これらのレジスタンスの犠牲者を思い浮かべ、敬意を表します。

積極的にレジスタンスに加わることはなかったものの、良心をまげるよりはむしろ死を選んだ人びとを思い浮かべます。

はかり知れないほどの死者のかたわらに、人間の悲嘆の山並みがつづいております。

  死者への悲嘆、
  傷つき、障害を負った悲嘆、
  非人間的な強制的不妊手術による悲嘆、
  空襲の夜の悲嘆、
  故郷を追われ、暴行・掠奪され、強制労働につかされ、不正と拷問、
  飢えと貧窮に悩まされた悲嘆、
  捕われ殺されはしないかという不安による悲嘆、迷いつつも信じ、
  働く目標であったものを全て失ったことの悲嘆------こうした悲嘆の山並みです。

今日われわれはこうした人間の悲嘆を心に刻み、悲悼(ひとう)の念とともに思い浮かべているのであります。人びとが負わされた重荷のうち、最大の部分をになったのは多分、各民族の女性たちだったでしょう。

彼女たちの苦難、忍従、そして人知れぬ力を世界史は、余りにもあっさりと忘れてしまうものです。彼女たちは不安に脅えながら働き、人間の生命を支え護ってきました。
戦場で斃れた父や息子、夫、兄弟、友人たちを悼んできました。
この上なく暗い日々にあって、人間性の光が消えないよう守りつづけたのは彼女たちでした。

暴力支配が始まるにあたって、ユダヤ系の同胞に対するヒトラーの底知れぬ憎悪がありました。
ヒトラーは公けの場でもこれを隠しだてしたことはなく、全ドイツ民族をその憎悪の道具としたのです。
ヒトラーは1945 430日の( 自殺による )死の前日、いわゆる遺書の結びに 「 指導者と国民に対し、ことに人種法を厳密に遵守し、かつまた世界のあらゆる民族を毒する国際ユダヤ主義に対し仮借のない抵抗をするよう義務づける 」 と書いております。

歴史の中で戦いと暴力とにまき込まれるという罪-----これと無縁だった国が、ほとんどないことは事実であります。しかしながら、ユダヤ人を人種としてことごとく抹殺する、というのは歴史に前例を見ません。

この犯罪に手を下したのは少数です。公けの目にはふれないようになっていたのであります。
しかしながら、ユダヤ系の同国民たちは、冷淡に知らぬ顔をされたり、底意のある非寛容な態度をみせつけられたり、さらには公然と憎悪を投げつけられる、といった辛酸を()めねばならなかったのですが、これはどのドイツ人でも見聞きすることができました。

シナゴーグの放火、掠奪、ユダヤの星のマークの強制着用、法の保護の剥奪、人間の尊厳に対するとどまることを知らない冒涜があったあとで、悪い事態を予想しないでいられた人はいたでありましょうか。

目を閉じず、耳をふさがずにいた人びと、調べる気のある人たちなら、( ユダヤ人を強制的に )移送する列車に気づかないはずはありませんでした。
人びとの想像力は、ユダヤ人絶滅の方法と規模には思い及ばなかったかもしれません。
しかし現実には、犯罪そのものに加えて、余りにも多くの人たちが実際に起こっていたことを知らないでおこうと努めていたのであります。

当時まだ幼く、ことの計画・実施に加わっていなかった私の世代も例外ではありません。

良心を麻痺させ、それは自分の権限外だとし、目を背け、沈黙するには多くの形がありました。
戦いが終り、筆舌に尽しがたいホロコースト( 大虐殺 )の全貌が明らかになったとき、一切何も知らなかった、気配も感じなかった、と言い張った人は余りにも多かったのであります。


一民族全体に罪がある、もしくは無実である、というようなことはありません。
罪といい無実といい、集団的ではなく個人的なものであります。

人間の罪には、露見したものもあれば隠しおおせたものもあります。
告白した罪もあれば否認し通した罪もあります。充分に自覚してあの時代を生きてきた方がた、その人たちは今日、一人ひとり自分がどう関り合っていたかを静かに自問していただきたいのであります。

今日の人口の大部分はあの当時子どもだったか、まだ生まれてもいませんでした。この人たちは自分が手を下してはいない行為に対して自らの罪を告白することはできません。

ドイツ人であるというだけの理由で、彼らが悔い改めの時に着る荒布の質素な服を身にまとうのを期待することは、感情をもった人間にできることではありません。
しかしながら先人は彼らに容易ならざる遺産を残したのであります。


