気になる記事J

2012年6月〜7月 2012年8月〜9月 2012年10月〜11月 2012年12月 
2013年1月〜2月  2013年3月〜4月 2013年5月〜6月 2013年7月〜8月
2013年9月〜10月 2013年11月〜12月 2014年1月〜2月 2014年3月〜4月
2014年5月〜6月 2014年7月〜8月  2014年9月〜10月  2014年11月〜12月 
2015年1月〜2月 2015年3月〜4月 2015年5月〜6月 2015年7月〜8月 
2015年9月〜10月  2015年11月〜12月  2016年1月〜2月  2016年3月〜4月 
2016年5月〜6月  2016年7月〜8月  2016年9月〜10月  2016年11月〜12月 
2017年1月〜2月 2017年3月〜4月     




10月 3日(水)

毎日新聞 10月3日
『 福島健康調査 : 「秘密会」で見解すり合わせ 』
上記題材の記事が、毎日新聞に掲載されたと毎日JPが報じています、内容 ( 抜粋 ) は、

『 東京電力福島第1原発事故を受けて福島県が実施中の県民健康管理調査について専門家が議論する検討委員会を巡り、県が委員らを事前に集め秘密裏に 「 準備会 」 を開いていたことが分かった。準備会では調査結果に対する見解をすり合わせ
「 がん発生と原発事故に因果関係はない 」 ことなどを共通認識とした上で、本会合の検討委でのやりとりを事前に打ち合わせていた
出席者には準備会の存在を外部に漏らさぬよう口止めもしていた。

 
県は、検討委での混乱を避け県民に不安を与えないためだったとしているが、毎日新聞の取材に不適切さを認め、今後開催しない方針を示した。

 
検討委は昨年5月に設置。
山下俊一・福島県立医大副学長を座長に、広島大などの放射線医学の専門家や県立医大の教授、国の担当者らオブザーバーも含め、現在は計19人で構成されている。
県からの委託で県立医大が実施している健康管理調査について、専門的見地から助言する。
これまで計8回あり、当初を除いて公開し、議事録も開示されている。 』


行政からは 『 県民他が余計な心配を抱かないように・・・ 』 と、いつもの台詞が版で押したように帰ってくるが、特に福一事故を受けての県民健康調査は、単なるデータ収集なのか、それとも県民の健康状態をしっかり把握し、万一の為に備えるためのものかは自明でしょう。

上記記事の全文はここよりどうぞ。

     
                                                   記 :10月 3日



10月 9日(火)

MXテレビ 9日、20時からの
『 ジャパンドキュメントセレクション 復興の狭間で 〜 神戸街づくりの教訓 〜 』 を見ました。

阪神淡路大震災からの復興シンボルとされた神戸市長田区、新長田・再開発地区 ( 主に商店街 ) が震災から17年経ってどのような姿になっているか、その現状を報道。

番組解説は、

『 東日本大震災から1年余り経つものの、全てを津波に流された被災地の復興はまだまだこれからです。
1995年の阪神淡路大震災で壊滅的な被害を受けた神戸は、すっかり復興を遂げたかのように見えますが、実は性急すぎた復興計画が大きなひずみを作っていました。
あの日、震災に伴う火災で一面が焼野原となった神戸市長田区の新長田駅一帯。
家財道具も何もかも失った住民に対して、震災からわずか2ヵ月後、神戸市再開発地区として復興計画を進めることを決めました。・・・ところが・・・。 』

17年が経ち、震災直後とは違いメディアになかなか取上げられなくなり、国民のアンテナにも引っかかりにくくなっている
阪神淡路大震災のその後。
この番組を見て、復興を旗印とした “ 街づくり ” の難しさを改めて認識した次第です。

立ち直りのシンボルとして新長田地区が設定され、震災後約2ヶ月という早い時点で神戸市が復興プランを作成。大打撃を受け、打ちひしがれた住民たちは、多分何も考えられない状態で、目の前に行政主導の夢の復興プランを見せられたのでしょう、住民への事前説明も不充分なまま。

