青春VAN日記40
新宿三越の巻 その2 (1975年秋)
ああ、なんで日本の社会ってやつはいつもこうなのだろう。
縄張り根性、島国根性。
中学生の転校生の扱いと同じではないか。ああCONFORMITY!
まあ、米国WASPのプレッピーが、一般社会から茶化され、色眼鏡で見られるのと同じだとでも思えばいいか。見ていればそのうち判るだろう。って私はジャングロ・サクソン人か?
(注・日本人なのにアイビー・トラッドに夢中になっている人間。)
《 ことほど左様に日本社会では、目立つと“出る釘”は打たれる。
見かけや行動が、他人と違っていたり個性的であることは、ゆえなく頭を打たれ、足を引っ張られ大変なのである。が『鉄は熱いうちに打て』とも言うから、まーいいか。》
新宿三越・売り場後方事務所にご挨拶に伺う。
紳士売場責任者は宮崎課長。体格の良い、相撲部屋の親方のように貫禄のある方だった。ヤング売場責任者は伊東主任。これまた体の大きい方だった。
そして三越では、紳士服部長ともなると、格上で、別部屋に部長室がある。
天下の三越の紳士服部長である。私はドアをノックし、恐る恐るドアを開けた。
「VANの横田でございます。失礼いたします。」
お辞儀をしてまず目に入ったのは、部長の足元であった。
ウイングチップであった。しかしこの重厚さと輝き。
踵までのびているロング・ウイング。
外羽根式のプラッチャー。控えめな穴飾り。
これは、“フロッシャム”だ!間違いない。
・・・・・・・・・・ただものではない!
目線を上げてゆくと、4.5cm巾のダブルカフス、ノータックのレギュラーフランネルスラックス。上質のフランネル段がえり3ボタンのスーツ。オックスフォードのボタンダウンシャツにはリベッツ風のストライプ・タイ・・・。なんと、Kentではないか!
「まあ、入りなさい。わたしが部長の岡田です。」
「君の事は、御社からもいろいろと聞いております。」
「私も、ニューヨークに行って以来、トラッドのファンでして・・・
我が店にも・・・。」
「なにかあったら、気軽に部長室に来なさい。」
・・・そういうことだったのか。
なにかが少し理解できたような気がした。
売場に戻ると、サブリーダーの堀田君にあらためてVANメンバーを紹介された。
(私の実感)
堀田君・・ジャニーズ系の甘いマスクで売場の女子店員のあいだで人気が高い。
小堺君・・身長180cm。硬派で骨っぽい。直情径行型と見た。鼻筋通ったいい男。
佐野君・・“兵隊やくざ”シリーズの“勝新”のような男。義理人情型と見た。
高橋君・・ひょうひょうとしている。ぬらりひょん型。つかみ所が無い。
( 確か、他にも生真面目な眼鏡の若者がもう1名と、女子もいたような気がするのですが、30年以上が経ちどうしても思い出せません。間違っていたら御免なさい。・・・)
さて、笑顔の中にもチラッと心配そうな表情が浮かぶヨーロピアンな若い彼ら達と、どうやって打ち解け、どのような売場作りをしていこうか?
ウーム・・・やっぱり“無念無想”無心の境地しかないか。
自分の身の程で、ひたすら一生懸命仕事して、あとは“いっさいを時間の経過にゆだねよう。必要性があり実用性があれば、いつか認めてもらえるだろう。”
“時間の経過によってのみオーソドックスがトラッドへとのぼりつめる”のだ。
“評価するのは自分自身ではない、周囲の人たちなのだ。”
私がT型トラッド人間(3Bモデル)、と呼ばれた所以です。
・・・・・・・・・・・・・・・・わかるかなあ?
『 成功にはなんのトリックもない。私はただいかなる時にも私に与えられたその仕事に全力を尽くして来ただけだ。』・・・カーネギー。
つづく
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