罪の有無、老幼いずれを問わず、われわれ全員が過去を引き受けねばなりません。
全員が過去からの帰結に関り合っており、過去に対する責任を負わされているのであります。

心に刻みつづけることがなぜかくも重要であるかを理解するため、老幼たがいに助け合わねばなりません。また助け合えるのであります。

問題は過去を克服することではありません。さようなことができるわけはありません。
後になって過去を変えたり、起こらなかったことにするわけにはまいりません。
しかし過去に目を閉ざす者は結局のところ現在にも盲目となります。
非人間的な行為を心に刻もうとしない者は、またそうした危険に陥りやすいのです。


ユダヤ民族は今も心に刻み、これからも常に心に刻みつづけるでありましょう。
われわれは人間として心からの和解を求めております。


まさしくこのためにこそ、心に刻むことなしに和解はありえない、という一事を理解せねばならぬのです。

物質面での復興という課題と並んで、精神面での最初の課題は、さまざまな運命の恣意に耐えるのを学ぶことでありました。
ここにおいて、他の人びとの重荷に目を開き、常に相ともにこの重荷を担い、忘れ去ることをしないという、人間としての力が試されていたのであります。
またその課題の中から、平和への能力、そして内外との心からの和解への心構えが育っていかねばならなかったのであります。これこそ他人から求められていただけでなく、われわれ自身が衷心から望んでいたことでもあったのです。

かつて敵側だった人びとが和睦しようという気になるには、どれほど自分に打ち克たねばならなかったか-----このことを忘れて五月八日を思い浮かべることはわれわれには許されません。
ワルシャワのゲットーで、そしてチェコのリジィツェ村で虐殺された犠牲者たち(1942年、ナチスの高官を暗殺したことに対する報復としてプラハ近郊のこの村をナチスは完全に破壊した。)-----われわれは本当にその親族の気持になれるものでありましょうか。

ロッテルダムやロンドンの市民にとっても、ついこの間まで頭上から爆弾の雨を降らしていたドイツの再建を助けるなどというのは、どんなに困難なことだったでありましょう。
そのためには、ドイツ人が二度と再び暴力で敗北に修正を加えることはない、という確信がしだいに深まっていく必要がありました。

ドイツの側では故郷を追われた人びとが一番の辛苦を味わいました。
五月八日をはるかに過ぎても、はげしい悲嘆と甚だしい不正とにさらされていたのであります。
もともとの土地にいられたわれわれには、彼らの苛酷な運命を理解するだけの想像力と感受性が欠けていることが稀ではありませんでした。

しかし救援の手を差しのべる動きもただちに活発となりました。
故郷を捨てたり追われた何百万人という人びとを受け入れたのであります。
歳月が経つにつれ彼らは新しい土地に定着していきました。
彼らの子どもたち、孫たちは、いろいろな形で父祖の地の文化とそこへの郷土愛とに結びついております。それはそれで結構です。彼らの人生にとって貴重な宝物だからであります。

しかし彼ら自身は新しい故郷を見出し、同じ年配の土地の仲間たちと共に成長し、とけ合い、土地の言葉をしゃべり、その習慣を身につけております。
彼らの若い生命こそ内面の平和の能力の証しなのであります。
彼らの祖父母、父母たちはかつては追われる身でした。しかし彼ら若い人びと自身は今や土地の人間なのです。

故郷を追われた人びとは、早々とそして模範的な形で武力不行使を表明いたしました。
力のなかった初期のころのその場かぎりの言葉ではなく、今日にも通じる表白
( 気持などを書き記す事 ) であります。
武力不行使とは、活力を取り戻したあとになってもドイツがこれを守りつづけていく、という信頼を各方面に育てていくことを意味しております。

この間に自分たちの故郷は他の人びとの故郷となってしまいました。
東方の多く古い墓地では、今日すでにドイツ人の墓よりポーランド人の墓の方が多くなっております。

何百万ものドイツ人が西への移動を強いられたあと、何百万のポーランド人が、そして何百万のロシア人が移動してまいりました。
いずれも意向を尋ねられることがなく、不正に堪えてきた人びとでした。
無抵抗に政治につき従わざるをえない人びと、不正に対しどんな補償をし、それぞれに正当ないい分をかみ合わせてみたところで、彼らの身の上に加えられたことについての埋合せをしてあげるわけにいかない人びとなのであります。

五月八日のあとの運命に押し流され、以来何十年とその地に住みついている人びと、この人びとに政治に煩らわされることのない持続的な将来の安全を確保すること-----これこそ武力不行使の今日の意味であります。法律上の主張で争うよりも、理解し合わねばならぬという誡めを優先させることであります。

