青春VAN日記63
本社営業の巻 その6(1976年3月)
<丸井初商談>
通常の店頭売上額は、平日に比べ週末の土日が圧倒的に多い。
各店は毎週、土日にあわせての商品の品揃えを用意する。
そして、土日を過ぎた週明けの店頭在庫量はスカスカの状態となる。
したがって、週明けの月曜日には全店からの商品フォローの発注が集中する。
月曜のVAN社営業部は一日中電話が鳴り続け、営業マンはてんてこ舞いである。この状況は、取引先の仕入れ本部においても同様である。
そしてメーカーと小売店はそれぞれのデータを集計し、在庫を考慮しながら納品の商談を行うのである。
丸井様においては、全店(当時35店舗)の仕入れ商談は、すべて中野本社・商品本部において行われていた。
「さあ、商談にいくぞ!」
石川主任の号令一下、356別館裏駐車場に集合した面々は、川島洋一さん、包国泰雄、金沢重信、佐野雅男、そして私。
V社各チョップの丸井担当営業である。
指定された商談日には、皆で営業車に乗り合わせて中野本部へ向かう。
黒塗りのボディに大きくVANのロゴマークと車体番号の表示されたライトバン営業車。管理事務所からキーをもらってくる。
1973年当時のVAN営業車
写っているのはVANSPORTS事業部、営業関係の人達。
|
( ・・・学生時代、街角で見かけるVAN営業車は実にカッコよくて、若者達は皆憧れの目で眺めていたものだった。 )
「 横田は中野本部初めてだろう、今日はおまえが運転しろ。道順を一 発で覚えろよ。 」
石川さんもキャップ補に昇格し気合が入っている。
「イエスサー!」・・・初めてVAN営業車を運転した私は気分上々。
見知らぬ通行人にも、「どうだい、見てくれこの晴れ姿!」と言いたい気分であった。
表参道から山手通り・青梅街道へ。
|
同潤会アパート健在の頃、表参道風景2景
多分1990年代。
|
この道筋は、新緑の溢れる中のちょっとしたミニドライブコースであった。
丸井商品本部は、鈴木商品本部長の下にあり、目的先の紳士用品課では仕入れ商品のアイテム別に担当バイヤーが構成されていた。
スーツ担当・吉原主任、ブレザー担当・杉山主任、スラックス担当・坂井さん。
そして4年前にヤング新宿店で見習いアルバイトした時の、あの高原主任や熊谷主任、小林重作さん達の顔もお見かけした。
丸井主要店の仕入れ責任者たちも、頻繁に本部に顔を出しているようだった。
もうもうとタバコの煙の充満する2F商談フロアでは、いつも数十名の各メーカーの営業マンがたむろして商談の順番を待っている。
待つ間にも、少しでも他社情報を仕入れようと、メーカー同士の駆け引きが始まっている。
我々は同業他社にも顔を売り込んで、空気を読んでおかなくてはならない。
このフロアに足を踏み入れた時からすでに商談の駆け引きは始まっているのだ。
私は、すでに西武・三越時代の経験から他社営業幹部にも顔見知りが多かったので、その点、楽だった。
「 Kentの横田が来ているぞ! 」私の存在はすぐに知れ渡った。
しかしながらこの商談順番待ちは大変に時間がかかる。大病院の待合室と同じだ。
3時間待たされて、商談は10分なんてこともあるらしい。
石川さんから丸井商品部の説明を受けていると、ラングラーの営業部隊がやって来た。
なんと!宮部ヘッド、いやラングラー新営業所長自らの御出陣であった。
宮部さんは、新任の挨拶に来られたらしい。営業の斉藤さんと小林涼一君がいっしょであった。
「 おい!おまえらも来い! 」なんと、宮部さんは私らVANの新人をも、丸井・鈴木商品本部長の前に引き連れていってくれ、そして紹介してくれた。
( ・・・この方には、小さいセクショナリズムなど無い!まさしく VAN1型社員! いつもVAN全体のことを考えておられる。真の
“GLOBAL−EYE”社員だ! )
そして、各営業がそれぞれの担当バイヤーとの商談が終了した頃、宮部さんは言った。
「 ごくろうさん。今週末はみんなで大いに飲もう! 」
・・・「 やったー! 」・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・つづく
|