その17年後、立派な高層ビル群の中で、これほどまでに地区の商店街が疲弊し、酷い状態 ( シャッター商店街化 ) に陥っているとは、夢にも思いませんでした。実に基づかず、机上の空論に近い展開プランを、 “ 復興 ” という言葉を金科玉条のごとく掲げ、突っ走った結果がそこには有りました。

番組では “ 東日本大震災 ” 被災地の一つ、気仙沼市の復興計画が 「 新長田地区の轍を踏まないように 」 、しっかりとした計画を望む商店経営者たちの側面から追っていました。
 
しかし、ここ気仙沼でも行政側と住民との乖離が見られるようで、“ 入れ物 ” ばかりが目立ち華やかな街づくりも一皮剥げば人の集まらない空洞化した街となり、本当に誰のための復興なのか分からなくなってしまった神戸長田地区の二の舞にならないよう、ただただ祈るばかりです。
     
                                                    記 :10月 9日



10月19日(金)
 
共同通信
『 ニューヨークで開催中の国連総会第1委員会(軍縮)を舞台に、スイスやノルウェーなど核兵器の非人道性を訴える16カ国が「核兵器を非合法化する努力の強化」を促した 声明案 を作成、日本にも署名を打診したが、日本政府が 拒否を決めた ことが18日、分かった。

日本は米国の核戦力を含む「抑止力」に国防を依存する政策をとっているため、核の非合法化を目指す 声明案に賛同すれば、論理上、政策的に整合性が取れなくなることが理由。

「核の傘」への影響を懸念して、唯一の被爆国政府が核の非人道性を強調する意見表明に同調しなかった格好だ。 

共同通信が入手し、16カ国が近く発表する声明の案 は 「 核使用がもたらす人道上の帰結への深い憂慮 」 を表明。

広島、長崎への原爆投下がもたらした「恐るべき帰結」にも触れ、核の不使用を 「 保証する唯一の道筋 」 は 「 完全で不可逆的で検証可能な核兵器廃絶 」 だと言及、核兵器を 「 非合法化 」 し 「 核なき世界 」 を実現する努力を強化していくべきだと主張している。

関係者によると、16カ国側は今週、 声明案への署名を日本側に打診。
外務省を中心に政府内で検討した結果、署名に応じないことを決めた。
政府は従来 「 現実に核兵器が存在する間は、核抑止力を中心とする米国の拡大抑止は不可欠 」 ( 防衛計画大綱 )との立場を取っており、 「 非合法化 」 を明確に求めている 声明案 の内容と政策上相いれないと判断した。

16カ国には、日本と同じように、米国の「核の傘」の下にいる北大西洋条約機構(NATO)加盟国のノルウェーとデンマークも含まれている。
16カ国は今春にウィーンで開かれた核拡散防止条約( NPT )再検討会議準備委員会でも同様の声明を発表したが、この時は日本に正式な打診はなかった。 ( 2012年10月19日、共同通信 ) 』



沖縄を中心とした米軍基地問題にも通じる日本政府一連の対応がここにも顔を出しています。
一つ一つの問題に対し、大和民族独特の気質?からくるものなのか、明確な判断・スタンス表明を避け、先送りする事に専心しているようにしか見えないのは私だけでしょうか!?

