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青春VAN日記89

本社営業の巻 その321977年初夏)

<体制変るB> As Time Goes By

石津社長の交代劇があった日の夜、私は千駄ヶ谷のアパートで一人寂しく酒を飲んだ。どうしようもない重く辛く悲しい酒だった。

いつも聞いているシナトラのスタンダード曲がひどく身にしみた。

             “ As Time Goes By ”


( スタンダード名曲“時のたつまま”歌詞の『私的アレンジ』 )

〜独算制の強化、総経費の節減、売場の活性策といった問題の種がいっぱいのVAN社の中に生きている私。

だけど、偉い先生方の企業体質改善理論には、もう、うんざり。

だから外へ出て、のんびりしてみなくちゃいけないし緊張をほぐさなければだめ。

たとえどんな結果が出ようといいじゃないか。

自由でいられる人生が最高。どんなに結果が悪くても〜。

たとえどんなに時が移り変っても、いつも変らぬ我社の姿は“石津謙介のヴァンヂャケット”。


Bewitched

愛する会社のために、子供みたいに泣いたり笑ったり、眠れない夜を過ごす私。

そんな私をあの人が笑ったとしても、私は愛する・・・あの人を。

いつの日か石津先生といっしょに仕事できる日を夢見て〜。

But Beautiful

VANとはこっけいなもの、かなしいもの、静かなもの、狂おしいもの?すばらしいもの、それとも悪いもの?

・・・“だけど素晴らしい”〜。

                  ( 拙訳、ごめんなさい。)


・・・77年春よりのVAN現場社員達の顔には、悲壮感が漂っていた。

社内では将来に見切りをつけ、新たな就職先の見通しのついた内勤社員達から、次々と退職者が続いていた。つまりは実力のある社員から転職していってしまった。

しかしながら、現場に置いてお得意様を抱えている営業や販売職の社員は、そういう訳にはいかなかった。

いわゆる“つぶし”が利かないせいもあるが、現場を離れられない理由は、「売場の消滅」は即、「会社の破滅」を意味するからだ。

現場の社員達は悪化する状況の中でもひたすら頑張っていたのである。


(・・・たとえばサイクリング仲間の営業の山田力ちゃんは、
誰に言われたわけでもないのに、休日出勤して営業車に倉庫の在庫商品を積み込み、近所の団地での自主販売活動までしていた。・・・嗚呼・涙。)


一方、会社からの指導は、経費の節減ばかり。
伝票1枚、鉛筆1本に至るまで
厳しいチェックがされるようになった。

大好きな“VANの便箋”を私用して
友人に手紙を書くことも難しくなってしまった。

だが、もっとも肝心な“経営戦略”は、いったいどうなっているのだ?

「欲しがりません勝つまでは」「足りぬ足りぬは工夫が足りぬ」・・か?

これではまるで、大日本帝国の太平洋戦争末期症状ではないか!


こうなってしまっては、駄目ではないか!


丸紅から登場した新社長は“私はCAPTAIN THE LAST”などとのたまった。

(青春VAN日記88 VAN PRESS参照)

“船長たるものは、船の緊急時においてはその最後までを見届け、責任を取る。”という意気込みなのだろうが、・・・・・

・・・“THE LAST”などとは縁起でもない。

LASTという意味は、・・・“もはや沈没”ということではないか!

いったい沈没を前提にして我社に来たつもりなのだろうか?

「・・・ひととせを かえりみすれば 無き友の 数えがたくも 
               なりにけるかな・・・山本五十六」


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・つづく

           


VAN PRESS 1977年8月1日号。

このVAN PRESSを読んでみると、

新社長は多分、
“VAN JACKET再生の鍵”は、あらゆる部門における可能な限り速やかな、ご自分の経験値でオーソライズされた改善策の立案、施行が第一と考えられたのでしょう。
      ・・・・つまり自分のペースで走りながら考えると。・・・・
また同時に、有言実行、自分が進んで舵取り役をやるんだと言う存在感をアピールする事も忘れてはいなかったようです。

社長交代劇から1ヶ月余りで、素早く、細かな社内改革目標、具体的方策、等々を次々と社内報などを使い徹底していこうとしています。

しかし、新社長・・・・・・・・・、
長年培ったVAN JACKETの社風、特殊性、VANのVANたる所以を置き去りにしてしまうと、目の前には、社員の反発、離反、あきらめ=“破綻”の二文字しか見えてこないと思いますが。
と言うのも、“VAN”とは良い意味でも悪い意味でも、石津社長というカリスマに憧れ、“VANが好き”でVAN社員である事に誇りを持った社員達の集合体であり、また随所に存在したその時代の優れた能力の集積だった・・・と思います。

単純に上意下達で事足りる組織ではなかったのです。むしろそれを嫌っていました。

いま少し時間をかけ、社長自らVANの社風の何たるかを学び、拙速感のない、社内の隅々までその気にさせるような、段階を踏んだ改革ビジョン及びスケジュールを社員に示しながら変革を行わないと、・・・・・それこそ取り返しのつかないことに・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。

上記VAN PRESSに記載されたような枝葉末節はその後の事で良かったのでは。
それとも貴方を派遣した親会社が時間的余裕を許さなかったのでしょうか・・・???

私には、解りませんが













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