青春VAN日記39
新宿三越の巻 その1 1975年秋
移動命令下る
池西VANグループは順調な成績を続け、1975秋冬期を迎えた。
いよいよ売り場内にKentワールドを完成させるぞ!と意気込みを新たにしている時、突然本社より、辞令が下った。
・・・「新宿三越店VAN店長を命ずる」・・・うーん。
・・・ 新しい職場の心配よりも、西武売場の将来が気になった。
百貨店業界のヤング一辺倒の時代が終わりを告げ、新しいライフスタイル別の売り場に変化しているこの過渡期に、VAN売上百貨店1位の西武は私がやらねばという自負もあった。愛着もあった。たくさんのお得意様の顔が脳裏に浮かんだ。・・・それでいいのだろうか?
しかし、社命である。
かくして私は新宿三越へと転任した。
新宿三越店は新宿大通り3丁目にあった。向かい側には伊勢丹、丸井の両大型店。近所には三峰、伊勢屋、高久の有名メンズショップ各店。駅周辺には京王、小田急両百貨店。
そして西口から3丁目まで続く“地下商店街”には有名ショップが無数に乱立する立地環境であった。都内で最も苛酷な紳士衣料激戦区である。その中で新宿三越VANグループは奮闘・苦戦していた。(販売部・売上ベストテン外だった。)
2階の紳士服ヤングマン売り場の中に、VANの各ブランド
(VAN,Mrvan,Kent,GANT, blazerman, Sevendays, Boys,等)を展開していた。他メーカーと混然一体となった平場展開であった。
コーナー展開は、JUN・ROPEのみ。
百貨店従来型の典型的ヤングマン売り場であった。競合メーカーは、JUN、TAC,Jazz,プレイロード、マクベス、ハーバード、マンシング、ラコステ、アーノルドパーマー、山陽ベーカーストリート、ダーバン、オンワード、越前屋、などなど多数。
どうやらここの“売り”は、ROPE,Mr,van、プレイロード等中心のヨーロピアンらしい。
当社のメンバーも、久保田前店長を筆頭に、サブリーダーの堀田君、小堺君、佐野君、清家君、高橋君、他の全員がMrvan着用のヨーロピアン・スタイルであった。
アイビー、トラッドスタイルのV社社員は皆無だった。私は浮いてしまった。
・・・ここになぜ私を?・・・。
西武におけるケントコーナーの取引形態は、基本的には完全なV社のコーナー出店であった。売上、人員、在庫商品、備品等、の管理責任はV社にあり、納返品・人員移動もV社の主導で行えた。商品掛け率も売上に対し、たしか70%位だったとおもう。
しかし、ここ三越ではちがう。委託取引で掛け率もたしか58%。(記憶が薄れ、間違ってたら御免なさい。)在庫品量の調整・納品も返品もすべて三越の指示で行われる。おまけにあの悪名高い“未決まり更新”に“99日手形”。納品しても売り上げても、いつになったら支払ってくれるのかが分からない。・・・これはよほど注意してかからねば・・・。私の胸中は複雑な思いでいっぱいであった。
そして着任初日。朝礼で自己紹介した後の休憩時間、私は堀田、小堺、佐野、清家君に、売り場後方の裏階段に連れて行かれた。
「最初に断っておくけど、あんた、西武じゃちょっといい成績を残したらしいが、俺たち三越には三越のやり方があるんだ。
デケエツラするなよ!」
・・・またか・・・。
つづく
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