(
国家ビジョン無く、決断・行動しようとしない政治家さん 責任を取らないで済む官僚と呼ばれる人々 ) × 前例・判例主義に陥り、独立性の希薄な司法 今の日本の姿 


  ・・・・・・・・・・・  悲しいじゃありませんか。                                                                              記 : 10月19日



10月21日 

ここしばらくメディアに取上げられない
福島第一原発の原子炉冷却後、大量に保管されているはずの “ 高濃度汚染水 ”と地下水・海水等、環境への悪影響 のことがずっーと気になっているので、ネット上は如何に、と思い検索したところ、 「 福島民報 」 の記事を見つけました。

福島民報 : 10月14日のルポ  『 汚染水たまる一方 新装置運用おくれ 地下水への対応もできず 』


『 事故から1年7ヶ月が経過した東電福島第一原発では、たまり続ける汚染水への対応が課題の1つになっている。
12日、5ヶ月ぶりに報道陣に公開された、廃炉への作業が進む1〜4号機。汚染水を浄化する多核種除去装置の整備は終わったが、浄化が始まっても、処理後の水はタンクに保管せざるを得ない状況だ。
汚染水増加の要因になっている地下水への対応も進んでいない。
先が見えない闘いに関係者にもあせりの色が浮かんでいた。

処分法決まらず
「 多核種除去装置は62種類もの放射性物質を取り除く事ができる。 」
東電社員は汚染水の処理が一番の課題であると説明した上で、装置の性能の高さを強調した。
1〜3号機では原子炉冷却で発生した汚染水からセシウムや塩分を取り除き、再度、原子炉に戻して冷却に使う「循環注水冷却」を実施している。多核種除去装置は、ストロンチウムやプルトニウムなどの放射性物質を取り除くことができ、1日で500トンの水を処理できる。ただ、みずの最終的な処分法はきまっていない。担当者はタンクにため続けるしかないことを説明した。
新装置の運用も遅れている。当初は10月に本格運用させる計画だったが、現段階で試験運用すら始まっていなかった。
地元自治体や原子力規制委員会への説明に時間がかかっているのが要因だ。
「 本格運用は数ヶ月かかるだろう。」 担当者は厳しい表情を見せた。

既に21万トン
原子炉建屋には1日約400トンの地下水が流入しているとみられる。

1日で200リットル入りドラム缶2000本が満杯になる量だ。地下水は汚染水となり、増え続けている。
現在、汚染水をためているタンクの容量は23万トンで、敷地内には120トンと1,000トンの2種類のタンクがずらりと並ぶ。
12日現在、保管量は既に21万トンを越えていた。今後はタンクの増設でしのぐしかない。
汚染水増加に歯止めをかけるため、1〜4号機の西側に井戸を掘り、建屋に流れ込んで汚染水になる前に地下水をくみ上げる対策が打ち出された。しかし、井戸を掘るのにも地元町村への説明が必要で、作業は当初計画より1カ月遅れた。
掘削予定地では作業員が下準備として草刈をしている姿が見られるだけだった。
取材ルートに組み込まれていたが、担当者は何の説明もしないまま、その場を通り過ぎた。
その後、記者団の質問に答えた。
「1日に流れ込む400トンの内、くみ上げられる量は掘ってみないと分からない。」

残る高線量地点
天井部のがれき撤去を終えた4号機。
来年末に予定されている燃料プールからの燃料の搬出に向けて作業員が準備を進めていた。
燃料は敷地内の共用プールに収めることになる。
現在、共用プール収容されている使用済み燃料は「仮保管庫」に移動する予定で、現在、基礎工事が進んでいる。
一方、1〜3号機の原子炉などに溶け落ちた燃料をどう処分するか、めどは立っていない。
今回初めて公開された1、2号機原子炉建屋西側を進むと、線量計数値が毎時900マイクロシーベルトまで急上昇した。
高線量が復旧作業を阻んでいる現状を垣間見た思いがした。 』


《 因みに、上記毎時900マイクロシーベルトとは、通常空間線量とされている数値約0.05マイクロシーベル/時間 と比較すると18,000倍、1年間に浴びる許容放射線量としての1ミリシーベルト ( 約0.114マイクロシーベルト /時間当たり ) と比べても7,900倍にも及ぶもの。 》
                                                         記 : 10月21日



