青春VAN日記51
新宿三越の巻 その14(1975年、年末)
<不易流行> (ふえきりゅうこう。芭蕉の哲理。・・“永遠にかわりないもの”と“時代により流行によって変化するもの”この二つの根本には一つのもの、すなわち「風雅の誠」がある・・・。)
年末の新宿通りの雑踏を眺めていると、街行く人々の流行についてつくづく考えてしまう。
今は百人百様である。袴のようなバギーパンツを穿く人と細身の横須賀マンボを穿く人。
ツイッギーのようなミニスカートとロングなマキシスカート。先の丸い靴と尖った靴。・・・
人間の趣味嗜好は、たかが10年や20年のうちにこうも変わるものなのか。
私達の子供の頃、日活映画全盛の頃は、男の服装はすごかった。ズボンは太ければ太いほど最新流行であった。靴もラバーソールと称して靴底(※柳川市のおいしい魚ではありません。めかじゃ・わらすぼ・K−PORT、なつかしかー!)が寿司屋の卵焼きほどに厚いものでなければ肩身が狭かった。上着も柴又のトラさんのように大きめのもので、肩の線が水平になるぐらいパットを入れて胴は思い切って細く、また女性のスカートは思い切ってゆったりと長く、美智子様のように優雅なものであった。
東京オリンピックの頃になると、猫も杓子もアイビースタイルとなり、肩パット無しの狭い肩幅のナチュラルショルダーのずん胴上着。パイプドステムの細身のスラックスにはスリッポン、プレーントゥ靴。・・・みゆき族、六本木族が人目を集めた。
そして、新宿フーテン族・地下街フォークゲリラ時代前後には“アイビーかコンチか?”“狼派か羊派か?”でコンチネンタルスタイルが大流行。肩パットたっぷりのコンケープショルダー・ワイドラペルに裾広のパンタロンスラックス。ヒールの高い靴。
・・・そしてジーンズの大流行。
企業は、市場経済であるからして新しいものをどんどん作り、流行させて利潤追求しようとする。・・・それにしても多くの人々はそれに踊らされ過ぎではありませんか?
“昔100年、今10年。”・・・流行は必ず繰り返す。
肩パットの多少、胴のしぼり具合、襟幅・裾幅・ネクタイの太細等、服の形だけではなく、髪の毛の長短、靴の形、スカートの長さ、化粧方法、・・音楽、食べ物の嗜好、車の形、・・・(はては戦争に至るまで、)必ず歴史は繰り返されているのです。
企業やマスコミの流行に踊らされるのは、いいかげん、ホドホドニしませんか?
他者から差別化しようと思って流行をやっていることが、結果、他者と同じ事になっているのです。つまり踊らされているのです。愛用していた服と言う物は、流行が過ぎ去ってしまっても、上着もスラックスも靴も、大事に保管しておけば、必ず、また着る事が出来ます。
<流行のサイクル・パターン>
5年前・・・・下品、恥知らず。
1年前・・・・大胆、画期的。
当時・・・・・素敵!カッコいい。
2年後・・・・みすぼらしい、わびしい。
5年後・・・・滑稽
8年後・・・・風変わりな
9年後・・・・懐かしい、魅力的
10年後・・・素晴らしい!
50年後・・・ロマンティック、ソフィスティケイト。
このように、長い年月が経過する中で、流行に関わらず、着続けられている服があります。おじいちゃんから孫・子の代まで、流行を超越して脈々と着続けられる服。
長い時間の経過が、選別し淘汰した究極の服。・・・・・嗚呼“不易流行”!それは、トラディショナルなのです。
・・・と、例によって、一人合点している内に、年末商戦は無事終了した。
そして新宿三越別館・特設会場において、紳士服売場・大忘年会が開催された。
まずは、岡田紳士服部長よりねぎらいのお言葉があり、全社販売員が固唾を飲んで見守る中、年末商戦個人売上の結果が報告された。
メーカー別売上金額順位。・・・第1位 株式会社・ヴァンヂャケット!(以下略)
個人売上金額順位・・・・・
第一位 VAN社、小堺君!
第二位 VAN社、横田君!
第三位 VAN社、堀田君!
おお、やった!完勝だ!独占だ!
続いて行われたのが、メーカー対抗カラオケコンテスト。
審査委員は岡田部長、宮崎課長、伊東主任。
私達は、審査委員席、得点表、得点札まで作り、堀田君の司会で本格的に演出した。
他メーカー出演の方々が演歌、ポップスを歌う中で、V社員の歌う曲は横文字ばかり。
その結果、
カラオケ一位 ライチャース・ブラザースのアンチェインドメロディを歌ったV社、小堺君!
二位 シナトラのマイウエイを歌ったV社、横田君!
ここでも、VANチームの圧勝であったのであります。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・つづく
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