青春VAN日記71
本社営業の巻 その14 (1976年6月)
<サイクリング同好会>
「うー・・・、いい自転車だねえ。去年のツール優勝車か!」
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これは、コルナゴ |
声をかけて来たのは、VAN Heusen営業の堀俊二さんでした。
場所は356裏駐車場でした。
「お・・・、おれにも、ちょっと乗らせてくれないか」
裏の青山団地公園を軽くひと走りした堀さんは言いました。
「い、・・・いいねえ、今度、俺といっしょに走らないか?」
「いいですねえ、今週、皇居の周りを走りましょう!」
まことに口数の少ない堀さんでしたが、話は即まとまりました。
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堀氏と、場所は多分イタリア、トリノかな |
堀さんは、この翌年、たった一人で“アメリカ合衆国横断自転車旅行”に出かけた程の自転車愛好家でありました。
ただし、お帰りはビザ切れの強制送還のようでしたが、実に、にくめない面白い人でした。
ヴァン・ヒューゼンには沼田、田辺君(明大自転車部)という二人の自転車好きも居りました。
さすがに彼らは、“ト−エイ”“ケルビム”の丹下・石渡のクロモリ・フレームに、カンパレコ−ドやTA、ユーレーのセットの一流オーダー車を所持しておりました。
しかし、この時代のスポーツ車はなんと美しいのだろう。デローザ、コルナゴ、チネリ、ロッシン、ラーレー等々・・・。
平成時代になってからの、アルミフレームやカーボンフレーム使用の先端的マシンの無骨なデザインと比べても、その細身の優美なスタイルは、圧倒的に美しい!
私には、我社内にもこれほどの自転車好きがいたのか!と驚きでした。
そして、VAN社員達の日曜サイクリングが始まったのです。
グループで走る楽しさを知った私は、次々に営業部内の仲間に声をかけて見ました。
営業部では、運動不足を嘆いていた佐野雅男君と山田力ちゃんが参加しました。
つづいて、販促部の新庄君、池田忠キャップ、意匠室の笹川君、企画部の松本新哉キャップと参加者が次第に増えていったのであります。
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1976年、金精峠にて、左から堀、山田、ひょっとして沼田、横田くん、さん達 |
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1976年、・・・・・こっ、この二人の、ポーズ、は ! ! ! ! ! !
ひょっとして
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では・・・・・・・・・。 |
う〜ん、いい大人が・・・・・!! |
この頃、すでにVAN社内には、ヴァンスポーツ部の五十嵐さん達の主催する「VAN自転車同好会」が正式な互助会社内クラブとして活動されていました。
VANプレスにも修善寺サイクルセンターでピスト車にのって練習する五十嵐さんの写真等が載っていました。
しかしながら、まずはファッションから入るのを常とする私達グループは、苦しい練習を必要とする、競技での“バンク”を走るつもりは全く無かったので、そちらには参加はしませんでした。
まずは、絵画館前や皇居周回コースに始まり、続いて池田忠さんの家に集合しては、深大寺や奥多摩湖、津久井湖、山中湖等の日帰りコースをお洒落に楽しんでいた私達でしたが、やがては、輪行袋を使い、三浦半島一周や房総半島一周に出かけたり、ワゴン・レンタカーに自転車を乗せての、日光金精峠越えなどに挑戦するのでした。
そして、
翌77年には、北海道・道東一周旅行(一週間日程)にまで出かけていくのでした。
( これじゃ、彼女なんか出来るわきゃないよ!まったくもー )
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・つづく
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