10月30日

ここのところ週刊朝日がらみで、TVメディアなどに、面白おかしく、喧しく採り上げられた事柄が有りましたが、一つ疑問が?
問題となった記事の執筆者本人が表面に出てこないのは何故なのでしょうか? 
筆者自ら釈明はしないのでしょうか?
・・・・・しないとしたら可笑しな話です。
と、ここまでは、本来このページで採り上げるべきニュースではないので、この辺で止めて置きます。

今回は同じ “ 週刊朝日 ” の、
          週刊ノンフィクション劇場
         『 “黒い森” 脱原発の国、ドイツから 迷える国、日本へ 』
         のご紹介

『 福島原発事故から1年半、日本は脱原発の道筋を見いだせないでいる。
かたやドイツでは、
事故からわずか3ヶ月あまりの昨年6月末、2022年までに国内17基の原発をすべて閉鎖する方針を決めた。この違いは何なのか。そのヒントを求めて、「 黒い森 」 と共生するバーデン・ヴュルテンベルク州の人々の脱原発への道のりを辿った。 』
として、
      10月12日号・・・
第1回  「母なる森」を吹き抜けた“緑の風”
      10月19日号・・・
第2回  国家意思が研究者に決意を促す
      10月26日号・・・
第3回  エコロジーと経済の共存を図る
      11月  2日号・・・
第4回  政治的テーマから日常的な課題へ

が掲載されています。
これらの記事は、今後、日本の原発を判断する一つの指針として参考になると思い、目を通していただければと、ここにご案内いたします。

ドイツの、長年にわたる脱原発を決断するに至る道程に比べ、昨2011年3月、いきなり、その危険性、脆弱性の実態を多くの人が知ることとなった日本では、脱原発思考・検証・検討・行動、実施、等々という点でドイツよりはるかに遅れをとっているわけですが、実際に深刻で甚大な被害を受け、いまだに爆発事故発生時と変わらぬ状態から脱していないこの国ではとても悠長な事は言っていられない事も、これまた多くの人が認識しているはず。
 
さらに輪をかけて、国の中枢、関係各行政機関の脆弱体制も明確になった今、脱原発に向け自分等にできる事は何かを腰をすえて考え、また何を基準に次の国創りを志向すべきかを、真剣にそして慎重に、さらに継続して考え、行動していかなければならないと、この記事を読んで、今まで以上に思っている今日このごろです。


                                                         記 : 10月30日



11月 7日Nuclear Power Plant
さすがに新聞・テレビなど主だったメディアも採り上げている、原子力規制庁・原子力規制委員会の “ 有事の放射性物質拡散範囲 ”発表 の失態。
 ・・・・・ この “ Notable Article ” 9月5日に採り上げたように、人選で、端から問題有りの状態でスタートした規制委が、早くも失速状態です。

原子力規制委員会とは
インディペンデントな組織のはず、それが電力会社 ( 九州電力 ) から提出されたデータを鵜呑みにするとは・・・・・・・!
大飯原発の活断層論議も有り、今後の運営がかなり心もとない状態です。
これが常態化し、我が “ 喉もと過ぎれば民族 ” の弱点を政府・行政から突かれないようにしたいものです。

                                               
記 : 11月 7日



11月 18日Lethal Ash
朝日新聞11月16日、18日朝刊、『 プロメテウスの罠 』
『 双葉町町長の井戸川
は町の福祉施設 「 ヘルスケアセンター 」 の外で避難誘導に当たっていた。
その時 「 ドン 」 という、大きく、腹にこたえる音が響き渡った。
3月12日午後3時36分、福島第一原子力発電所、1号機で水素爆発が起きた瞬間だった。
その2、3分後空からぼたん雪のようなものがフワリフワリと落ちてきた。
誰も言葉を発しない。
静寂のなか、「 ぼたん雪 」 はふりしきった。・・・・・ 「 死の灰 」・・・・・・・だと思ってぞっとした。
ぼたん雪は原子炉建屋の保湿材の繊維のかたまりのようだった。放射能まみれの塵・・・・・・。』

