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2017年11月2日(水)

10月30日に横浜国立大学にて木村草太教授による立憲主義、主に憲法9条に関する講演会が有り、行ってきました。
その内容は残念ながら公表できないと言う事で、ご容赦を・・・m(_ _)m

一つだけですが可笑しな話が有り、
一時間ほどの講話中、特に記憶に残ったのでご紹介いたします。

それは、ご案内の“ 個別的自衛権 ” と “ 集団的自衛権 ” のことで、
自衛隊の役務拡大、集団的自衛権容認推進を謀る人の中に
この二つを分けているのは日本ぐらいである、と言う人がいるが、国際司法裁判所の判決等によると、これら二つは発動条件が違っているので個別と集団はまったく違うものであるとするのが自明です。

しかし、どちらも “ 自衛権 ” と表現されているので 「
一緒のものだ 」 と言い張るご仁もいるので、
そうした人には、あなたが言っている事は 「 “ がんもドキ ” と “ じょうもんドキ ” が一緒のモノ 」 と言っているに等しく、国際的に個別的自衛権と集団的自衛権はまったく違うものとされていますよ、と説明している。・・・という話です。


この話が出た時会場は大いに沸いたのですが、笑ってばかりはいられず、今やこの程度の認識力しかない政治屋さんが沢山いる事実を注視しなければならないと思っています。

以下は当日のポスターです・・・・・!


                                             記 : 11月2日




2017年11月5日(日)

10月24日、東京新聞朝刊、こちら特報部より
2017年衆議院議員選挙関連・・・
            
         なにゆえ投票に行かないのか 」 ・・・!!!


                                             記 : 11月5日



2017年11月8日(水)

10月24日、東京新聞朝刊、こちら特報部、“ 本音のコラム ” より


                                             記 : 11月8日



2017年11月11日(土)

首相逃げまくりの “ 加計学園獣医学部問題 ” 。
なにやら審議会の答申決定が為され、文科大臣が来春開校認可をするとかしないとか。

しかもその答申を出した審議会委員の中にも “ 忸怩 ” たる思いのメンバーがいる
                          ( TBS NEWSより ) とのこと。

こんな状態でも認可となる、この国の行政の劣化はついに決定的なものになってしまったようだ。


官僚は完全に政府の手先に成り下がり、政策審議会や国会答弁などで良く見る情景では、例の佐川理財局長 ( 今や出世して国税庁長官とか! ) や事務方の多くが保身の為なのだろう、議員質問に対し問題の焦点をぼかし、また論点をすり替えながら厚顔無恥なのか鉄面皮よろしく一見淡々と答弁している姿はもはや滑稽としか言いようがない。

議員数をのみ頼りの相変わらずのごり押し政治がまかり通っている状況はどこまで続いていくのか。

国民多くは今目覚めないでこのままの状態で突入していくであろうこの国の状況にただ単に身を任せていて良いのだろうか?自問自答して欲しい!

この後この国で何が起ころうとしているのか・・・
                         しっかりと目を見開いて確認しましょうよ。

                                            記 : 11月11日



2017年11月19日(日)

11月12日東京新聞朝刊、こちら特報部 “ 本音のコラム ” 
                           法政大教授・山口二郎氏、より


まぁ以前から言われていたことだが、
「 日本はアメリカ合衆国の51番目の州! 」 等と希望的観測を交え表現されていた、今もされているのかも?( 因みにプエルトリコ、コロンビア特別区、グァム準州、などが既に51番目の州候補としてある程度認知されているようだ )
しかし “ 州 ” ならまだしも、防衛・安全保障などの実態は “ 属国 ” 以下だ。

ご存知のように、主権国家と称していながらその首都上空の広大な空域が “ 横田空域 ” と呼ばれ、日本国籍機が通常飛ぶことが許されない状態が戦後70年以上続いてきたのだから。
沖縄は言うに及ばず、米軍訓練空域は日本の北から南まで広がっている。
( 特にオスプレイ初飛来当初その飛行訓練などでほんの一瞬TVニュースなどが訓練飛行ルート問題を取り上げていたが、“ のど元過ぎれば民族 ” 特有の性分ですでに忘却の彼方へ・・・なのか?・・・)

さらに悪名高い 「 日米地位協定 」 の存在などまさに宗主国対属国の様相を呈している。
同じ敗戦国のドイツやイタリアとは大違いなのです。

                                            記 : 11月19日



2017年11月27日(月)

11月23日東京新聞朝刊から。

森友学園ゴミ算定問題・・・
会計検査院より検査結果報告が出ました。
                取りあえず一面のご案内・・・・・以下


                                            記 : 11月27日



2017年12月11日(月)

12月8日東京新聞朝刊から、「 こちら特報部 」 より。

     森友審議、安倍政権の異様さ・・・


         ( 注 ) 上記画像中C3POに似た人物が載っていますが、
             C3POではなく飽くまでも新理財局長ですので悪しからず!


