青春VAN日記89
本社営業の巻 その32(1977年初夏)
<体制変るB> As Time Goes By
石津社長の交代劇があった日の夜、私は千駄ヶ谷のアパートで一人寂しく酒を飲んだ。どうしようもない重く辛く悲しい酒だった。
いつも聞いているシナトラのスタンダード曲がひどく身にしみた。
“ As Time Goes By ”
( スタンダード名曲“時のたつまま”歌詞の『私的アレンジ』 )
〜独算制の強化、総経費の節減、売場の活性策といった問題の種がいっぱいのVAN社の中に生きている私。
だけど、偉い先生方の企業体質改善理論には、もう、うんざり。
だから外へ出て、のんびりしてみなくちゃいけないし緊張をほぐさなければだめ。
たとえどんな結果が出ようといいじゃないか。
自由でいられる人生が最高。どんなに結果が悪くても〜。
たとえどんなに時が移り変っても、いつも変らぬ我社の姿は“石津謙介のヴァンヂャケット”。
Bewitched
愛する会社のために、子供みたいに泣いたり笑ったり、眠れない夜を過ごす私。
そんな私をあの人が笑ったとしても、私は愛する・・・あの人を。
いつの日か石津先生といっしょに仕事できる日を夢見て〜。
But Beautiful
VANとはこっけいなもの、かなしいもの、静かなもの、狂おしいもの?すばらしいもの、それとも悪いもの?
・・・“だけど素晴らしい”〜。
( 拙訳、ごめんなさい。)
・・・77年春よりのVAN現場社員達の顔には、悲壮感が漂っていた。
社内では将来に見切りをつけ、新たな就職先の見通しのついた内勤社員達から、次々と退職者が続いていた。つまりは実力のある社員から転職していってしまった。
しかしながら、現場に置いてお得意様を抱えている営業や販売職の社員は、そういう訳にはいかなかった。
いわゆる“つぶし”が利かないせいもあるが、現場を離れられない理由は、「売場の消滅」は即、「会社の破滅」を意味するからだ。
現場の社員達は悪化する状況の中でもひたすら頑張っていたのである。
(・・・たとえばサイクリング仲間の営業の山田力ちゃんは、誰に言われたわけでもないのに、休日出勤して営業車に倉庫の在庫商品を積み込み、近所の団地での自主販売活動までしていた。・・・嗚呼・涙。)
一方、会社からの指導は、経費の節減ばかり。
伝票1枚、鉛筆1本に至るまで厳しいチェックがされるようになった。
大好きな“VANの便箋”を私用して友人に手紙を書くことも難しくなってしまった。
だが、もっとも肝心な“経営戦略”は、いったいどうなっているのだ?
「欲しがりません勝つまでは」「足りぬ足りぬは工夫が足りぬ」・・か?
これではまるで、大日本帝国の太平洋戦争末期症状ではないか!
こうなってしまっては、駄目ではないか!
丸紅から登場した新社長は“私はCAPTAIN THE LAST”などとのたまった。
(青春VAN日記88 VAN PRESS参照)
“船長たるものは、船の緊急時においてはその最後までを見届け、責任を取る。”という意気込みなのだろうが、・・・・・
・・・“THE LAST”などとは縁起でもない。
LASTという意味は、・・・“もはや沈没”ということではないか!
いったい沈没を前提にして我社に来たつもりなのだろうか?
「・・・ひととせを かえりみすれば 無き友の 数えがたくも
なりにけるかな・・・山本五十六」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・つづく
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