『 14日には3号機の原子炉建屋が爆発。15日早朝には4号機でも・・・・・・・・・
井戸川(町長)が持ち歩いていた線量計の数値はじりじり上がった。第一原発から約45キロ離れた川俣町にも放射性物質は飛んできているのだ。・・・・・・・・・さらに遠くへ・・・・・・・・。』

放射性物質の拡散データを持ち合わせていながら、発表しないでいた行政、及び政府そして原子力委員会・・・等々・・・。
殆ど何の情報も持たずに逃げ惑う人々、さらに何が起きたのかさえ知らされず、移動手段もない状態でいた高齢者や障害を持った多くの人々。

そして今日、福島県内36万人を対象に行われた甲状腺検査の一次検査でガンの疑いが有るとして一人が2次検査へ・・・。
というニュースが河北新報に載った。
・・・・・・・・・・・とてもとても、安穏として悠長に構えるなどしていられない状況が今後も続いていく。
                                                                                                       
記 : 11月18日


11月 24日

衆議院議員選挙、加えてこちらでは都知事選挙が目の前です。
考えてみれば、つい3年以前、否、前回衆議院議員選挙より前までは、多くの人が、小選挙区比例代表制という制度の事もあり、まず党名で選んでいた、または、政策ではなく “ 人気 ” または “ 声の大きな人 ” などに流され、投票するような雰囲気が少なからず有ったように思われます。
 でも今は、過去最高の政党数の中で、選定する拠り所として、マニフェストという呼び方に懲りた “ 公約 ” を読んだり、その党なり候補者なりが本当に信じるに足るものなのか否かをしっかりと見定めようとしている人が多いように見受けられ、奥の細道自転車行結構な事だと思います。
やたらな合従連衡などに惑わされず、選挙寸前での人気取りと思われるような政策変更、さらにパフォーマンスや声のデカサにも惑わされず、その党、その候補者が本当に何を目指しているかを見極め、投票したいものです。


「 草の戸も住替る代ぞ雛の家 」  芭蕉
( 譲った草庵に雛人形が飾られている。主が代わった。時も変わった。そして、私は旅に出る。 )

九月九日(日曜日)
朝ご飯をご馳走になったあと、茂さんの畑に案内してもらう。
線量計で測る度にがっかりするので、もう最近は測っていないとのこと。横の梅林は二年続けて収穫を見送ったそうだ。
隣の椎茸農家はとうとう廃業。
かつて自慢の作物を持ち寄ってバーベキューをしたという屋外テーブルが、草だらけの畑の隅にさびしく放置されている。
「 農作物だけではなく、生産者の安全まで行政が考えてくれているのかどうか。
農地の線量は高いままなんですよ。地元で生きる人たちへの理解がなければ、解決策もみえてこないよね 」

茂さんと並走し川辺の道を進む。朝の光の中、セキレイが遊んでいる。
すべてに美が宿っている風景。
だがここには等しく、難題が潜んでいる。
茂さんに案内され、芭蕉が訪れた医王寺へ。 
義経に仕え憤死した佐藤継信、忠臣の墓がある。

おいも太刀も五月にかざれ紙幟のぼり
( 五月の節句だ。武将の姿を描いた紙幟とともに、義経の刀と弁慶の背負い箱もかざってくれないか )

医王寺手前の路肩、0.81マイクロシーベルト。難題とはこの数値の事だ。 』


『 どりあん・すけがわ氏が、折り畳み自転車で走った奥の細道2012 ( 災後の東北を訪ねて ) 』 から  
週刊朝日、11月16日・23日・30日号、この後も続く予定。

被災後の東北を目指し、東京調布をスタート、芭蕉と曾良が歩いた道を辿る自転車行。
旅の情景を交え、そこで出会った人々と話し合い、その現状を直に見、感じながらの紀行文。
                                                                  
                                              記 : 11月24日






ページトップへ


ARTICLE TO BE WORRIED ABOUT 3
Copyright(C) IDEAKONA. All Rights Reserved