                                            記 : 12月8日



2017年12月14日(木)

     ノーベル平和賞、サーロー節子氏の授賞式での演説です。

 
 


両隆下。ノルウェー・ノーベル賞委員会の高名なメンバーの皆さま。

ここにいる、そして世界中にいる運動家の仲間たち。 淑女、紳士の皆さま。
ICANの運動を形づくる傑出した全ての人々に成り代わってベアトリス (・フィン事務局長)と共にこの賞を受け取ることは大変な栄誉です。私たちは核兵器の時代を終わらせることができる、終わらせるのだという、かくも大きな希望を皆さま一人一人が私に与えてくれます。

被爆者は、奇跡のような偶然によって広島と長崎の原爆を生き延びました。私は被爆者の一人としてお話しします。70年以上にわたって私たちは核兵器の廃絶に取り組んできました。

私たちは、この恐ろしい兵器の開発と実験から危害を被った世界中の人々と連帯してきました。(核実験が行われた) ムルロア、エケル、セミパラチンスク、マラリンガ、ビキニといった長く忘れられた地の人々。土地と海を放射線にさらされ、人体実験に使われ、文化を永遠に破壊された人々と連帯してきました。

私たちは犠牲者であることに甘んじることはありませんでした。灼熱の終末を即座に迎えることや、世界がゆっくりと汚染されていくことに対し、手をこまねいていることは拒否しました。
いわゆる大国が、無謀にも私たちを核のたそがれから核の闇夜の間際へと送り込むことを、恐怖の中で座視することは拒否しました。私たちは立ち上がりました。生き延びた体験を分かち合いました。 人類と核兵器は共存できないのだと声にしました。

きょう、この会場で皆さまには、広島と長崎で死を遂げた全ての人々の存在を感じてほしいと思います。雲霞 (うんか) のような二十数万の魂を身の回りに感じていただきたいのです。
一人一人に名前があったのです。誰かから愛されていたのです。彼らの死は、無駄ではなかったと確認しましよう。


米国が最初の原爆を私が住んでいた都市、広島に投下した時、私はまだ13歳でした。
私は今もあの朝を鮮明に覚えています。815分、窓からの青みを帯びた白い閃光(せんこう)に目がくらみました。体が宙に浮かぶ感覚を覚えています。


静かな闇の中で意識を取り戻すと、倒壊した建物の中で身動きできないことに気付きました。級友たちの弱々しい叫び声が聞こえてきました。「 お母さん、助けて。神さま、助けて 」

そして突然、私の左肩に手が触れるのを感じました。
「諦めるな。頑張れ。助けてやる。あの隙間から光が差すのが 見えるか。あそこまでできるだけ速くはっていくんだ 」。 誰かがこう言うのが聞こえました。
はい出ると、倒壊した 建物には火が付いていました。あの建物にいた級友のほとんどは生きたまま焼かれ、死にました。そこら中が途方もなく完全に破壊されているのを目にしました。


幽霊のような人影が行列をつくり、足を引きずりながら通り過ぎていきました。人々は異様なまでに傷を負っていました。 血を流し、やけどを負い、黒く焦げて、腫れ上がっていました。
体の一部を失っていました。肉と皮膚が骨からぶら下がっていました。
飛び出た眼球を手に受け止めている人もいました。
おなかが裂けて開き、腸が外に垂れ下がっている人もいました。人間の肉体が焼けた時の嫌な悪臭が立ち込めていました。


このようにして、私の愛する都市は1発の爆弾によって消滅したのです。
住民のほとんどは非戦闘員でした。
彼らは燃やされ、焼き尽くされ、炭になりました。
その中には私の家族と351人の級友が含まれています。


その後の数週間、数カ月間、数年間にわたって、放射線の後遺症により予測もつかないような不可解な形で何千もの人々が亡くなりました。今日に至ってもなお、放射線は人々の命を奪っています。

広島を思い出すとき、最初に目に浮かぶのは4歳だった私のおい、英治 (えいじ) の姿です。
小さな体は溶けて、 肉の塊に変わり、見分けがつかないほどでした。
死によって苦しみから解放されるまで弱々しい声で水が欲しいと言い続けました。