これがヨーロッパの平和的秩序のためにわれわれがなしうる本当の、人間としての貢献に他なりません。

1945
年に始まるヨーロッパの新スタートは、自由と自決の考えに勝利と敗北の双方をもたらすこととなりました。
自らの力が優越していてこそ平和が可能であり確保されていると全ての国が考え、平和とは次の戦いの準備期間であった-----こうした時期がヨーロッパ史の上で長くつづいたのでありますが、われわれはこれに終止符をうつ好機を拡大していかなくてはなりません。

ヨーロッパの諸民族は自らの故郷を愛しております。
ドイツ人とて同様であります。自らの故郷を忘れうる民族が平和に愛情を寄せるなどということを信じるわけにまいりましょうか。

いや、平和への愛とは、故郷を忘れず、まさにそのためにこそ、いつも互いに平和で暮せるよう全力を挙げる決意をしていることであります。追われたものが故郷に寄せる愛情は、復讐主義ではないのであります。

      
戦後四年たった1949年の本日五月八日、議会評議会は基本法を承認いたしました。
議会評議会の民主主義者たちは、党派の壁を越え、われわれの憲法( 基本法 )の第一条( 第二項 )に戦いと暴力支配に対する回答を記しております。

ドイツ国民は、それゆえに、世界における各人間共同社会・平和および正義の基礎として、不可侵の、かつ、譲渡しえない人権をみとめるのです。

五月八日がもつこの意味についても今日心に刻む必要があります。

戦いが終ったころ、多くのドイツ人が自らのパスポートをかくしたり、他国のパスポートと交換しようといたしましたが、今日われわれの国籍をもつことは、高い評価を受ける権利であります。

傲慢、独善的である理由は(すこし)もありません。
しかしながらもしわれわれが、現在の行動とわれわれに課せられている未解決の課題へのガイドラインとして自らの歴史の記憶を役立てるなら、この40年間の歩みを心に刻んで感謝することは許されるでありましょう。

第三帝国において精神病患者が殺害されたことを心に刻むなら、精神を病んでいる市民に暖かい目を注ぐことはわれわれ自身の課題であると理解することでありましょう。

人種、宗教、政治上の理由から迫害され、目前の死に脅えていた人びとに対し、しばしば他の国の国境が閉ざされていたことを心に刻むなら、今日不当に迫害され、われわれに保護を求める人びとに対し門戸を閉ざすことはないでありましょう。

独裁下において自由な精神が迫害されたことを熟慮するなら、いかなる思想、いかなる批判であれ、そして、たとえそれがわれわれ自身にきびしい矢を放つものであったとしても、その思想、批判の自由を擁護するでありましょう。

中東情勢についての判断を下すさいには、ドイツ人がユダヤ人同胞にもたらした運命がイスラエルの建国のひき金となったこと、そのさいの諸条件が今日なおこの地域の人びとの重荷となり、人びとを危険に曝しているのだ、ということを考えていただきたい。

東側の隣人たちの戦時中の艱難(かんなん)を思うとき、これらの諸国との対立解消、緊張緩和、平和な隣人関係がドイツ外交政策の中心課題でありつづけることの理解が深まるでありましょう。双方が互いに心に刻み合い、たがいに尊敬し合うことが求められているのであり、人間としても、文化の面でも、そしてまたつまるところ歴史的にも、そうであってしかるべき理由があるのであります。

ソ連共産党のゴルバチョフ書記長は、ソ連指導部には大戦終結40年目にあたって反ドイツ感情をかきたてるつもりはないと言明いたしました。ソ連は諸民族の間の友情を支持する、というのであります。

東西間の理解、そしてまた全ヨーロッパにおける人権尊重に対するソ連の貢献について問いかけている時であればこそ、モスクワからのこうした兆しを見のがしてはなりますまい。われわれはソ連邦諸民族との友情を望んでおるのであります。

人間の一生、民族の運命にあって、40年という歳月は大きな役割を果たしております。
当時責任ある立場にいた父たちの世代が完全に交替するまでに40年が必要だったのです。

われわれのもとでは新しい世代が政治の責任をとれるだけに成長してまいりました。
若い人たちにかつて起ったことの責任はありません。しかし、( その後の )歴史のなかでそうした出来事から生じてきたことに対しては責任があります。

われわれ年長者は若者に対し、夢を実現する義務は負っておりません。
われわれの義務は率直さであります。心に刻みつづけるということがきわめて重要なのはなぜか、このことを若い人びとが理解できるよう手助けせねばならないのです。
ユートピア的な救済論に逃避したり、道徳的に傲慢不遜になったりすることなく、歴史の真実を冷静かつ公平に見つめることができるよう、若い人びとの助力をしたいと考えるのであります。

