ドイツ脱原発決め手の倫理委員会
数字や専門用語を使わず 技術・経済に優先する問題 |
《 哲学者が原発止めた独・考え方で賛成派を説得・
日本にない知識人の倫理委員会 》
福島事故を機に脱原発に舵を切ったドイツ。
メルケル首相の背中を押したのが、知識人たちによる諮問機関 「 より安全なエネルギー供給に関する倫理委員会 」だった。リスクを抱えた原発の利用に 「 倫理的根拠はない 」 と結論づけたのだ。一方日本の民主党政権は 「 脱・原発依存 」 を打ち出したものの、いまだ具体策を示していない。この違いは何なのか。
倫理委は、哲学者や宗教家、社会学者、ベテラン政治家ら17人で構成。原発の専門家は一人もいない。福島事故後の4月4日に設立、5月30日には 「
10年以内の脱原発が可能 」 との報告書を提出。
メルケル氏は 「 脱原発への転換の新たな指標を得た 」 と歓迎。ドイツ連邦議会と政府は昨年6月、「 脱原発 」 の方針を正式決定。17基ある原発のうち、停止の8基は閉鎖。残り9基は2020年までに停止。
ドイツでは左派政権が2002年に脱原発法を制定。メルケル政権は10年秋、この政策を先送りしたが、福島事故後あっというまに脱原発政策に回帰した。
「 こんな議論を日本でやったら笑いものにされる。大学の先生の理想主義だとか、安全地帯でものを言ってるとかね。 」 報告書を翻訳した三島憲一東京経済大教授(ドイツ現代思想)はまっさきに知識人を取り巻く
「 日独の差 」を挙げる。
<ナチスの教訓、筋論が正しい>
「 ドイツ人は筋論こそが正しいことを知っている。筋論を言う最たるものが知識人だ。第2次大戦中のナチス・ドイツは、軍需産業を刺激して景気を良くしたが戦争には負け、ユダヤ人虐殺で世界中から非難された。
目先の利益に飛びつくとひどい目に遭うことが身に沁みている。 」
日本では倫理委は設置されていない。政府は原発の専門家に技術的判断を仰ぐことはあっても、哲学者や社会学者の意見に耳を傾けることはない。
原発問題に「倫理」が関係する理由を報告書はこう説明している。
「原子力の利用とその停止、さらには停止にあたっての代替エネルギーによる穴埋め、こうしたことに関わる一切の決定は、
社会における価値決定にその根拠を持つ。
こうした価値決定は、技術的側面や経済的側面に先行する。」 |
三島氏は 「 いったん事故が起これば多くの人命にかかわる原発をどうするかは、個人的な利害を超える。社会の倫理価値判断に基づいて決めるべき問題だ
」 と強調する。
報告書の核心は、「 原発賛成派も反対に回らざるを得なくなる論理構成 」(三島氏)。原発をめぐる論争の対立軸は 「 絶対的拒否と比較考量による相対化の立場
」 に設定する。
絶対的拒否側は 「 破局の潜在的な巨大さ、(核廃棄物処理など)未来の世代が担わなければならない負担、さらには放射能による遺伝的損傷の可能性、こうした一切を最大限にとらえるべきで、リスクの比較考量による相対化などを試みてはならない
」 と主張。これに比較考量側は 「 社会には、原子力を放棄した場合の帰結も考える義務がある 」 と反論する。
だが倫理委は 「 2つの立場は同じ結論になる 」 と断言する。 「 原発の利用をできるだけ早く終結させるべきである、という結論である。 」 「 原子力をよりリスクの少ないテクノロジーに、環境や経済や社会と適合する形で置き換える可能性がドイツには存在している
」 から。
報告書には
@脱原発でも生活水準は維持可能
A代替エネルギーの導入と技術革新による雇用の増大が可能
B二酸化炭素減政策と矛盾しないことが可能
C国会に脱原発を監視す専門委員を配置
D市民が自由に参加できるナショナル・フォーラム創設
などの提言も盛り込まれた。
<だれでも議論できる切り口>
実は報告書には数字や専門用語はほとんど出てこない。
三島氏は ドイツでは「 考え方で説得しようとする。セシウムやベクレルなどの専門知識は必要ない。」
『 いったん事故が起きたら大変なので、単に必要かどうかという切り口でだれでも議論できる。役人を筆頭に、やたらと細かな数字や専門用語を使いたがる日本とは大違いだ
』 と指摘する。
とはいえ、ドイツの脱原発路線も順調ではない。
メルケル氏率いるキリスト教民主同盟は転換後選挙で負け続けている。
「 ドイツ国民は賢いから脱原発は支持するが、もともと 賛成( 注 : 原発に )のメルケル氏を見抜いていた。」
日本では賛成・反対両派の歩み寄りは容易ではなさそうだ。
ドイツでは10年以内の脱原発という落としどころが見つかったが、
地震国・日本では事故の可能性ははるかに高い。
にもかかわらず野田政権は付け焼刃の安全基準と政治判断で大飯原発の再稼働に突き進んでいる ( 注 : 5月26日現在 )。
<地震国・日本 絶対安全ない>
三島氏は 「 段階的な脱原発を選択した場合は、過渡期の原発運転の絶対安全が条件。地震国・日本では絶対安全はあり得ない。そうなると、結論は明らか。日本で原発を建設したこと自体が無責任だった。日本も筋論を通したほうがいい。電気代が上がるとか、代替エネルギーへの転換に時間がかかるといった目先の現実主義は、長期的に見れば損をする。
」
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