今この瞬間も、世界中で罪のない子どもたちが核兵器の脅威にさらされています。
おいは私にとって、こうした世界の子どもたちを代表する存在となりました。
核兵器はいつどんなときも、私たちが愛する全ての人々、いとおしく思う全てを危険にさらしています。私たちはこの愚行をこれ以上許してはなりません。

苦しみと生き延びるためのいちずな闘いを通じて、そし て廃虚から復興するための苦闘を通じて私たち被爆者は確信に至りました。破局をもたらすこうした兵器について、 私たちは世界に警告しなければならないのです。繰り返し私たちは証言してきました。
しかし、広島と長崎 (への原爆投下)を残虐行為、戦争犯罪と見なすことをなお拒絶する人たちもいたのです。「 正義の戦争 」 を終わらせた 「 良い爆弾 」 だったとするプロパ ガンダを受け入れたわけです。こうした作り話が破滅的な核軍拡競争をもたらしました。
今日に至るまで核軍拡競争は続いています。


今も九つの国が都市を灰にし、地球上の生命を破壊し、私たちの美しい世界を未来の世代が住めないようにすると脅しています。核兵器の開発は、国家が偉大さの高みに上ることを意味しません。むしろ、この上なく暗い邪悪の深みに転落することを意味するのです。
こうした兵器は必要悪ではありません。
絶対悪なのです。


今年77日、世界の大多数の国々が核兵器禁止条約の採択に賛成した時、私は喜びでいっばいになりました。私はかつて人類の最悪な側面を目撃しましたが、その日は最良の側面を目撃したのです。私たち被爆者は72年の間 (核兵器が)禁止されることを待ち続けてきました。これを核兵器の終わりの始まりにしようではありませんか。

責任ある指導者であれば、必ずやこの条約に署名するに違いありません。署名を拒否すれば歴史の厳しい審判を受けることになるでしよう。彼らのふるまいは大量虐殺につながるのだという現実を抽象的な理論が覆い隠すことはもはやありません。
「 抑止力 」 とは、軍縮を抑止するものなのだということはもはや明らかです。
私たちはもはや恐怖のキノコ雲の下で暮らすことはありません。


核武装した国々の当局者と、いわゆる。「 核の傘 」 の下にいる共犯者たちに言います。
私たちの証言を聞きなさい。 私たちの警告を心に刻みなさい。そして、自らの行為の重みを知りなさい。あなたたちはそれぞれ、人類を危険にさ らす暴力の体系を構成する不可欠な要素となっているのです。私たちは悪の陳腐さを警戒しましよう。


世界のあらゆる国の、全ての大統領と首相に懇願します。
この条約に参加してください。
核による滅亡の脅威を 永久になくしてください。


私は13歳の時、くすぶるがれきの中に閉じ込められても、頑張り続けました。
光に向かって進み続けました。そして生き残りました。
いま私たちにとって、核禁止条約が光です。
この会場にいる皆さんに、世界中で聞いている皆さんに、広島の倒壊した建物の中で耳にした呼び掛けの言葉を繰り返します。

「 諦めるな。頑張れ。光が見えるか。それに向かってはっていくんだ 」

今夜、燃え立つたいまつを持ってオスロの通りを行進し、核の恐怖という暗い夜から抜け出しましよう。どんな障害に直面しようとも、私たちは進み続け、頑張り、他の人たちとこの光を分かち合い続けます。
この光は、かけがえのない世界を存続させるために私たちが傾ける情熱であり、誓いなのです。


( なお原文は東京新聞12月12日朝刊6面に掲載されています。 )

                                       記 : 12月14日



2017年12月25日(月)

12月24日東京新聞朝刊、こちら特報部 “ 本音のコラム ” より


以下は上記コラム関連、
文化放送、大竹まことのゴールデンラジオ、12月25日放送でのコメントより抜粋。
          ( Google Chromeなどでは自動で音声が流れる場合があります、悪しからず )


                                            記 : 12月25日



2017年12月31日(日)

チャールズ・チャップリン 「 独裁者 」 より床屋のチャーリーの演説場面です。
( Google Chromeなどでは自動でスタートする場合があります、またムービーが表示できない場合も有ります。その場合はお手数ですが、“ IE ”でご覧ください。 )



以下は床屋のチャーリーの演説、ほぼ直訳
 
 

                                           記 : 12月31日



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