人間は何をしかねないのか-----これをわれわれは自らの歴史から学びます。
でありますから、われわれは今や別種の、よりよい人間になったなどと思い上がってはなりません。

道徳に究極の完成はありえません-----いかなる人間にとっても、また、いかなる土地においてもそうであります。われわれは人間として学んでまいりました。これからも人間として危険に曝されつづけるでありましょう。しかし、われわれにはこうした危険を繰り返し乗り越えていくだけの力がそなわっております。

ヒトラーはいつも、偏見と敵意と憎悪とをかきたてつづけることに腐心しておりました。

若い人たちにお願いしたい。
他の人びとに対する敵意や憎悪に駆り立てられることのないようにしていただきたい。
 ロシア人やアメリカ人、
 ユダヤ人やトルコ人、
 オールタナティヴを唱える人びとや保守主義者、
 黒人や白人
これらの人たちに対する敵意や憎悪に駆り立てられることのないようにしていただきたい。

若い人たちは、たがいに敵対するのではなく、たがいに手をとり合って生きていくことを学んでいただきたい。

民主的に選ばれたわれわれ政治家にもこのことを肝に銘じさせてくれる諸君であってほしい。
そして範を示してほしい。

 自由を尊重しよう。
 平和のために尽力しよう。
 公正をよりどころにしよう。
 正義については内面の規範に従おう。
 今日五月八日にさいし、(あと)うかぎり真実を直視しようではありませんか。



    上記 岩波ブックレット 翻訳 : 永井清彦氏  
              「 荒れ野の40年 」 ヴァイツゼッカー大統領演説全文  より


以下に演説全文の音声ファイル (
読み上げ ) を載せておきます。
演説文を見ながら聞いてみるのも良いと思います。






臨時トピックニュース ( 注目すべき記事番外編 ) 
2015年8月24日





2015年8月31日(月)

      8月30日、国会周辺10万人戦争法案反対デモに参加してきました。
      以下その概要です。主催者発表で120,000人ほどが集まった反対運動でした。


          上は、国会周辺デモンストレーション・エリア解説地図
   黄色ラインの一番下、日比谷公園方向より①まで進んだところ混雑で
   横断出来ず、そこから左方向、財務省上②まで進むも警察によりストップ。
   しかし、タイミングを見て横断し、国会前庭に入る。
( 航空写真Google earth )


  上の航空写真①の地点、
  国会前交差点で撮影中、偶然カメラの前を
  横切る参議院議員 小池晃 氏
  左と同じ①地点、国会正門に向かう
  横断歩道を渡り切れず、道路中央の
  グリーンベルトで待機するデモ参加者たち。
  ③の地点、公園内から国会正門通りを向き
  「戦争させない」のメッセージを振り上げる
  お父さん。その傍で立ち疲れたのか、
  子供が眠い目をこすりながらの懸命な我慢!
  ③の地点、警察の規制線が外され、
  国会正門通りを埋め尽くすデモ参加者たち。
  ③の地点、国会正門通りを埋め尽くす
  人、人、人 !
  ③の地点、上の画像の拡大
   
   ③の地点、ポツリポツリ小雨が降り出しても、
  真剣に演壇で行われる演説を聞く参加者
  たち。残念ながらこの位置からではスピーカーを
  通しての声しか聞こえない。
   ④の地点、国会に少しでも近ずこうとするが、
  遅々として進まない。背中を汗が流れ落ちる
  人々の熱気、さらに蒸し暑さがそれに輪を
  かける。ボランティアが給水スポットを自腹で
  設け、人々に配り歩いていた。
   
   ④の地点、国会前方向から人波をかき分け
  戻ってきた親子と思える二人。
  肩車が気持ちいいのか、頭にもたれかかる
  披露困憊気味の男の子。
   ④の地点、今にもザッと降ってきそうな
  空模様の下、国会正面を人波の中から
  撮影してみた。
( この画像だけスティル、後は
            すべて動画のキャプチャーです )
   
   ⑤の地点、国会正門通り、左側の状況。    ⑤の地点、国会正門通り、右側の状況。





   FORUM4アピールの為、上のPOPを29日に
  50個ほど作り、現場で配ろうとしたのだが、
  あいにくの天気の為配れず、次回に持ち
  越しとなりました。
  そこで自分だけはPOPを首から下げて、
  デモ参加中、歩き回ったのです。
  映像を見ると、望外にも注目してくれる人が
  何人もいました。






ページトップへ

ARTICLE TO BE WORRIED ABOUT 20
Copyright IDEAKONA. All Rights Reserved